2013年12月30日
再読 日本婚姻史 縄文時代 集団の有りようの検討と婚姻様式
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婚姻史再読シリーズの1回目です。今回は、「日本婚姻史1~その2:日本人の原型を形作った縄文人を取り巻く環境」を再読します。
約1万年前、人類の雌雄(婚姻)関係は劇的に変化してゆくことになったが、豊かな山野や海辺に進出して木の実などの採集や漁労に転じた採集生産の部族と、従来通り獲物の豊かな森林で狩猟を続けた狩猟生産の部族では、全く異なる婚姻規範を形成する。
東アジアの黄色人(モンゴロイド)をはじめとして、世界人口の過半を占めていた採集・漁労部族は、仲間の解脱収束→性欠乏の上昇に対して、皆が心を開いた期待・応望の充足を更に高める方向を目指し、部族内を血縁分割した単位集団(氏族)ごとの男(兄たち)と女(妹たち)が分け隔てなく交わり合う、総偶婚規範を形成した(但し、氏族を統合している部族レベルでは首雄集中婚が踏襲されている事例が多いので、正確には上部集中婚・下部総偶婚と呼ぶべきだろう)。
なお、その後同類闘争の緊張圧力が高まると、再び集団統合力を強化する必要から、氏族ごとの閉鎖性を強め分散力を強める兄妹総偶婚は廃止され、部族内で定められた他の氏族の異性たちと交わり合う交叉総偶婚に移行してゆく。何れにしても、期待・応望充足を最大の活力源とする採集部族は、総偶婚によって期待・応望(=共認)充足を破壊する性闘争を完璧に解消して終うと共に、総偶婚によって一段と期待・応望充足を強めたことによって、その充足を妨げる自我回路もほぼ完全に封印していった。
- posted by saito at : 2013年12月30日 | コメント (0件)| トラックバック (0)