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2013年12月19日

2013年12月19日

日本婚姻史に学ぶ共同体のカタチ シリーズ3-5~性の再生は企業の中から~

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このシリーズ最後の記事は、ずばり「性の再生」です。
“性”と聞いて皆さんどのようなことを思い浮かべますか?性とは、男らしさ、女らしさのような性差をまず思い浮かべるでしょうか。端的にスキンシップやセックスということもあります。男であること、女であることを当たり前のように肯定し、お互いの性に期待し応合し感謝し充足しあうこと。そのような幅広い概念で「性の再生」を捉えています。
何故性の再生が必要なのか。それを前回の記事で述べました。それは、大きく捉えると

①生物は、性の差別化をより推進する方向で進化してきた。
→性は、生物にとって適応の基幹戦略である。(参考記事)
②原猿は、雌雄充足共認によって集団を形成している。
→性は、集団統合の中核(要)にある。(参考記事)
③極限時代、原始時代以来、人類は性を集団の共認充足として命綱にしてきた。
→性は集団(さらには集団同士をつなぐ)充足源であり活力源である。(参考記事)
という3点です。
ここで重要なのは、性とはどの歴史を切ってみても、種を存続させていくため、集団を存続させていくために活かされてきたということ。性を個人と個人の秘め事とし、個人の独占物になったのは、一対婚を社会制度として定めた私権時代(日本でいえば明治以降)だけです。(参考記事) 【性の活力とは種や集団を存続させるための必要性から生じる】という生命原理に照らし合わせれば、この私権時代の独占の性が、セックスレスという形で終焉を迎えているのは、必然ともいえます。(参考記事)
もしこの先、性が個人と個人の間に閉ざされたままであれば、適応の基幹戦略である性はますます衰弱し、人類は滅亡の道を歩むでしょう。性を再生させることは、種として存続していくためにも、根底的に重要な視点なのです。

(さらに…)

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