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2017年3月9日

2017年03月09日

実現の時代~「社会認識」が古い制度を駆逐し、現実を塗り替える

以前の記事で、教育改革に取り組んでいる世田谷区長について紹介した。

「教えない学校」~自治体首長も教育革命に取り組んでいる

彼のブログを読んで感じたこと。
「制度」はどのように変化し、実現していくのだろうか。

現在の学校教育制度は、明治時代の西欧列強の外圧に対峙すべく、軍隊式を取り入れ、国家の手足となる人材をつくる目的であった。
現在の外圧はどうだうか?
政治、経済、環境、医療、教育、子育て、高齢者、、あらゆるところで問題は山積み、もはや国家統合が機能不全を起こしている。
だからこそ統合者は不正選挙までして、法制を強化し、制度収束を強め、強制力を強め統治するしかない状況に追い詰められている。
しかし、古い強制制度は「制度疲労」を起こし自滅する

このように社会が閉塞状況に陥っているということは、
これまで社会を導いてきた思想、観念、法律、制度などが間違っていたということ。
とりわけ、その中心にあった近代思想(個人、自由、平等、、)の罪は大きい。
その近代思想を、純粋無垢な子供たちに強制的に植えつけてきたのが、「学校教育」である。

現実の社会問題に危機を感じ、新しいあり方を模索して、古い制度から脱し、動き出した先人はたくさんいる。
すでに、多くの成功例も報告されている。
現実の場で変革し、新しい可能性を実現していくことが、人々を説得する確かな力となる。
そして、現実の断片的な問題群を歴史構造的に認識することが、極めて重要だ。
社会認識と、外圧適応の変革、その両輪が現実を変えていく。
もはや古い制度では適応できない、負けていくばかり。
新しい認識が、古い制度・認識を駆逐し、新しい社会へと塗り替えていく。まさに「実現の時代」。

 

■■2014年8月26日
「代ゼミ20校閉鎖」で見えた競争の変化

60年代の高度経済成長期から親子2代にわたって続いた安定期は、90年代半ばに終わりました。社会に出ていく若者たちの前にはもう、安心して身を委ねることができる「太いレール」はありません。この間に平均賃金は下がり続け、職場における競争は激化し、スピードと効率、さらには正確な処理も求められ、長時間労働も常態化しました。

時代の変化は、少子化だけではありません。97年の金融危機を引き金とした長期不況の中で、企業にはリストラの嵐が吹き荒れました。全人格を会社に委ねていたような人々は、非情な肩たたきにおびえました。「終身雇用」は名実ともに崩れ始めています。

いま、盤石に見える企業も10年後には解体・再編の渦中にあるかもしれません。「いい会社に入れば生涯安泰」どころか、会社に入っても競争は続き、「いつ何があるかわからない」状態に転じているのです。

もはや、20年前のように、「いい学校を出て、いい会社に入るのが人生の幸せです」と言われても、にわかに肯(うなづ)くことのできない現実があります。ステレオタイプの受験競争や偏差値信仰はようやく過去のものとなりつつあります。

 

■■2015年2月17日
「不自由な生活」から「自由な発想」生まれるか

高度経済成長モデルが崩壊し、90年代後半から日本社会はデフレ不況と収縮型の社会へと変化しました。「学歴」や「偏差値」を絶対化する神話も崩壊し、「学びとは何か」「人が生きる上で必要な知力とは何か」という本質が問われる時代に入ってきました。

これまで、受験を前に行われてきた「詰め込み勉強」は、暗記力と早く迅速な情報処理力に重点が置かれていたのに対して、今後は「課題発見能力」「複合的な課題を結合する編集力」「目に見えない変化を見通す想像力」などが重視される方向へ舵は切られつつあります。

大学入試に詳しい「リクルート進学総研」の小林浩所長は「暗記した知識を再生するだけの入試を受けて大学に入ることがゴールだった時代は終わり、知識を活用する力を身につけて入学後も能力を高めることが求められ、偏差値だけで学校選びができない時代が来る。少子化で予備校や塾の再編も進んでおり生き残りをかけてカリキュラムを変えていく動きは広がるだろうし、多面的な力をどのように育成していくか、予備校だけでなく学校教育全体が変化を求められることになる」と話しています。(NHKニュース)

教育内容が単なる「暗記力」「情報処理力」であれば教えることも、評価することも安定した経験則が存在しています。一方で、学科を超えた学びや、自由な想像力、議論を通して認識を共有し高めていく力などを教えることが果たして制度化できるのだろうかという疑問があります。

制度設計をしていくのは誰でしょうか。それは、きっと文部科学省の官僚です。かれら自身が、これまでの教育制度にどっぷりつかって子ども時代を過ごし、成績や受験での「成功体験」を刻んできた存在のように思えます。「常識的な発想」「定番の処理」に手慣れた官僚が、新たな価値軸を提示していく制度設計をするためには、まず自らが変わる必要があります。

これから、文科省が取り組む大学入試改革を前に、「自由に発想する技術」、「創造性を高める教室」などが流行するかもしれません。しかし、「自由な発想」を「不自由な生活」からめざせというのは無理な話です。

親として心がけたいのは、制度の転変に右往左往しないことです。子どもは、自ら内側に育つ力を持っています。遊びの中から生まれる濃密な時間、全身をつらぬく感動、そして興奮と鎮静。子どもが子どもとして過ごせる環境を守るのが親の役割だと思います。

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