2018年01月16日
私権社会から本源社会への革命的転換、その主役は子ども達
>かくして、生きる活力もない、自ら考える頭もない人間であふれ、社会は全面的に活力を失った。
このような閉塞状況が真っ先に顕在化するのが若者であり子供たちである。
このままでは社会は滅亡するしかない。
強制圧力にしか反応しない思考停止人間、無気力人間を生産する学校教育を直ちに変革しなければならない。
教育革命待ったなし!(前回の投稿)
◆国家の権力基盤
このような危機的状況に対し、国家は何をしているのか?
例えば、働き方改革。時短や報酬、職場環境などのガワばかりを問題にし、肝心の働き手の活力など、主体意識などお構いなしだ。
国家は、活力のある未来の社会像など、全くもって示せていない。
彼らは自らが支配者として存在していたいだけ、地位を守りたいだけ、既得権益を温存したいだけ、
だからいくら国民の支持が得られなくとも不正選挙の暴挙をもってして必死にしがみつく。
国家権力の暴走も見せかけの民主主義によって封じ込められる。
こんな酷い状況であっても暴動が起きるわけでもなく日本人は大人しい。
それは、江戸時代以前より、お上が支配する世界とは別に、現実の共同体社会の中で生きてきたからだ。
元々日本人は、お上とは無関係に豊かな自治共同体社会を自分たちで築いていた。
その共同体、および共同性を否定し、国家に従順に従う下僕にせしめたのが近代学校教育である。
教師を絶対的な存在とし、教科書が絶対の答えであると、繰り返し刷り込んでいく。
当然のように教科書には国家にとって都合の良いことしか書かれていない。
国家権力の基盤は、資本でも法制でもなく勿論軍事力でもない、国家権力に従順な国民であり、
国家にとって都合の良い、余計なことを考えない思考停止人間を大量生産してきた学校教育にあることは間違いない。
◆脱学校が顕在化
そして今子供たちの間で脱学校という、新しい不登校が登場してきた。
全く意味のない勉強を延々とやり続ける違和感、不整合感、虚無感からくる活力衰弱がついに我慢の限界に達したということだ。
脱学校の潮流と同時に、教えない学校、教えない塾が人気を得、確実に成果を上げている。
従来の学校教育の枠組みを取り外し、子供たちの思考を解放してあげた途端に、追求活力が芽生えている。
元来、人間は生まれながらにして天才なのだ。
目も見えず、耳も聞こえず、なにも喋れない赤ん坊の成長スピードを見れば明らかだろう。
将棋の藤井四段も、芥川賞作家の又吉も、学校教育の枠組みから逃れた異端児の中から登場した。
人類の人類たるところは自由に組み替え可能な観念機能にあるが、その人類固有の機能を封鎖しているのが学校教育であり、国家権力の基盤である。
◆現実となった革命
私権社会から本源社会への革命的転換において、最も邪魔になるのが国家の存在である。
そして革命の主役となるのは巷の社会活動家ではない、我慢の限界に達した子ども達である。
つまり、国家権力の基盤である学校教育が、革命の主戦場となるということ。
教科書、教師、教室、学校の枠を外し自由に子供たちの興味関心にまかせれば見違えるように活き活きしてくる。
無能、思考停止から、天才、社会創造へ、180度の転換。
元々子供たちは天才なんだ、そこに気付き導くのが大人の役割、革命といってもただそれだけのこと。
従来のただ反対、否定するだけの暴力的革命とは全く異なる、可能性に溢れた革命だ。
その革命を支える基盤が、国家が否定し封鎖した元来日本人がもっている共同性、共同体の形成にあるのも間違いない。
- posted by TOKIO at : 2018年01月16日 | コメント (0件)| トラックバック (0)