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2019年1月8日

2019年01月08日

シャーマンとは何か17~狩猟採集社会の脱魂型シャーマンから農耕社会の憑依型シャーマンへ

脱魂型シャーマンと憑依型シャーマンはどう違うのか?

忘我的な精神状態(トランス)の中で、魂が身体から抜けだして,神霊界を遍歴するのを脱魂型と呼び、その人の身体に別の神霊が憑依侵入するのを憑霊型と呼ぶ。
より根源的なのは脱魂型であり、超自然的存在と直接的に接触し、交流できるとのこと。これは自然との同化の究極の姿である。それが脱魂型シャーマンなのだろう。

脱魂型のシャーマン
シャーマンとは、自ら変性意識に入って聖なる源にコンタクトする者をいう。そして、この変性意識は、「脱魂型」と「憑依型」とにわけられる。

狩猟採集文化においては、体外離脱体験によって、自我への執着を瓦解させる「脱魂型」が中心である。脱魂型のシャーマニズムには、魂の解放そのものをもたらす深さがあり、北米で発達した脱魂型のシャーマニズムは、旧大陸でキリスト教や仏教が果たしていた世界観を与える役割も果たしていた。

脱魂型の変性意識に入る為には、聖なる植物を摂取したり、一定のリズムで太鼓を連打したり、自然の中で一人断食をする等、様々なやり方がある。太鼓の音の連打が変性意識をもたらすことは、日本の仏教での木魚を見ても明らかである。空也の踊躍念仏もシャーマン的な行為と言える。

「なぜ華北黄河流域で天の信仰が、華南長江流域で太陽の信仰が誕生したのか」
農耕民は食糧を生む大地を信じ、そこに神々の存在を感得するのにたいし、狩猟民や牧畜民は大地をはなれたところ=天に神の存在を信じる。

農耕民の信じる大地の多様な神々のなかでの最高神が農作物の豊凶を支配する太陽神であった。

狩猟民は獲物の獣を追う。その獲物は身体の内部に神の分身を宿している。狩猟民はその神をつねに追うことになる。幾世代にもわたって神を「追う」生活が脱魂型のシャーマンを誕生させた。彼らの多くは神の分身の獣を守護霊としている。

農耕民は大地をたがやして収穫を待つ。収穫物は農耕民にとっての神の分身である。幾世代にもわたって神を「待つ」生活をくりかえした農耕民のなかのえらばれたシャーマンが、自己の肉体を依代としてそこに神を待ちうける憑霊型を生みだした。

仮面も神をよりつかせる依代である。憑霊型のシャーマニズムの分布地帯と仮面の分布地帯がほとんどかさなるのはそのためである。

狩猟採集社会の脱魂型シャーマンから農業祭司社会の憑依型シャーマン
狩猟採集の部族社会では、シャーマンたちが「聖なるもの」と直接交流し、その豊穣な世界を話し言葉でコミュニティの構成員とわかちあうことで、誰もが密接なつながりを感じることができた。各個人が「聖なるもの」に直接的にコンタクトすることも認められていた。こうした狩猟採集民の社会におけるシャーマンの権力は、個人的な能力に依存していた。

戦闘集団の長である男性が部族長となる。戦争の果てに古代初期に王国が誕生すれば、その武装勢力を率いてきた部族長が王となっていく。こうして、元々は祭祀長が部族長であったのが、戦闘隊長が部族長へと昇格し、その下や横並びに祭祀長(シャーマン)が控えるという形に逆転した。すなわち、より社会の分業化が進むにつれ、政治を行なう首長、公的儀礼を司る祭司、占いや病気治療等の私的領域をサポートする憑霊型シャーマンへと役割が分化する。

アフリカ狩猟採集民のシャーマニズム
シャーマニズムの定義のもっとも重要な点は,「超自然的存在との直接接触または直接交流」にあるという。

彼らは,超自然的存在と感応する回路を開いている。さらに,夢に代表されるような潜在意識にまで想像力を広げている。感覚を鋭敏にし,意識的な呼吸をおこなうことで,身体と意識を拡張させる。彼らは,このようにして神と出会い,神と対決し,災難や不幸を乗り越えてきたのである。

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