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2007年02月20日

インドネシアの「双系社会」は稲作と関係がある?

インドネシアに関する生きた情報が網羅された大槻重之氏のサイト「インドネシア専科」は読んでいても楽しいサイトですが、その中での「双系」という婚姻関係と稲作の関係性について考えて見ました。

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水田による稲作の特徴は潅漑である。灌漑なくして水田耕作はありえない。大昔の稲作は涌水や谷川の小規模の潅漑に頼っていた。小規模の潅漑といえど灌漑は単独の規模を超え複数の共同作業者がいるはずである。
水田は次第に谷あいから平野へ拡がるとともに稲作社会の高度化を意味する。日本で言えば弥生時代から古墳時代に入る。潅漑を支える共同作業は川を堰きとめ、農地を貫く水路を掘削する。田植えの時期に合わせて取水し、取水した水は満遍なく関係者の水田に行き渡らねばならない。干害に備えて溜池を掘削するのも共同作業である。
自分の畑だけを耕しておればよい畑作と異なり、水田稲作は共同作業を前提としている。バリ島ではスバク(→596)という灌漑組織が農作業を定めている。ジャワ社会ではゴトン・ロヨン(→593)という共同作業に基づく稲作共同社会を形成している。⇒バリの水田
 水稲耕作では農地の広さもさることながら潅漑に使いうる水の量が問題である。川から直接に田に水が導かれるケースは希である。多くはかなり上流から取水されて用水路をへて水は供給される。潅漑施設とはダム、水路、堤防、分水門、暗渠、高架水道、貯水池からなる。時には取水地から10~15㎞にもなる。
日本とインドネシアは同じ稲作に基づく共同社会として共通点(→589)が多いが、両者の農村には相違があるように思う。日本の農村は排他的で《閉鎖的》であるのに対して、インドネシアの農村は人の出入りは自由で《開放的》に見える。
 この差の起因は潅漑のあり方に関係しているのでないか。日本の場合、灌漑用水の必要性は特定の時期に集中することが水争いとなって閉鎖的になる。一方、インドネシアの場合も稲作に潅漑は必要であるが、種まきの時期をずらせることや他の作物に切り替えによって多面的な農業の維持が可能である。インドネシアの農村は共同社会であっても開放されたゴトン・ロヨン社会といえる。⇒ジャワの水田

インドネシア専科
インドネシアでは二毛作、三毛作が一般的で、稲作を行い易い自然環境にあるようです。
また、サイトの記述にあるように、水を引き込む時期をずらすことが出来る自然環境により、灌漑用水の奪い合いではなく相互調整が可能な状況であり、自集団の利益を各集団が考えるとしても緊張関係ではなく友好関係を築ける範囲内で各集団が生きて行ける状況なのでは、と感じました。
男を優先して残さないと集団が成り立たないというような外圧状況ではなく、稲作を行うにあたっては頭数があればよい、とも言えるわけで、また集団間の関係性も闘争関係にはないとすれば、「双系」という婚姻関係が最も自然だったのではと思いました。

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