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2008年04月03日

初期人類から家族あり?

>さらに彼らの一派や少なくない人類学者たちは、狩猟系の未開部族(広域にわたって遠征狩猟を行う)の事例等により、人類はそもそも原始時代より家族を単位に生活していたと考えているようである。(婚姻史をめぐる課題より)
この説を紹介しましょう。『世界の歴史1人類の誕生(河出文庫)』人類社会の黎明より
まず、霊長類の進化の過程で重要と考えられる行動や社会的特性について、ニホンザル~現代の未開狩猟採取民の5者の間の比較を示します。
〔記号〕×保有していない ○保有している △萌芽的に保有している
◎各段階において特に重要
ニホン ゴリラ チンパ 最初の 未開狩猟
ザル       ンジー 人類  採取民
澱粉食                 △   ×   ○    ○    ○
昆虫食                 ○   ×   ○    ○    ○
肉食                   △   ×   ○    ○    ○  
オープンランドへの進出と適応   ×   ×   ◎    ○    ○
狩猟行動                ×   ×   △    ○    ○
採食に関係した道具使用      ×   ×   ○    ○    ○
武器に関係した道具使用      ×   ×   △    ○    ○
道具の製作              ×   ×   △    ○    ○
物乞い行動              ×   ×   ○    ○    ○
分配行動                ×   ×   △    ○    ○
有節言語                ×   ×   ×    ×    ○
火の使用                ×   ×   ×    ×    ○
直立二足歩行             ×   ×   ×        ○
経済的分業              ×   ×   ×    ○    ○
バンド                  ×   ×   ◎    ○    ○
家族                   ×   ×   ×        ○
地域社会                ×   △   ○    ○    ○
部族                   ×   ×   ×    ×    ○

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未開狩猟採取民は18項目すべての要素をもっている。ニホンザルは食性だけ雑食性の傾向をもつが、他の要素は一切もっていない。ゴリラは地域社会の形成の萌芽だけは認められるが、後はすべてもっていない。チンパンジーがいかに人類に近いか物語っている。
さて問題の初期人類だが、チンパンジーに比べて、直立二足歩行と家族の成立を最も重要な要素として挙げている。直立二足歩行はともかく、家族の成立はいかなる根拠に基づいているのだろうか?実はこれが“物語と”して語られているに過ぎないのである。以下のようである。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
最初の人類は熱帯のサバンナに住んでいた。彼らは男女老幼を含む30人くらいのバンドを作っていた。バンドの全員が一つになって移動することもあったが、男たちだけ4、5人で、時には若い少年もまじえて狩りに出かけることもあった。男たちは、女や子供が木の実を食べながら遊動している川辺林から、何キロメートルも離れたところまで獲物を物色しながら出かけていった。
食べ物が豊富な雨季の間は、バンドの全員が一緒に生活していたが、乾季がはじまり食物の入手が難しくなると、6つか7つの家族に分かれて散らばっていった一つの家族の構成は、2人からせいぜい7人程度で、夫婦とその子供から成っていた。大きな家族には、老人やまだ配偶者をもっていない青年たちがくっついていた。乾季の生活は苦しいが、小人数ならなんとか切り抜けていくことができた。
1000平方キロメートル内外の地域にいくつかのバンドが生活していて、一つの地域社会を形成していた。バンド相互は、身内の者の交換によって深められた友好的な関係が成立していた。乾季には、共有する水場や猟場で、違うバンドに属する家族が出会うことがあった。有節言語はもっていなかったが、互いに親愛の情を表わすための挨拶行動を繰り返し、数日一緒に暮らした。両者が再び別れるまでに、一方の若い息子と、もう一方の娘による新しい家族が生れていた。再び雨季がやってきたとき、この若い男は新しい妻を連れて、自分の属するバンドの集合地に帰ってきた。
最初の人類は、狩猟よりも採取に重点のおかれた社会であったに違いない。しかし、数人の協力による猟は、一つの生活様式にまで高められた猟であり、特別な道具や技術や、社会的な男女間の分業も発達していたに違いない。効率の高い肉を手に入れたということの社会的な価値が、下等哺乳動物の時代からずっと続いてきた母系社会から父系社会への切り替えという大変革をもたらし、同時に、バンドの中に家族を生むに至ったのだ
家族の成立について、伊谷のバンド起源説は以下のよう。
狩猟という生活様式によって、初期人類の行動域はずいぶん広くなったに違いない。食物を確保するために、バンドは分散する必要があった。分散した小集団の遊動域はチンパンジーの10倍には達しただろう。熱帯サバンナの雨季と乾季の交代が、家族の形成を生んだのだろう。
もう一つ、直立二足歩行、家族成立同時説もある。直立二足歩行によって、子持ち生活者が群れについていけなくなった、そこでオスがメスを助ける必要ができた。しかし、生活にゆとりがないので、オスは一頭のメスを食わしていくので精いっぱいだったろう。だから初期人類の家族は、現在の未開狩猟民の家族と同様に一夫一婦だったであろう。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
以上、“物語”でした。事実と思える根拠は見出せますか?論理整合性は如何ですか?
初期人類は、樹の上という生産及び防衛上の最適地を失い(樹から落ちたサル)、大部分は絶滅したことが証明しているように、生存すらまともにできないほどの想像を絶する過酷な状況に置かれたことが全く考慮されていない。だから他の動物が住まない洞窟に隠れ住むしかなかった、つまりまともにお天道様の下を歩けるような動物ではなかった、従って狩猟はおろか、採取さえ命がけであったろうことも無視されている。
ともかく、言語(→緻密な知識の蓄積)も火の使用も弓矢ももっている現代の狩猟採取民の社会をそのまま当てはめて、初期人類はこうだったと、あまりにずさん過ぎるのではないでしょうか。
読んでもらってありがとう。
応援よろしく  by岡

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comments

江戸時代でも、将軍家や大名家はまだまだ側室を置いてますよね。
武士の中でも、身分によって一対婚と多妻制があったのでしょうか?
その理由ってなんなのか、気になります!

  • やまこう
  • 2008年8月2日 12:00

確かに、ご指摘の通りですね。
武士層では、原則は一対婚の規範がありますが、一方で側室を持つことも社会的には認められています。
特に権力のある上位層の男は、それが可能だったようです。そういう意味では、厳格な「一対婚」とはいえないかもしれません。
やはり、縄文時代から続く自由な性文化を下敷きにしているので、日本人は一貫として、一対婚文化に染まりきれないような気がしています。

  • koukei
  • 2008年10月23日 22:37

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