2008年04月24日
「子守り歌」は貧富の差がもたらした悲しい歌だった・・・
😀 「京都の農村で村落共同体が、崩壊した時代。」http://bbs.jinruisi.net/blog/2008/03/000374.html koukeiさん
でも紹介されているように、村落共同体が明治以降に急激に崩壊していきました。
その背景には、市場の拡大があります。
次第に自給自足では生活が困難になった農家(小作人)は、労働力にならない 小さな娘を、農奉公として地主等家に雇って貰うしかない状況になりました。(もちろん男児も例外ではない)
娘の主な仕事は、赤ん坊の守りをする事で、身体も未成熟な子供が赤ん坊の面倒を見るという今では想像も付かない事だったのです。
その時代背景がもたらしたのが「子守り歌」です。
これまで「子守り歌」とは、優しく癒される様なイメージでしたが、歌詞の内容と史実を合わせてみると、とんでもなく辛く暗いものだった事を知りました。
😥 こういう現実を、歌で紛らわすしかなかったという娘のつらさが伝わってきます。
🙂 今日は、その子守り歌でもよく知られている「五木の子守歌」を紹介したいと思います。
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- posted by minene71 at : 2008年04月24日 | コメント (1件)| トラックバック (0)