2008年04月01日
婚姻のならし運転!?「ケイコニヤル・カセイニヤル婚姻【長崎県対馬市】」
長崎県対馬市では、嫁入り前の「ならし運転」とも言える様な婚姻様式があったようです。(昭和25年ころのフィールドワークでの報告)
ケイコニヤル婚姻
カセイニヤル婚姻です。
対馬
近代(明治時代)以降、日本でも「結婚」というのが法制化されていきました。
もともと一般庶民は母系制ベースの婚姻形態であり、強制的に父系制に換えていくという事は、なかなか受け入れられるものではなかった・・・。
また、農村や地方ではそれが顕著で、つい最近まで独自な制度・慣習が残っていた事が、色々な書物で紹介されています。
改めてそれらの事象をみると当時の過渡期であることを意味し、母系という安心基盤から抜け、不安な空間でどう馴染んでいくか?(強制圧力をどうするか?)という試行錯誤の現れだったのでは無いでしょうか。
※そうであろう慣習の事例は、このブログでも紹介されてます。
「明治時代、日本の庶民である娘・若者達はデートをして相手を決めていた。」
「寝屋子制度(若者宿)」が残る答志島[三重県]
今日はその「ケイコニヤル・カセイニヤル婚姻」を紹介している「婚姻覚え書き」瀬川清子薯(昭和三十二年)から一部引用したいと思います。
続きを見る前に、こちらもヨロシク!
- posted by minene71 at : 2008年04月01日 | コメント (14件)| トラックバック (0)