2012年05月05日
【世界の神話から見える男女の性】-3~エジプト神話=周辺国家に対抗する神権政治の宗教国家~
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各地の「神話」から民族固有の集団特性、男女関係の特性を見るシリーズ、今回はエジプト神話を取り上げてみます。
1.エジプト神話の背景
エジプト神話は、ピラミッド・テキストやパピルス文書などの解読から得られていますが、エジプトといっても、その歴史は3千年の長きに及ぶものです。その元文献が、どの時代に位置するものなのか、によって、神話の内容や雰囲気に違いが出てくるのは、当然のことですよね。
エジプト神話研究所 主要神話文献リスト&時代
このHPの資料では最も古い神話が、
「宰相プタハヘテプの教訓」
「ピラミッド・テキスト」
の二つです。時代は古王国時代BC2986~2181ですが、実はエジプトの歴史はもっと古く古王国時代以前の時代もあります。
なお、古代エジプトの時代区分は、
マネトーの「エジプト史」(マネトーは紀元前3世紀頃のプトレマイオス朝時代の神官)。後世の学者が「エジプト史」から部分抜粋した内容を知るだけ。さらに、古代エジプト人が書き残した王名表の存在がある
エジプト旅行記 2004
によっているそうですがこれらの時代区分には余り意味がないそうです。
古王国以前の先王朝時代とは、
南風博物館
石器時代の終わりごろに、後世のテーベ近郊のナガダを基点とする「ナガダ文化」が始まった。ナガダ文化にはメソポタミアの優れた文化が大規模に流入してきた。中でもシュメール人による文字文化は、象形文字ヒエログリフのモデルになったと考えられている。(略)
「先王朝時代」と呼ばれる時期になると、都市国家の集合体は領域国家へと姿を変え、それぞれに「神の化身」である王が君臨した。
まだエジプトが統一されておらず、南北に長いその国土の至るところで、小規模な勢力どうしの領土獲得紛争が続いていたと思われる。初期王朝時代に入る寸前には、エジプトは「上エジプト王国」と「下エジプト王国」のほぼ2大勢力にまで統合されていたというが、それは第1王朝の祖メネスが両王国を統一したという伝承に基づいている仮説でしかない。
下エジプトとはナイル川の下流地中海に面した地域、上エジプトとはナイル川の上流の地域です。紀元前2650年頃、古王国時代に統一した際の首都は下エジプトのメンフィスでした。その後中王国(紀元前2040年頃・地中海ではミノア文明)、新王国(紀元前1540年頃・同じく地中海ではミケーネ文明)では上エジプトのテーベが首都です。エジプトはその後アケメネス朝ペルシア、ギリシャのマケドニア人によるプトレマイオス朝を経て、紀元前30年頃にローマに領有されます。
先王朝時代のエジプトの都市には城壁が無かったとする見方もあり
今を知る為の歴史探求 これが本当なら、当初域内部族の抗争はさほど激しいものではなく、城壁が必要なほどの大きな国家間闘争は余り無かったようです。その後次第に激化する国家間闘争に対応する為、古王国時代以降は、神権政治に特化し、巨大なピラミッドや神の名を持つ王などを設けて周辺諸国に誇示したのだと考えられます。その後周辺の戦争圧力は止まることなくエジプト王朝は次第に内陸へと後ずさりしつつ、終いにはペルシア、ギリシア、ローマに征服されたようです。
ぺルラムセス(新王国時代のラムセスⅡ世王都)の創造図;画像はこちらから
※この頃の首都には城壁がある様子。
2.エジプト神話の特徴
①自然神
古代エジプトの最も有名な神、太陽神ラーは、
太陽神ラー;画像はこちらから
ヘリオポリス周辺は、より古い時代に国の中心地の在ったところである。古王国時代にピラミッドが多く作られたサッカラ、有名な三大ピラミッドの在るギザ台地、第一王朝の都として建設されたメンフィスなどがある。だが、時代が進むにつれ、この地域は次第に、政治の中心地から遠ざかる。異国人の侵入を受け、都が上エジプトへ移動した中王国時代(と、いうより上エジプトの豪族が王権を取った時代か)、国の中心地は、もう一柱の太陽神…アメン神の守護するテーベ(古代名はウアセト)にあった。
国の中心地の移動とともに、国家の太陽神としての地位は、ラーからアメンへと代わっていくことになる。
又、同じく太陽神であるアメン神は、
アメン神;画像は;こちらから
古代エジプトの神々は、地域との結びつきが強い。自分の守護する地域が中心となれば、地位が上がる。それまで地方神に過ぎなかったアメンが、急激に国家神にのし上がっていったのには、戦乱期に、アメン神が信仰されていた地域の豪族が、エジプト全土を統べる国家を建設するまでになったからである。
エジプト神話研究所 二つの神話、二柱の太陽神
画像はこちらから
アテン(アトン)神;アメン神から更に変わる太陽神。それにしてもこの形は?!
②動物神
まだ文字は無かったが、紀元前5000年ごろにはもう川沿いに人が住んでいて、動物を神様として崇拝していたような痕跡がある。
エジプト神話研究所 エジプト神話とは
具体的には
・主なワニの神様は、セベク神です。セベク神の聖域は、ファイユーム地方という、大きな湖とその周りに広がる湿地帯でした。湿地帯にはもともと、ワニがたくさん住んでいたので、守護神がワニの姿にされたのは、ある意味あたりまえのことでした。
・カエルの神様は、ヘケト女神です。カエルって、いっぺんにたくさん卵を産みますよね。水辺に揺れる、透明なゼリーに包まれた長ーいカエルの卵、見たことありますか?子供を大切にする古代エジプト人は、これを見て感動し、「いいなあ、カエルみたいにたくさん子宝に恵まれたいなあ」と、いうことで、カエルを出産の神にして、子沢山にあやかろうとしたのです。
・主なフン転がしの神はヘプリ神です。ヘプリはケペルとも読み、この言葉は「魂」を表しています。ヘプリは太陽神の魂の化身でもあり、太陽の虫と呼ばれていました。それは何故か。フンころがしは、丸くしたフンを転がしてますよね。これが、古代エジプト人から見ると、「太陽の卵」に見えたんだそうです。太陽はもともと卵から生まれてますし(創世神話)、…何より、フン転がしは、フンの中に卵を産み付けるさまが、無(動物のフン)から生まれてくるように見えました。そこで、不滅の太陽の魂を象徴する生き物として、フンころがしは神様にされたのです。
・ヘビの中で、主な墓守りの神は、メルセゲル女神です。この女神は黒と黄色で表されており、このまだら模様のヘビは、暗くて涼しいところが好きでした。ヘビの中で、王家の守り手はウアジェト女神とウラエウス女神です。これらの女神たちは、聖なるコブラの神でした。コブラが蛇の中でも特別だという思想は各地にありますが、それは、鎌首をもたげで立ち上がった威嚇ポーズが、凛々しくてカッコイイからでした。
・ヒツジが人間づくりの神になったワケ。雄のヒツジは、かなり生殖力たくましく、毎日でも一日何頭でも、雌のお相手をすることかできたそうです。たくさん子供を作って、どんどん増えていく生き物だそうです。だから、そのイキオイにあやかりたいと、人間の男性がちょっと邪な憧れを抱いたのだそうです。本当かどうかは分かりません。
エジプト神話研究所 第四話 ボクらが神になった理由
③民間伝承の神話
自然神→神の化身(王)という創世神話から発する神話や動物神の信仰とは別に、民間伝承の神話もあります。先に紹介した「主要神話文献リスト&時代」における中王国時代の「ウェストカー・パピルス」は、書かれた時代は中王国ですが、内容は第4王朝クフ王の頃のものです。
クフ王が、大ピラミッドを完成させるために知恵神トトの聖なる呪文を手に入れる物語。神々が第五王朝の王をいかにして認めたか、という、王権正当化の意味も含む。
エジプト神話研究所 主要神話文献リスト&時代とのことです。
知恵神トトとは、
トト神;画像はこちらから
おもにヘルモポリス(上エジプト)で信仰されたが、ほかの地域でも多くの信仰を集めた神である。長い間広い地域で信仰されたため、知恵の神、書記の守護者、時の管理人、楽器の開発者、創造神などとされ、王族、民間人問わず信仰された。そのためある程度の規模を持つ神殿のわきにはトトのための神殿が作られている。多くの信仰を集めた神のため、その神話も多岐に渡る。さらに長い期間信仰されたため、多くの役割を持っている。 創世神の一人であり、言葉によって世界を形作るとされる。
wikipedia
④習合
古代エジプトの神は、動物神、自然神など各地の神々が時の王権と結びつき多く習合するのも一つの特徴です。
ラーはアメン神と習合してアメン・ラーとなり、ホルス神と習合して、「ラー・ホルアクティ」となる。アメン神とは、ナイル川東岸のテーベ(現・ルクソール)地方の大気の守護神、豊饒神。ホルスは天空と太陽の神で、オシリス神とイシス神の子です。
これは王家の正当性と守護神のご利益を重ね合わせて「良い所取り」をしたものと思われます。
⑤婚姻
古代エジプトの婚姻を神話から読み取るのは困難ですが、幾つか特徴を挙げたいと思います。
①創世神アトゥムは両性具有で、自ら男神と女神を生み出し彼らが婚姻(兄弟婚)して次の神を生む。その子らも兄弟で婚姻して次の神を生む。
②古代エジプト王家の王位継承権は王妃が有しており、王妃と婚姻する男が王となる。
王位についても継承権があったのは王女のほうで、王位は基本的に母から娘へと受け継がれていきました。たとえ王の息子であろうと、本来の王位継承者である第一王妃の子でなかった場合、第一王妃が生んだ王女をめとらなければファラオになれなかったのです
古代エジプトを男女平等社会の見本にする
③王位継承のためには妹であっても妻とすることが少なくない。※神話の兄弟婚は現実をなぞっているのかも知れません。
婚姻の規範は、王家に限って言えば女系制(母系出自、母系継承)であり、更にいえば女権制でもあって夫(王)の指名権まであったかも知れない。こうした女性の比較的高い位置を長く継承したことは、男系社会と異なります。例えば、最後の王権は有名なクレオパトラで、間に男王やその他の女王を挟みながらも7世まで女王を繋いで最後は敗れてローマ帝国に服属します。
3.天空神と地母神
古代神話においては地母神信仰と天空神信仰があります。エジプトにおける地母神的な神は、ネイトと呼ばれる古い神です。
ネイト神;画像はwikipedia
ネイトをエジプト創世神話の原初の水を擬人化したものとみなすことがある。その場合、ネイトは創世の大いなる母神とされる。
後のオグドアド神話においては、ネイトはラーとアペプの母とされた。ナイル川の水源とも結び付けられた。
ネイトがヌンの原初の水域から最初の大地を作り出したことが記録されている。ネイトが考えて生み出したものには30柱の神々も含まれる。夫とされる神は知られていないため、ネイトは「処女の地母神」とされてきた。
ネイトは古代ベルベル人による北アフリカの文化で信仰されていた女神タニトと同一視された(最古の文献にある)。タニトはまた、ディードーが建設したカルタゴを発祥とするフェニキア文化でも信仰された。タニト(Ta-nit)はエジプト語では「Nit (ネイト)の土地」を意味する。タニトも軍神であり、処女の地母神であり、豊穣神でもある。その象徴はエジプトのアンクに酷似しており、南フェニキアのサレプタから発掘されたその神殿には、フェニキアの女神アスタルト(イシュタル)とタニトを明らかに結び付けている碑文が見つかっている。ヘレニズム期にエジプトを約3世紀に渡って支配したプトレマイオス朝は、紀元前30年にローマに征服された。この間、小アジアからエジプトに移住した人々がアノウケという女神を信仰していた。
wikipedia
地母神に対しては、天空神の信仰があります。一般的に、地母神に対して天空神に男神を求め、地母神の農耕民、天空神の遊牧民として、それぞれ母系制社会、父系社会へと敷衍する考え方もあるようですが、古代エジプト神話の天空神はヌトで女神です。
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他の民族が容易に男の制服力に継投していくのに対して、エジプトでは女性を高い位置に置く宗教観があり、政治体制でも婚姻制でもその様な価値観を護持し続けたようです。
4.まとめ
これまでの検討を踏まえると、古代エジプト社会(神話世界)は母権的で神秘的(宗教的)であると言えるでしょう。又多数の守護神を持つ部族を神の化身であるファラオが統合する統治形態は、こうした母権社会でありながら力の強大さを併せ持つ必要性、つまり地中海や西アジアの国家間の戦争に対抗したものと考えられます。
ピラミッドや神の化身であるファラオ、多数の神官と神殿で行なわれる祭祀、ミイラなどの習俗などは、周辺の略奪国家からすると畏敬の念を抱かせる程に特異で神秘的なものであったと思います。又王位を継承する際の王女の役割、地母神、天空神に女神を配する女性観も特徴的で、古代エジプトは神の力(宗教の力)と女権の力によって周辺国家に対応する統合力と外交力を有したのだと考えられます。
しかし、国家間闘争の本質は武力と策略です。強ければ何でも許されるギリシア社会とこれを受け継ぐローマの軍事国家の前に、何時までもこうした神権政治が成り立つわけもなく、結局は滅んでしまったのだと思われます。
(以上)
- posted by saito at : 2012年05月05日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
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