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2013年03月21日

【共同体の母胎は女子が生み出す充足空間】~3. 充足空間をみんなで共有☆

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前回記事では原始人類の集団に着目し、極限状態においては共認充足が人類の命綱であったと紹介しました。(⇒コチラ )女が生み出す充足空間があったからこそ、500万年近い極限状態で生き延びる事が出来たんですね 改めて・・・女性に感謝です
前回記事に引き続き、今回も女性が生み出す充足空間に注目しますが、極限時代以降の充足空間はどうなっているのでしょうか 今回紹介するのは主に採取生産を営んでいる集団になり南国の集団が多いです。この集団の営みを知ると、我々としては度肝を抜かれる内容もあります 🙄 みんな素直だな~と感じるのではないでしょうか それでは世界の未開部族を中心に3つのテーマで紹介していきます。

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■性はみんなで共有
○タヒチ/観光地化される以前の話

タヒチでは子供から老人にいたるまで、日常生活の大部分が、セックスに関するものであると言われる。つまりセックスはすでに生活の一部になりきっているのである。それだけにタヒチの子供たちにとって、セックスは決してタブーではない。娘が一二、三歳になると、母親は、みずからの体験を交えながら微に入り細にわたって教え込む。一方、男の子の方でも、思春期に達すると、父親によって、女の子に対すると同様の性教育が行われる。父親は、主として成熟した一族の女性を連れてきて、現実的な性教育をしてもらう。

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○トロブリアント島(ポリネシア諸島の一つ)19世紀初頭の話

彼らの遊びは、森からとってきた果物やビーズ、キンマや椰子の実を互いに交換し、それからどこかへかくれてセックスする。そうかと思うと、家造りをしたり、ままごとをしたり、夫婦ごっこをしたり、または一団となって年長者をまねて“愛のピクニック”に出かけたりする。

○コンゴ奥地バクツ部落(時代不明)

バクツ族は一夫多妻制であるが、そのセックスの相手は必ずしも夫だけとは限られない。そのような社会環境と同時に女性は多く子供を生めば生むほど、つまり子供が多ければ多いほど、部落内で尊敬される。したがって、たとえ他部族の男性であろうとも、バクツ族の女性は躊躇なく求愛の行動を取る。
先進国と呼ばれる多くの国等では性は秘め事となっています。社会然り、家族然り・・・。しかしここでは、みんなを繋ぐ重要な要素として『性』が集団に根付いている事が伝わってきます。すごいです。。。一方で感じるのは、何故これほどまでに性を共有できるのでしょうか その背後には何があったのでしょうか





■性を肯定する社会
○トロブリアント諸島の母系社会(時代:20世紀初頭)
性について、きわめて規制がないと人類学者であるマリノフスキーは報告しています。子供たちは、性について隠されることはなく、大人の性行動を観察し、性の話を聞いて育ちます 女性の性行為は、初潮が始まる前からおこなわれるそうです。

○エスキモー族の風習(時代:不明)

セックスについての彼等の見解は、実にあけっぴろげであったという。純潔を尊重する習慣もなかった。少女が妊娠しても、その相手である可能性のある男性数名全員が、結婚を承諾するのが普通であった。お腹が大きくなったということ、子どもが産めるということを実証したことになり、歓迎されたのである。

○アマゾン奥地のヤノマミ族(時代:現代)

男は狩猟をし、森を観察し、儀式をします。女は畑仕事をし、魚を取り、料理、出産、育児、集団を育てるのは女の役割。とにかくどんな時も楽しんでいて「アハフー」と笑いがたえないんです。住まいはシャボノという巨大な家に50人~200人規模で住んでいます。だから食べている時も、寝ている時も、セックスも丸見えの生活。性は一応秘め事としているけれど、家に間仕切り壁が無いので声や音はつつ抜け。性対してにおおらかでみんな仲良く受け入れあっています。

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■充足空間が男と女の活力へ繋がる
○ネイティブ・アメリカン 
「女性を愛し、大地は女性なのだと教えられ育ってきた男たちは、大地と女性を同じものだと考えている。それこそ本当の男なのだ。生命を産むのは女性である。」
これらは「女性賛美」の言葉の一部であり、性市場のように「女の性的価値」に左右されることなく、全ての女性に贈られた言葉です。ネイティブ・アメリカンの男達は、男よりも女を敬い女が民族の支えであることを理解しているのです。

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○ポリネシア原住民
 
兄妹婚では、生殖関係が氏族内部で完結しており、生殖可能年齢(成人)の氏族内男女であれば、ほかに何の制限もなく交わり合う集団婚の原型と思われます。闘争・生産・生殖が一式揃った自立した単位集団で、幼少時から集団内の役割を分かち合ってきた兄たちと妹たちが、性の役割も分かち合うのは更なるプラスで、そのセックスはとても楽しいものであったことということが、オープンな性生活の風習からも偲ばれます。





活き活きしてますね~ みんなで課題を共有しているあたりがいいですね 🙂 そして集団の営みについて一緒に考えていると伝わってきます。そうして考えると今の社会は何か、ちぐはぐな印象があります。生活して行く中でのあらゆる課題が切り離されているように思います。


ここで一つ、るいネットから記事を一つ紹介します。
「性・婚姻をどうする?」は統合課題
人類極限時代においても、採取時代においても「性・婚姻をどうする?」という課題は「集団の皆の充足(⇒活力)をどうする? 集団の統合をどうする?」という位相の課題であった。(極限時代の首雄集中婚も、採取部族の交叉総偶婚も、その時々の外圧状況に応じて集団統合をどうする? という現実追求から生み出された形態である。日本における夜ばい婚も村落共同体の統合システムだった。)
集団(⇒社会)の最基底には男女統合(男女の役割をどうする?(性を含む)皆の充足をどうする? 生殖・子育てをどうする?etc)の地平がある。性・婚姻は、集団(⇒社会)の根底的な統合課題であるという認識がまず必要なのだと思う。




本日紹介した集団の営みを見ると、一見性を謳歌している生活とも捉えてしまいそうです。しかし、性を共有できる背景には、性について向き合う事=集団の最基底の追及を経ていた事実があったことに驚きました!また集団を自然外圧という切り口で捉えると外圧が高い状況において、狩猟生産を営んでいる部族のみんな期待は獲物確保⇒闘争性へ向います。一方、外圧が緩い状況下では、食料は確保できているので『みんなで充足するには?』に向っていきます。だから性、婚姻という課題が存在しているんですね



次回は舞台をかつての日本に移して、「女性が生み出す充足空間」に焦点を当てて分析していきます。
お楽しみに

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