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2013年05月03日

【共同体の母体は女が生み出す充足空間】~5.受難の時代(共同体みんなの充足空間が消失、自我独占の性が迷走)

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女が作り出す充足を命綱にして奇跡的に500万年間の洞窟時代を生き延び、約2万年前に弓矢を発明してからは、女と充足空間を日常的な共同体の活力として育み(男は育まれ)、共同体成員のみんなの期待の結晶物としてのイベントである「祭り」をはじめ、共同体の求心力を形成してきた人類ですが、5000年前に中東から西洋で始まった掠奪闘争(戦争)がその遼火を世界中に広げるにつれて、世界中の共同体は破壊されていきました。
日本においては明治時代以降に急激な変化が訪れます。
「共同体の充足空間」受難の時代です。

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●根底の変化(共同体みんなの「充足期待」から、家・個人の「私権獲得期待」へ)
明治時代、西洋から市場開放の武力圧力が加わるようになって、日本は欧米列強と対峙できる富国強兵政策に舵を取り、官僚や財閥を育成するとともに、税制を米による「年貢」から「お金」に替えて個人レベルでお金の圧力を掛けた上で絹や綿などの商品を造る工業生産を導入し、農業生産物と工業製品商品との価格格差によって豊かな豪商や財閥と、一方で、貧しい工業生産従事者が生み出され、元々は自給自足で共同で助け合って生きてきた日本は、私権を獲得しないと生きて行けない社会に変貌していきます。
村落共同体では、庄屋など村のまとめ役であった富農は商売を始めて市場経済に取り込まれていくとともに、共同体の共同性や充足性よりも私権獲得に可能性を感じた「ハカマギ」と呼ばれた一部の者は高等学校や大学で西洋流の考え方を履修して官僚や商人となって共同体を離れていきます。
一方で、食べていくために、女子は村落を離れて工業生産や都市のサービス業に従事せざるをえなくなり、村落共同体は徐々にその核心部分を失って崩れはじめます。
※ハカマギとは?

明治時代に文化人・エリートたちの多くは、「ハカマギ」などと呼ばれて村落共同体を離脱して(のけ者にされて)都会に出てきた者たちです。財はあっても男女和合の関係からは疎遠で、共認非充足の存在であり、西欧流の先進思想を自身の売り物にするしかなかったわけです。

  ブログ:感謝の心「現行の『婚姻制度』その中身と成り立ち」から引用
※村落から若い女がいなくなっていく様子

昭和10年頃に明石、印南、美嚢、加東、加西、多可、有馬、多紀、津名の諸郡で、若い衆たちを動因して、特定のムラで夜這いにいけるカカア、ムスメ、女中、などの調査をした。「あれは女中、女工に出ている」などと削除・・・・・しかし「女学校」とか「女工」などとはっきりしないでムラから出て行っている娘が案外多いこともわかった。殆ど、都市の親類の家とか兄姉の家、伯父淑母の家へ手伝いに行っているなどというが、実情は、マチの会社、商店などへ事務員、販売員として勤務、「マチで結婚する計画」というのが多いとわかった。それまでのような丁稚制が崩れ、小店員制に変わるとともに女店員制も発達、百貨店その他、女事務員、女子車掌、女子販売員などが急増、もう女工、女中の時代は終わっていた。ムラには表向きは夜這いに行ける娘が満ち溢れていたのだが、実際は殆ど本籍を残したまま都市に寄留してしまっていたのだ。・・・夜這い社会も急激な変化を起こしていたのだ。

  赤松啓介著「夜這いの民俗学 (6)ムラを離れる女たち」から引用
こうして、共同体のみんなの充足の世界から私権獲得に可能性を掛けて離脱する人たちが増えていきましたが、決定的だったのは、戦後のアメリカ支配の下で一気に市場化(工業生産と都市化)が進み、仕事と娘を追って若い男達も都市へ流出。村落共同体は崩壊(正確には破壊されて)してしまいます。そしてまた、村落共同体の中で育まれてきた女の充足空間も消滅してしまったのです。
(たとえ法令による禁止令が出されても)自治を重んじて1960年代まで続いたと記録されている村ぐるみの祭りやおこもり、夜這いなどの習慣は、村落に高齢者しか残らなくなって消滅し、おこもりや夜這いなどは、さもそういう事がなかったかのうように、もはや語られることさえ無くなってしまいました。
●女は独占、性は隠蔽されて、女たちは充足空間を作れなくなった。
共同体みんなの充足よりも私権獲得が第一になると、女と、女が作り出す充足空間は共同体みんなのものではなくなり、女は私権価値として、(私権第一の)男たちがバラバラに独占していく事になります。そうなると女としても私権獲得のためにできるだけ私権優位の男に独占される必要があり、性充足は駆け引きのためにできるだけ隠蔽されたものになっていきます。
村落共同体では一般的に家(父系の苗字)はなく、(あっても形式的なもので)「一族」が充足空間を共有して暮らしていました。母系ともよばれますが団体婚とか共同体婚とも呼ばれる充足空間です。明治以降は父系の「家」単位、戦後は「個人」単位に分解されていくに従い、女たちはバラバラになり、かつ、性を隠蔽してしまったために充足空間をつくる事ができなくなっていったのです。
●市場拡大と恋愛
明治時代の富国強兵政策ばかりでなく、戦後の民主主義国家でも(そして現代でも)市場拡大によって国が富む(正確には、国家に金を貸す「金貸し」が儲かる)のは絶対的な命題になっています。
そのために、市場拡大の障害物である村落共同体が破壊されていっただけでなく、市場拡大の原動力を作り出す必要がありました。それが「恋愛」でした。
実際、明治時代から恋愛小説、恋愛歌謡、恋愛映画・ドラマetcが絶えまなく喧伝され、恋愛の華やかさを盛り上げるレストラン、カフェ、ホテルが流行り、必ずしも必要でないにもかかわらず衣類や自動車が売れて市場は拡大していきました。
※西洋人は「神」に替わって「恋」のために働くようになったようです。

要するに、西欧近代は性的禁止を強め、さらに女には性欲がないことにして、素人娘や素人女が結婚しないで、またはお金を取らないで気軽に男と寝ないようにした。性欲を満足させようとすれば、清純な乙女を相手にするにせよ、売春婦を相手にするにせよ、きわめて高くつき、お金をたくさん使わなければならず、そのお金を稼ぐため、常時働いていなければならないという状況に追い込まれたのであった。これは、言うまでもなく、資本主義社会を支える重要な前提条件の一つである。・・・かつて神のために働くことができたのと同じように、恋のために働くことができるのである

  るいネット「資本主義とセックス」から引用
※明治初期、福沢諭吉(一万円札の人)は個人の恋愛を志向した発言をしています。

 「一夫一婦ともに老いて同じ墓に入るを最上の倫理と認めるべし。表向きの縁談なればとて当人の気の進まぬものを強いるは娼妓に売るのと変わらない。わが国の男女を憂鬱と殺風景から脱するには両性交際を自由ならしめ、相近づきて相見る集会の仕組みを設けるべし」

  るいネット「日本人はどのように恋愛を受容してきたか」から引用
●恋愛のからくり(独占・自我の性の美化)
恋愛は、性が隠蔽されて充足が開かれない空間で、恋愛状態の男女2人の間だけが充足を独占しているという状態で、2人が相互に相手を至高なものと思い込む事で充足する自我の性がエネルギー源になっています。従って、そういう思い込みを成立させるための装置として恋愛ドラマが必要で、西洋ではルネサンスの恋愛小説から700年の歴史がありますが、日本では100年、庶民に広がったのはせいぜい50年前です。
恋愛小説では、主人公が死んでしまう事がよくありますが、これは自我独占の性が見苦しいので、さも死に値する高尚なものであるかのように美化するためのトリック(思い込み)なのです。
●貧困の消滅→私権圧力は衰弱⇒あそび収束→女の価値のバブル化と衰弱
1970年頃に日本では貧困が消滅し、人々を私権第一に縛り付けていた圧力は消滅して替わりに充足志向の潮流がうねりはじめます。
遊びが第一になり、その充足の核心である恋愛はどんどん華やかになっていき、女の性的商品価値は暴騰、80年代には、女は、有無を言わさず男を従わせる「性権力」の状態になりますが、以下の遊びと恋の流れをみると、お金を掛けて恋愛を盛り上げたものの、40年で萎んでいったとみた方が正しいようです。
60年代:ダンスパーティーブーム
70年代:同棲 スキー、ボーリングブーム
80年代:マドンナ政治家 性権力 ディスコ バブル、挑発・露出
90年代:性の低年齢化 援助交際 セックスレス(大人)低温恋愛(若者)
00年~:草食化etcの性の衰弱(若者も)、遊びの終焉
※といっても、知らない人も多いのでビジュアルで見てみましょう。
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80年代末のディスコの女たち、火花を散らして競いあっていますが、恋愛が虚構である事がだんだんばれていきます。
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80年代末の華やかなクリスマスプレゼント。インタビューで女がプレゼントに欲しいものは「キャッシュ」・・・そうまでして恋愛するの?という疑問がわいてきます。
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90年代末のドラマ「失楽園」不倫があたりまえになってきた時代に、見苦しい不倫を死をもって美化したストーリー。不倫を美化したらもう後がないのでは?
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現代でもこういう恋愛が続いているようですが、形だけで嘘っぽいですね。(女性は眉間にしわがよっています)
●迷走そして・・・
明治以降、世界的な市場拡大の圧力の中で、日本でも、共同体みんなの充足期待から私権獲得期待へ転換。女の充足空間が活きる共同体が衰弱し、女は私権価値として取引、駆け引きが第一になり、性は隠蔽・独占、そして、恋愛観念の刷り込みによって卑しい自我独占の性が美化され、一方で、開放的な性が卑しいものに貶められてしまいました。
70年代、貧困が衰弱しても、もはや戻るべき(充足のある)共同体はなく、恋愛(自我独占)のフレームのなかで充足を盛り上げようと迷走・バブル化し、40年で恋愛は萎んでしまいました。
むしろ、00年代からは、社会不全、経済危機、大震災・・・もはや、遊んでいる場合ではないという意識が主流になっています。
そして・・・(充足も闘争課題もある)共同体企業が注目される時代になった!?

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