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2013年09月19日

【家族って何?】シリーズ2.村落共同体という集団形態~日本の農村における村落共同体とは?~

今回は、「家族」という集団単位になる明治時代より前の、農村を中心とした「村落共同体」という集団単位で長い間生活していた様子を見て行きたいと思います。
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画像は、ここ からお借りしました。
まず、最初に唐突ですが、
「あなたは、他人の子供をわが子のように育てられますか?」
と聞かれたら、あなたはどうお答えしますか?
他人の子供に口出しするのさえ躊躇・気が引けるのではないでしょうか?増してや育てるなんて・・・。
子供が好きで保育士になられた方も、実際は、子供に気を使い、思うように接することができず、時によっては親御さんから叱責を受ける・クレームになることもあるようです(リンク)。
また、親御さんも子育て不安からノイローゼや幼児虐待に至ってしまうケースもあります。
親が遠方であったり、職場や地域で相談できる人がいない若しくは少ないことが原因のように思います。
親にとっても子供にとっても、すごく閉塞感を感じます。そんな中で、子供はすくすく健やかに育っているのでしょうか?
子育ての最小単位、原点が家族のように思われていますが、
家族という制度・形態が出来て、実は100年足らずなのです。
リンク
では、その100年前の江戸時代ではどうだったのでしょうか?
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■子供は、村の宝
真っ先に思い出すのが、
飛騨白川郷事例です。
飛騨白川郷の大家族の家々では、…
共同体では、子供はみんなで育てる リンク

 仕事を終えて家に帰ってきた母親は、まず泣いている赤ん坊に乳を飲ませる。それは誰の子でも差し支えない。その赤ん坊が満腹して泣きやみ、まだ乳が出る場合には自分の子に飲ませる。だが、前の子に充分飲ませるために、自分の子が飲み足りないことがある。すると次にやってきた母親に自分の子供を渡して、乳を飲ませてくれと頼み、また働きに出かけていく、といったふうであった。

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自分の子どもという拘りがありません。
なぜなのでしょうか?
それは、『子供は、村の宝』だったからです。
将来の生産活動の担い手であり、みんなに期待されていました。
実際、実の父母だけを対象にオヤコと呼ばなかった事例などもあります。

 日本の農村の半分以上は親類のことをオヤコと呼んでいた。…
現在のように家族の父母に限ってオヤと呼ぶことは、かなり新しい現象である。・・・
外圧を前にして、生産を第一課題として統合されていた共同体内では、成員それぞれに役割・課題も与えられ、オヤとコの関係は解脱・闘争など多重の紐帯で結びついていて、濃密であったと思われます。オヤに対するコの信頼感も今の親と子の関係よりもはるかに高かったに違いありません。また、数十人といった規模の共同体では、成員どうしお互いの関係も多重であり、現在の親子関係よりもはるかに人としての充足感(共認回路の充足)も大きかったに違いありません

こんなにも○○親ってあったんです。

【誕生前~誕生直後】
・帯親(妊娠五ヶ月目に締める岩田帯を贈る人)
・取り上げ親(産婆とは別に出産に立会い、臍の緒を切る人)
・抱き親(出産直後に赤子を抱く人)
・行き会い親(赤子を抱いて戸外に出て、最初に出会う人)
・拾い親・貰い親(丈夫に育つよう、形式的に捨てた赤子を一次的に拾って育てる人。後日、実親が譲り受ける)
・乳付け親・乳親(生後2日間、お乳を飲ませてくれた女性)
・名付け親(三日祝い・七夜の祝いなどのときに名前をつける人)
【生後数年間】
・守親(4,5歳まで面倒を見た子守役。6,7歳で子守奉公に出される子供も多かった。)
・帯親(3歳ではじめて帯び付きの着物を贈る際に帯を贈る人)
・帯解き親(女子7歳の帯解きに立ち会う親成人~結婚)
・へこ親・回し親(成人式にふんどしを贈る人)
・前髪親(男子が前髪を落とす成人式に立ち会う人)
・烏帽子親・元服親・具足親・鎧親・お歯黒親・カネ親・筆親(武家の元服時に立ち会う人)
・毛抜親(古く女子の成人式で、眉毛を抜く人)
・杯親・仲人親(婚礼時に仲人を務めた人)

■生産と生殖が一体、性の充足を第一に
オヤコ関係だけで無く、『村落共同体』での生産活動と生殖が一体であったことが挙げられます。
婚姻制度も『夜這い婚』など、性の充足を第一に、みんなの充足をどうする?という課題を担っていました。
村落共同体の皆が分け隔てなく「性」の充足を得られていた リンク

 古来日本は母系制社会であり、夫婦関係は妻の元へ夫が通う「妻問い婚(通い婚)」と呼ばれる形態を取っていました。特に各地の村落共同体では、一夫一婦制の概念は無く、重婚や婚姻関係に関係なく交わる夜這い(婚)が当たり前でした。
「夜這い婚」の最大のポイントは、村落共同体の皆が分け隔てなく「性」の充足を得られる点にあり、その充足が共同体運営(=生産活動)の活力源となり、また共同体意識の紐帯となっていました。
日本の農村共同体とは、この夜這い婚による性充足の共有の元に成り立っていたと言っても過言ではありません。

『妻問い婚(通い婚)』『夜這い婚』・・・・・・
結果的に誰が父親か解らないということがおきますが、村全体の子供という意識があれば、誰が親かということは、さほど大した話ではなかったのかも知れません。
そもそも個人課題は殆ど無く、婚姻制度も含めて、共同体を(集団で)どうする?と全体課題をみんなで担っていました。
■村落共同体に委ねられていた集団自治
江戸時代の思想 共同体に立脚した江戸幕府 リンク

 江戸時代までの権力者は、最低限必要な法度等を定めるのみで、後は大衆の共同体の自主管理に委ねていた。

「自らが村を守っていく自主性」を育んだ共同体教育 リンク

 江戸時代までの(地方によっては、昭和の20年代初期まで残った)農村地域の共同体には、少年少女を一人前の男、女に育てる仕組みが備わっていました。地域における祭礼や芸能・消防・警備・災害救助・性教育・婚礼関係まで様々な役割を担わせ、「自らが村を守っていく自主性」を育んでいた

寄り合いによる方針決定・統合 リンク

 男達は村内の課題や対外的課題の方針を出すために寄りあいに集り、伝えられる伝承の内容に照らし合わせて方針決定を行っていました。方針を出すためには、何日もかけて徹底的に話しあったといい、このような寄りあいによって村の秩序を守り、村を統合していたと言えます。

■江戸時代の村落共同体のありよう
生産基盤である土地の所有、国に納める年貢(課税)も個人ではなく、集団単位であり、自治も村(集団)に任されていました。
農民自治の広がり リンク

■土地は村が所有していた
江戸時代は、土地は検地帳に登録された百姓(名請人)の名義になったのですが、それによって個人の私有地になったわけではなく、村が所有していた。
■村の自主性を育んだ「村普請」
「年貢割付状」は村単位に宛てたもので、村全体の納入額と割付の原則を示すだけで、あとの個別の割当・徴収は、すべて村に任せてあった。
年貢は領主が一方的に決めて百姓から有無を言わさず搾取するというものではなく、領主が提示した額を百姓が了承して請け負うという形を取っていた。

多様な役割 リンク

■村落共同体としての村の多様な役割
○教育――人は村の宝
江戸時代の乳幼児死亡率は現代よりはるかに高く、子供が無事に成長することが、まずいちばん大事だった。
7歳を過ぎた子供たちは「子供組」という集団を組み、大人の指導下にさまざまな行事をおこなった。
15歳になれは、一人前の村人として認められ、男は「若者組」、女は「娘組」に属し、それぞれの仲間の交流を深め、集団の規律を学んだ。
○社会的な弱者への互助・救済のしくみ
村は、老人・病人・孤児・寡婦など、社会的弱者・困窮者に対する保護・救済機能を持っていた。

■時代の変遷に伴う、家族構成(住まい方)の変遷
江戸時代における農民の家族構成 リンク 
夫婦家族(夫婦のみ)
直系家族(夫婦と子供、祖父母)
複合家族(複数の有配偶子、下男・女、奉公人が同居)
という大きく3分類で、
江戸初期→中期→後期と進むに連れて、複合家族はほぼ0に、夫婦家族が多くなっていきます。要因としては、生産力の向上により、大家族から、独立した小農が世帯を形成したことによります。また、皆が結婚が出来るようになったのは、江戸時代の中期以降~だそうです。(参考:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=270539 )
■まとめ
生産基盤が主要には農業ということもあり、水の管理から田植え、稲刈りとどこを切っても一人や一家族では担えなく、村総出で行う必要がありました。そこでは、家族が一単位ではなく、村という共同体全体で一単位であった。そして、上記で述べてきたように、生産基盤だけでなく、生殖、あらゆる行事や決め事、教育して、充足も全てが包摂されていた。村の苗字が同じだったりするのも家は別になってもその土地に住み着き、共同体全体で一単位であったことの名残なのでしょう。屋号はあったが、家族という言葉がなかったことも象徴的です。
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画像は ここ からお借りしました。
次回は、
2.父系家族の登場~明治時代の家制度、家父長制~
明治時代に制定された「家制度」とはどのようなものだったのか?また同時に「村落共同体」が解体されていったのは何故だったのか?それでも農村では容易に受け入れることができず、夜這いなどの風習は昭和初期まで残り続けた。

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