2013年09月19日
なんで日本だけセックスレス!? 世界と日本はこんなに違う!
前々回は、日本人が西洋風の恋愛観念に染め上げられ、共同体の開かれたみんな充足の性から、自我・私権の閉ざされた性へと転換していった構造を整理し、( 明治・大正・昭和の都市住民を染め上げた恋愛観念はどのように広まったのか? )
前回は、日本で、私権社会の崩壊に伴う収束不全から、性が脇に追いやられ、セックスレスが進行している現代の状況を見てきました。 ( 平成セックスレスの原因 ~それどころではない!(>_<;)~ )
今回は、日本と外国とのセックスのとらえ方の違い、充足の違いについて考察してみたいと思います。
避妊具の大手メーカーDurex社のセックスに関わる国際比較調査 によると、「日本が突出してセックスレスかつ満足度が低い。」というショッキングなデータが示されています。
日本では何故、先進国でも突出して、セックスレスが進行してしまったのでしょうか?
Q.さて、唐突ですが、貴女は、外国人とセックスしたことがありますか?
「渡辺ひろ乃の世界20カ国でヤッちゃった」という本があります。
彼女は、女子学院高等学校から慶應大学を卒業後、数年間外資系金融機関に勤務して退社。以降、「世界一いい男と、世界一きれい海のそばで、暮らしたい!」と、世界20カ国約400人の外国人男性とセックスした体験をまとめたものです。
この本によると、セックスに期待するものは、国によってかなり違っているようです。驚くべきことに、日本とは比較にならないほど海外の性は自分本位な性だったのです。
国別に見てみましょう。
[オーストラリア]
国土は日本の約20倍。人口は日本の東京都民とほぼ同じ。オーストラリアにはカップルや独身者用のアパートはほぼ存在しない。寝室は3~4つは当たり前で大きな一軒家をたとえ夫婦でも友人を交えてシェアするのが当たり前。
リビングにはいつも複数の人で賑わい、自宅はまるで学生寮のよう。そんな状況で男女が二人きりで愛を育むような文化は発達しないのでしょう。二人きりでベッドルームに篭ろうとしても外から遊びの勧誘が容赦ないほど。いざセックスの場面になっても、いたって単調で前戯もそこそこで用がすめばあっさり終了という。
オーストラリアの男女にとってセックスは、「できるだけ大きいペニスをできるだけ長く挿入していること」という認識。日本のように恋人同士が全身全霊で愛情を表現する習慣はありません。愛を育むためではなく、スポーツ的な、発散的な要素が見受けられます。 先祖は他国から来た囚人であり、根無し草。小さい頃から心が開ける対象が少ないという気質が影響しているのでしょうか。※注参照
※注)1788年から流罪植民地としてイギリス人の移民が始まった。初期移民団1030人のうち、736人が囚人でその他はほとんどが貧困層の人間であった。また、当時は軽犯罪でもオーストラリアに流刑されたという。Wikipedia
[ドミニカ共和国]
ドミニカ共和国の男女は共にドミニカ人とは結婚はしたがらない。理想の結婚相手は日本人だという。
ドミニカでは数回のセックスは当たり前で、口を開けばすぐ「結婚してくれ」と言うそう。
ドミニカ共和国では親しい友人が家に遊びに来ても絶対に自分の部屋に入れることはないそうです。テレビが見たいといわれれば、テレビを外まで運び出すほど。
「80%のドミニカ共和国人が自分の家には他人を入れたくないと思っているはず」と現地の人が言うほどだそう。焼き餅焼きで1日に何度もセックスをしないと不安でたまらないのも、パートナーを信頼していないからでしょうか。
先祖には海賊が多いと思われるカリブ海地域。略奪が頻繁で相手を信頼するより、警戒心の方が強いのでしょう。相手に心を開いて充足という形にはならないのは、国民性でしょうか。
[イタリア]
イタリアの経済は欧州の中でも際立って不安定。失業率は北部で約7%南部で20%を超えています。
イタリア男性の物事を考える順番は「女、ファッション、金・仕事」。
彼らは狩猟民族の先祖の血をヨーロッパで最も色濃く受け継いでいるようで、すれ違った女性がタイプであればまるでハンターのように見つめています。
彼らの獲物への情熱は飢餓への恐怖の裏返しなのでしょう。
古くから金貸しの国であるイタリア。相手をだまして何ぼの世界。
やったもん勝ちという意識の中では、対象に心を開くという充足には向かわないのではないでしょうか。
以上のように、私たち日本人が自我っぽいと思っていたことと、
本場の自我の性は全く次元が異なっていました。
日本人は一対婚に向いてない!?
そして、海外40カ国であらゆる人種と地球規模の「婚活」をしたという渡辺ひろのさんが、30歳で結婚したのは九州人だったのです。
自分自身を何もかも言葉で表現していかなくてはならないヨーロピアンとの議論型恋愛に疲れた頃、黙っていても気持ちを汲み取ってくれると感じさせてくれたのは日本人だった、と本人は語っています。
しかし、彼女は熱烈な恋愛結婚後、子どもも授かりましたが、家庭生活は上手くいかず、あえなく離婚、シングルマザーになったそうです。
5年間の世界放浪中、私は各国で男性とその家族から手厚くもてなされていました。彼らは、時折下心を見せながらも、自分の国を、また自分との出会いを楽しんでいって欲しいと、私の滞在をサポートしてくれていたのです。
貧しくとも、人と真心が触れ合えば、人生は素晴らしく温かい、と彼らは教えてくれました。
旅の間は、透明な海に浸り、純真な人々の心に涙し、熱い男根に濡れ、異文化の壁に泣き……と一生分かと思うほどの水分を心身に浴び、終始、潤っていたのです。
男女の恋愛の結末には、「感謝の別離」と「憎悪の終結」の2種類があります。
感謝の別離を幾度となく繰り返した私は、母となり、人生の新しい楽しみ方を発見しました。
恋する男性と絶頂を迎えることだけが悦びだったのに、子どもが努力して習い事コンクールに優勝すると、絶頂時より涙が止まらなくなってしまうのです。リンク
彼女の本やサイトを見ると、冒険心に富んだ、愛情豊かな、そして非常に聡明な女性であることが伝わってきます。そんな彼女が世界中の男性と真剣な交際を重ねた末に選んだ男性が日本人であったこと。それでも夫婦生活はうまく行かなかったということからいろんな事を考えさせられます。
動物的な強い刺激を求める国や、独占や征服欲に強い執着心を示す国など、一対婚の歴史が長い国と、日本のように夜這い婚などの集団婚が比較的最近まで続いていた国では、セックスで得られる充足そのものが違うようです。
日本が突出してセックスレスなのは、セックスによって、得られる充足が、世界では独占や支配といった自我の充足であるのに対し、日本では、一体感や同化といった共認充足だからではないでしょうか。
自我の性であれば、閉ざされた一対関係が適していますが、共認の性では、性の充足も皆と共有する開かれた関係が適していると思われるからです。
それは、縄文時代から戦後まで、夜這いの性充足のように、日本は一対の性よりも、開かれた性関係の歴史が長いため、未だに意識の根底に残っていると考えられます。
現在は、明治以降、市場経済とともに西洋から取り入れた(押しつけられた)、閉ざされた一対の性の限界が浮き彫りになって、離脱が始まり、どうすれば充足できる関係社会を作れるかを、模索しているのでは、ないでしょうか。
渡辺ひろ乃さんのように、 聡明で勇敢な女性が世界中の男性を探索して、結局は日本人と結婚したこと、そしてそれでも一対関係は続かなかったという事実は、やはり海外には答えはなく、ここ日本で、新しい男女関係を模索し、構築していく必要があることを示していると考えられます。
いよいよ次回から、どうすれば性が再生できるのか、これからの男女の性・婚姻がどうあるべきか追求していきたいと思います。乞うご期待!!
- posted by tama at : 2013年09月19日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
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