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2014年01月11日

再読 日本婚姻史 「先土器時代(旧石器時代)」

 再読日本婚姻史「プロローグ」
で、書かれてあるように、日本の婚姻史を再読していきましょう。
再読 日本婚姻史 「縄文時代 集団の有りようの検討と婚姻様式」サイト名 
より縄文時代は、
◆これまでの過酷な自然外圧(氷河期)から、気候が温暖化し比較的採集による生存が容易になった。
◆異民族の侵入が無く同類闘争も余り無かった時代。
◆外圧状況が緩んで、上位集中婚が崩れた族内婚か、周辺集落との交叉総遇婚であった。
◆集団内はほぼ血縁の氏族集団となっていた。と考えられます。
その前の時代
「先土器時代(旧石器時代)」とは、どのような時代で、どのような男女関係だったのでしょうか?

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時代が古く遺跡も縄文などに比べて少ないので詳しいことは分かっていません。
最初は遺跡が見つかっていなかったので、縄文時代以前は日本には人は住んでいなかった、としていた。
しかし、遺跡が発見され、今では下記のようなことが分かってきています。
『群馬県岩宿』の『岩宿遺跡』は『相沢忠洋が関東ローム層から打製石器を発見(1949年)。日本に旧石器時代があったことがわかった。』
先土器時代(旧石器時代)の日本は気候区分では氷河期で大陸と地続き
大型動物が大陸から渡ってきたと考えられている。植物は針葉樹林だった。
『長野県信濃町』の『野尻湖』は『ナウマンゾウの骨と打製石器が同時に発見された』
そこから、先土器時代の生活は
氷河期で寒い状況(縄文時代になり暖かくなる)、打製石器の形状から採取ではなく狩猟道具だと考えられる。
狩猟によって得た動物の肉が中心だったと考えられている。
各地の遺跡からたき火の跡や、実際に肉を調理した跡も出ているからことから、栄養源が動物性蛋白質だった(≒狩猟生活)。
狩猟中心の食生活で、一定のエリアを獲物を求めて移動する、小規模の集団による放浪生活で洞窟などに住んでいたと考えられている。
intro_image01.jpgimg_1597611_47530649_0.jpg
「はじめ人間ゴン」の漫画です。当初は洞窟で猛獣から隠れるように住んでいましたが、石器弓矢の発明が闘争能力を格段に向上させたと思われます。
では、その小集団による狩猟移動生活で、婚姻関係はどうだったのでしょうか?
書籍「日本婚姻史」では突然に、「族内婚」から始まっています。

最初は群婚(族内婚と族外婚)のうち族内婚から。族内婚を明らかにするのは記録がなく難しいが、遺跡や遺物、遺語、招婿婚(婿入婚)から類推できる。(高群逸枝著『日本婚姻史』より)
共食共婚
原始の家は後代の固定的なそれと違って、移動的な群単位の血縁集団の段階だったと考えてよかろう。縄文早期の遺跡は数個の竪穴からなり、その一つは面積約25㎡、5~6人程度の収容能力で、まだ炉の跡もなく、移動性が濃厚に見られる。
群は必然的に孤立的で、洞窟や竪穴式・平地式住居に住み、共食共婚であったろう。つまり同じ火を囲み、同じ性を分け合っていた。共食共婚こそ同族の特権であり、連帯性の基礎であるとされたのであろう。古語のヘグイは共食、イモセは兄弟姉妹間の夫婦関係を意味するが、これらは群時代の共食共婚の俗をうかがわせる。

人類の最初の婚姻をどう考えたらいいのでしょうか?
実現論 第一部:前史 チ.採取時代の婚姻様式より

観念機能(事実認識=洞窟・貯蔵・火・調理具・戦闘具・舟・栽培・飼育)の進化によって生存力を強化した人類は、約1万年前、弓矢によって外敵と互角以上に闘えるようになった頃から洞窟を出て地上に進出する。そして地上に進出した人類は、忽ち外敵を駆逐して、繁殖していった。その結果、繁殖による集団の拡大→分化を繰り返した人類に、ようやく同類闘争の潜在的な緊張圧力が働き始める。とは言え採集部族や狩猟部族は、互いに贈物etc.を通じて友好関係の構築に努め、闘争を回避していた。
しかし、外圧が低下すると集団統合力が低下し、規範収束力も低下してゆく。同時に、外圧の低下につれて解脱収束(中心は性充足の欠乏)が強まってゆく。更に、集団規模が拡大したこともあいまって、原モグラ以来1億年に亙って踏襲してきた首雄集中婚を維持することが困難になっていった。
こうして約1万年前、人類の雌雄(婚姻)関係は劇的に変化
してゆくことになったが、豊かな山野や海辺に進出して木の実などの採集や漁労に転じた採集生産の部族と、従来通り獲物の豊かな森林で狩猟を続けた狩猟生産の部族では、全く異なる婚姻規範を形成する。

 東アジアの黄色人(モンゴロイド)をはじめとして、世界人口の過半を占めていた採集・漁労部族は、仲間の解脱収束→性欠乏の上昇に対して、皆が心を開いた期待・応望の充足を更に高める方向を目指し、部族内を血縁分割した単位集団(氏族)ごとの男(兄たち)と女(妹たち)が分け隔てなく交わり合う、総偶婚規範を形成した
(但し、氏族を統合している部族レベルでは首雄集中婚が踏襲されている事例が多いので、正確には上部集中婚・下部総偶婚と呼ぶべきだろう)。なお、その後同類闘争の緊張圧力が高まると、再び集団統合力を強化する必要から、氏族ごとの閉鎖性を強め分散力を強める兄妹総偶婚は廃止され、部族内で定められた他の氏族の異性たちと交わり合う交叉総偶婚に移行してゆく。
何れにしても、期待・応望充足を最大の活力源とする採集部族は、総偶婚によって期待・応望(=共認)充足を破壊する性闘争を完璧に解消して終うと共に、総偶婚によって一段と期待・応望充足を強めたことによって、その充足を妨げる自我回路もほぼ完全に封印していった。

高群逸枝著『日本婚姻史』が、スタートとしている「族内婚」は上記のような経緯で発生したと思われます。
注目すべき点は、
種の継続の為の生殖活動が、男女の期待と応望~集団内部の結束に繋がっている点です。
それゆえに、縄文時代には、周辺集団との闘争忌避の為に族外婚となります。
『人間の性』は、現代のように出産も婚姻も個人で好きにすればよいといったものではなく、種を絶やさない生殖と集団の結束を図る為の最重要な集団活動であったのです。

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