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2015年08月18日

非婚の時代の先駆けを江戸時代にみる

『KASHIKO(リンク)』の記事からの引用

●江戸時代の「家」は、家族ではなく企業

江戸時代における『家』とは、現代の家族とは違い、むしろ同族経営の中小企業のようなものでした。当時仕事は『家』に着いていることが多く、世襲によって継承されました。従って、生活の糧としての仕事を維持するためには、どうしても『家』を維持していく必要がありました。

従って、当主(親)にとって嫡男の結婚は、次世代の副社長か専務を選ぶようなもの。企業経営の器量があるか、自社にとって価値ある実家を持っているか、互いの会社(家)の釣り合いはいいか、など、嫁の選定は一大事業です。ですから結婚は親が決めます。息子自身は顔も知らずに祝言を迎えることが普通でした。

現代風に言えば、結婚を親が決めるのは理不尽です。しかし会社の専務の選定だと思えば、印象は違ってきますね。こうして選ばれた妻は、いわば優秀な重役候補です。現専務の姑に鍛えられ、世代交代後は、夫婦で会社経営に精を出します。家族と家来と使用人、それぞれの生活を維持するようにがんばらなければなりません。

また、こうして選ばれた妻(正室)の地位は、揺るぎないものでした。例えばそれは、跡取りの存在に現れます。妻(正室)に子がない場合は側室を迎えますが、側室は例え妻(正室)が死去した後でも、妻(正室)にはなれません。違う役割の者と見なされていました。つまり妻(正室)は、子がいるいないにかかわらず、その地位は確保されたのです。

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●庶民は性的にも解放されていた

庶民にとって、結婚はしてもしなくてもいいものでした。当時はキリスト教を主体とした西欧文化の影響が薄かったので、女性の処女性はあまり価値を重視されず、従って性的にも自由でした。農村部で夜這いとして自由な性交渉が一般的だったのもその現れのひとつです。

離婚時に夫から妻に与える三行半は『再婚許可証』でもありました。これが法制化された理由は、離婚後の女性の多くが、再婚を含め、自由な男女関係を結んでいたからだと考えられます。

●恋愛は自由

恋愛は自由でした。それは例え武家のように結婚が必須であっても、男性は婚外で恋愛ができました。またその相手は、異性でも同性でも構いませんでした。日本には同性愛をタブー視する習慣はありませんでした。それが起こったのは西洋文化が蔓延する明治期以降です。

もうひとつ興味深いのは、遊女との結婚です。身請け、もしくは年季明けの遊女を妻にする例は少なくなかったと言います。それなりの遊女には高い教養があり、妻としての資質があると見なされていましたので、結婚後に差別を受けることもなかったようです。こうした女性は職業柄子どもに恵まれないと言われていましたので、これは当時、子を産むことが、妻の必須条件ではなかったことの例でもあります。

●現代との共通点 そしてヒント

当時の庶民は、男女共にほとんどが非正規雇用か、自営でした。つまり男女の別による職業的待遇の違いというものは、現在より小さかったと推察できます。一方、女中などの女性の仕事は、中間(武家に仕え、警固、供回りなどをする)などの男性の仕事と比べ、給金が良かったという記録があります。

当時も、社会は女性の労働力を必要としていました。また、経済的にも男性から自立し得た当時の女性は、その気になれば、一人で生きていく事もできました。現在では女性が働くためのネックになっている子育ても、家族や近隣のつながりの強い当時では、祖父母や、近隣の住人、さらには大きい子どもが小さい子供の面倒をみるなど、様々な手代わりがありました。

こうしてみると、豊かになった現在の方がとても窮屈に思えます。現代は、子どものいない女性、子育てを人に託さなければならない女性が、圧力を感じる社会になっています。でもこの考えは、決して日本古来のものではありません。むしろ明治以降、西欧文化が入ってきてから作られた考えです。

日本は古来、女性が自分の器量で生きて行けた社会だったようです。女性にとっての自由や平等は、西欧から来ると思っている人が多いとしたら、それは間違っているようです。

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