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2016年07月28日

思考の解放、邪魔をする自我

>無意識を顕在化させ、可能性に導くことが重要であり、現代的な最も重要な課題である(リンク

無意識を顕在化させること、潜在思念に耳を傾け思考を開放すること、、
気になる言葉を拾ってみた。(リンク

◆エゴの発見
ルネ・デカルトは、常に自分が考えているという事実は疑いないとした。そして、「われ思う。ゆえにわれ在り」と述べた。けれども、デカルトは、「存在」と「思考」を同一化した。究極の真実を発見するかわりにエゴの根源を発見した。けれども、それに自分で気づいていなかった。

◆今という瞬間に集中する
「無心状態」に達するもうひとつの方法は、意識を100%、「いま」という瞬間に集中させ、思考活動を遮断することである。エゴは常に、いまというこの瞬間に抵抗している。エゴは決して瞬間と仲良くはできない。したがって、「いま」という習慣を友人にする決意をすることは、エゴの終わりを意味する。「いま」という瞬間に背を向けてしまうのは、他の何かの方が重要だと思っているからだ。

◆アイデンティティが崩壊するとエゴが消える
アイデンティティを思考から切り離すことができれば、自分が正しいかどうかはどうでもよくなる。負けたからといって、アイデンティティが揺らぐことはなくなるからである。自分を同一化していた形が崩壊するとエゴは崩壊する。何かの対象に同一化する意識ではなく、意識そのものとしての自分のアイデンティに気づく。思考は意識と同じではない。意識がなければ思考は産まれないが、思考は意識活動の一側面にすぎず、思考がなくても意識は存在できる。

◆抵抗せず、あるがままを受け入れる
エゴは現実を恨むことを好む。つまり、不幸の第一の原因は状況にはなく、その状況についてあなたがどのように考えるのかの思考にある。いわゆる悪は自分で作り出している。

 どの状況でも役割に自分を同一化せず、しなければならないことをやっていく。これが、この世に産まれた私たちが学ぶべき基本的な人生の教訓である。役割を演じないとは、行動にエゴがでしゃばならないということだ。自分を守ろうとか強化しようという下心がない。完全に状況に焦点を合わせている。

 意識を外に向けると思考と世界が現れ、過去、未来、そして、身体のアイデンティティを身にまとう。意識を内に向けると目に見えない世界へと帰っていく。

◆無意識の思考や感情に溺れることを抜け出るひとつが客観的に観察すること
「完璧な人は自らの心をひとつの鏡とする。それはなにものもつかまず、何も拒絶せず、受け止めはするが保とうとはしない」。
すなわち、思考の「声」に耳を傾け、思考を「見張る」り、思考を客観的に眺めれば、この思考の束縛から解放され、その行為をしている「ほんものの自分」に気づき、意識は新たなレベルに達する。
思考を客観的にながめることができれば、高次の意識が活動を始める。

◆見るためには思考を止める必要がある
偏見を捨てて、新鮮な目でモノを見るためには、習慣的な考え方やモノの見方を止めなければならない。多くの改革プロセスでは、状況について自分の想定を裏付ける情報だけを集めている。すなわち、過去の経験と記憶を反映して、あらかじめ、見ているつもりのものだけを見ている

 「ふつうは人間は思考を支配しているのではなく、思考が人間を支配している」。自分の思考を意識できれば、自分の思考によって見るものを左右されることも少なくなる。

 人は自分の考え方にしがみついている。しがみついているのを止めたとき、自分の考え方に気づく。

◆大いなる存在とつながると本当の平安、愛と憐れみが得られる
こうして、思考活動が停止し、心が「空」の状態となれば、常に、愛、歓び、そして、心の平安を体験できる

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