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2017年01月19日

学校教育:男女共学か別学か~生産活動に根ざした教育機関であることが先

「学校教育:男女共学か別学か~」において、江戸時代の状況と明治以降の状況について見てきた。

 

江戸時代は、
農業であれ商業であれ、生産を中心とした共同体集団の存在が基本となっている。
子供たちも生産活動を担いながら、共同体における役割として「若者組」にて年長者から学び、生産の必要な実学を
「寺子屋」で学ぶ。
若者組では男女別々に、寺子屋では男女一緒だが学ぶ内容が役割に応じて男女で異なっている。
男子は生産を中心に担う存在として実務に関する内容を主に学び、女子は共同体を内から支える存在として日常生活の
知識や教養を学ぶ。
つまり、共同体の一員としての役割が明確にあり、その役割を担うべく「若者組」では年長者が教育し、「寺子屋」で
は自主的に学ぶ。そこには当然、男女の役割の違いもあり、男として女としての学びに加え、性関係をも取込んだ教育
システムとして存在していた。

 

そして明治以降では、
戦前は、江戸時代の若者宿、娘宿に象徴される男女の関係をめぐる農民文化の破壊と旧武士風の規範の導入、さらには
性欲に対する罪悪感や禁欲主義があり、こうした人々の性道徳、性意識の変化とも密接に関係しながら男女共学禁止、
別学推進が強化されていった。
戦後は、アメリカ支配により男女平等観念が導入され、男女の教育機会・内容平等が謳われ、男女共学化が加速している。

 

江戸時代は、共同体集団における現実の生産課題に対し性も含めた教育が行なわれていたが、明治以降は現実に立脚する
ことなく観念的であることに気づく。

 

そもそも「元来、教育は生産者を作り出すためにある。」(リンク
つまり、生産活動と切り離された教育では意味が無い、ということ。

 

農業高校や工業高校などは生産活動を積極的に行なっており、それ自体が現実と直結する学びの場となっている。
男女共学か別学かを議論する前に、何の生産課題も無く、現実社会から切り離された無圧力空間たる学校教育を生産活動
を軸とした教育機関に変えなければ、共学だろうと別学だろうと根本解決にはならないということだろう。

「学校」のあり方、「学び方」を根本的に変えていかなくてはならない。
少なくとも、現状の学校(制度)は、無目的で現実と繋がらない勉強圧力ばかりで、子供たちの活力を下げるだけの害悪
であり、そればかりか思考停止人間を作り出す張本人=日本社会にとっての「敵」だということを認識する必要がある。

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