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2018年01月04日

そうだ、学校を作ろう。

新年おめでとうございます!
本年も当ブログ、よろしくお願い致します。

 

昨年は教育改革について多くの記事をあげました。
「仕方なく生きている」と言う子どもが増えている、との衝撃の報告を受けてからです。
このような活力を全面喪失した子供たちを生み出している張本人が「学校教育制度」というわけです。

今年はさらに活力喪失の実態が顕在化してくるとともに、一方で見え始めた脱学校の動きが加速するようにも思います。
具体的に目に見える形で変わってくれば、世の中の意識が見えてくれば、ようやく親の意識も変わってくるのでしょう。

教育改革待ったなし!
今年も様々な動きを追いかけていこうと思います。

 

記事をひとつ紹介します。
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そうだ、学校を作ろう。
志さえあれば、学校は、どこでもできる。同じ志を持つ者を捜せばいい。ただ、それだけだ。

学校というと、皆、授業料を払って、校舎へ行ってと思う。
そして、最後には、卒業証書をもらう。でもそれは、本当の学校の姿ではない。
学校というのは、学舎である。何かを学ぼうという意志が、学校を作っているのだ。

ならば、志さえあれば学校はできる。
授業料も校舎もいらぬ。卒業証書などさらさらいらぬ。
大体、卒業するかしないかを、他人に決められてたまるものか。学問というのは、自分が納得したときに卒業と決まっている。

同じ志を持つ者が集う場所、それが、校舎だ。
それこそ、喫茶店でも、インターネットの中でも、どこだって校舎になる。
決められた場所でなければ、勉強ができないというのは、志のない証拠だ。
場所なんてどうでも良い。
同じ志の仲間、同志がいさえすればそれで良いのだ。

師は、皆で捜そう。
師は、自分達で選ぶ。それが本当の学校の姿だ。
だから、先生がいなくとも学校はできる。友達どおし、教えあってもかまわない。

今の学校は、残念ながら、卒業をする事が、目的になってしまっている。
それでは、学校ではない。教習所だ。
同じ教習所でも自動車教習所は、免許が取れる。それだけましか。
本当の学校は、卒業証書をもらいに行くところではない。学びに行くところだ。
生きる為の術を身につけに行くところだ。

だったら、職場だってすぐに学校に変身する。板前の学校は、板場だ。
いつ卒業するかは、自分で決める。
所詮、人生に卒業はない。
ならば、本当の学校には、卒業なんてないはずだ。卒業なんて、通過点に過ぎないのだ。

だから、学校を作ろう。僕らの心の学校を・・・。

リンクより)

 

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