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2015年03月19日

日本人の家族観(3) ~姓と苗字の歴史~

女性を対象にした、「結婚したら成りたい苗字ランキング」というアンケート結果(リンク)があります。

第1位:結城(ユウキ)      第6位:佐伯(サエキ)
第2位:橘(タチバナ)       第7位:西園寺(サイオンジ)
第3位:如月(キサラギ)     第8位:桜庭(サクラバ)
第4位:一条(イチジョウ)    第9位:二階堂(ニカイドウ)
第5位:一之瀬(イチノセ)    第10位:五十嵐(イガラシ)

人気に理由は、「苗字の持つ響き」と「家柄・格式(由緒正しさ)」にあるようです。
ところで、多くの女性が結婚すると苗字が変わるのはなぜなのか? 苗字が変わるとはどういうことか? そもそも苗字とは何なのか?
先日、若い女性に「(結婚して)苗字が変わるといういうことは、父系社会で所属(=家・イエ)が変わるということだよ。」と話すと、「え~? どういうこと??」という反応が返ってきました。。。

今回は、日本人の家族観に関連し、「姓」と「苗字」について考察します。

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◆姓と苗字の違い
歴史的に見た場合、今日では混同されている「姓」と「苗字」は別ものです。
【姓・かばね】は、源氏・平氏・藤原氏・橘氏といった、古代貴族が用いた氏(うじ)の名前(氏名(うじな))にあたります。氏とは貴族が組織した族集団であり、平安時代に武士が勢力を伸ばしてくると、武士も姓を名乗るようになります。そして、ついには農民までもが姓を僭称するに至ります。姓は室町時代以降衰退するものの、なくなることはなく、重要な儀式や書類などにおいては、自分を権威づけるために武士も姓を用います。

【苗字・みょうじ】の方は、中世の武士が私的に名のった名前(主に地名)であり、やがてそれは先祖代々伝えられる家名となります。そして、戦国時代には農民レベルでも苗字の使用が一般化します。もちろん、江戸時代の農民の中にも、苗字を持っている者はかなりの割合で存在しました。高校の日本史教科書によれば、江戸時代の農民は「苗字・帯刀」禁止であったとされますが、実際のところは、武士に提出する書類上や武士の面前で、農民が苗字を用いるのを禁止しただけのことにすぎなかったのです。

◆家名としての屋号
とはいえ、それでも苗字を持たない農民はいましたし、また、農民が武士の前で堂々と苗字を名のれなかったことも事実であり、こうした中、農民たちは苗字とは別の家名も用いるようになります。それは屋号です。

屋号といえば商家のそれが思い起こされますが、農家も屋号をもっていました。屋号は通名(つうみょう)とも呼ばれます。通名とは、父から嫡男へと代々受け継がれる個人名のことであり、父に代わって嫡男が通名を名のることを襲名といいます。通名はいつしか、藤次郎(とうじろう)家、勘右衛門(かんえもん)家といった具合に、家に固有の名前、すなわち家名と化します。

明治維新の後、近代国民国家を築き上げる過程の中で、徴税や徴兵の実をあげるために個人を特定することが必要となり、政府は襲名の慣行を禁止します。その結果、今日では歌舞伎などの伝統芸能の世界における芸名のレベルで、襲名慣行が残るにすぎなくなってしまいましたが、江戸時代の民衆世界において、それはごく一般的なことでした。そして、こうした通名の風習は、戦国時代の農民の世界でも確認することができます。

◆プレ家社会・家社会・ポスト家社会
つまり、苗字にしろ、屋号にしろ、人口の圧倒的多数を占める農民のレベルで、家制度の指標となるものが登場したのは戦国時代の後半のことです。したがって、「家制度は日本古来の伝統」などと言っても、それを鎌倉時代以前にまで遡らせることは無理であり、今ここで、家制度にもとづく社会を家社会と呼ぶとすれば、奈良・平安時代や鎌倉時代はまさに、プレ家社会と呼びうる時代だったのです。

ひるがえって21世紀の今日における家族・婚姻のあり方や男女関係のあり方には、プレ家社会の状況と似かよっている部分もかなり見受けられるます。そのことも含めて、今後、ポスト家社会がどの方向に進んでいくのか注視が必要です。

【参考】坂田聡・中央大学教授「日本の家制度」(リンク

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