2016年02月25日
「まつり」は本来、目に見えない神や精霊の世界とつながる場
今回もシャーマニズムの続きです。
前回投稿:
◆シャーマニズムは、ヒトと自然界とのつながりを保ちつづけるための深層の絆
◆人類はコトバの獲得と文化の形成によって自然から離れてしまった
・「まつり」は本来、目に見えない神や精霊の世界とつながる場だ。
・ヒトは太古からシャーマニズムの文化を発達させ、変性意識状態になることで目に見えない精霊(スピリット)の世界とのつきあいを保ってきた。
・シャーマンと呼ばれる人たちは規則的な音や幻覚性植物の力などによってある種の変性意識状態(シャーマン的意識状態とも呼ばれる)に入り、自然界の精霊や祖先の霊などと交流する。
・太鼓の音やドラッグなどで変性意識に入ることによってその枠組みが 一時的に外れると、日常の世界の思考や行動をまるで違う視点から眺めることができたりする。
太古のヒトにとって、自然界の精霊と交流することは特別なことではなかった。
その入口は、踊りやうたによる「まつり」によって生まれる変性意識状態にあり、現代人は身に付けてきた様々なコトバや枠組みにより、自然界の精霊と交流するような自由な思考を失ってしまった。
現代人も「踊り」によって得られる変性意識状態により、様々な枠組みから自由になれるのだろうか、、、
踊るヒト科の、明日はどっちだ?(リンク)より
「踊る」という行為が、現代社会でよみがえりつつある。
その最たるものが、90年代から盛り上がったダンスミュージックやレイヴパーティーのシーンだ。
レイヴパーティーとは、野外のキャンプ場などでトランスとよばれるテクノミュージックを大音量でかけ、一晩中踊り明かすイベント。レイヴ(rave)とはもともと「うわごとを言う、荒れ狂う」という意味。80年代の終 わりにイギリスで起きたアシッド・ ハウスの野外パーティーのムーヴメントに端を発し、ヨーロッパ各国やアメリカなどの先進諸国、そしてインドのゴアや地中海のイビザ島など伝統的なヒッピー の楽園にも飛び火していった。日本では96年頃から本格的な盛り上がりをみせ、「レインボー2000」をはじめとする大規模な野外レイヴも行なわれるようになった。レイヴの場では、同じリズムを共有しながら、集団で踊りという原初的な快楽に身をゆだねる。踊り方はまさに好き勝手。誰もが、一番気持ちいい状態、一番「ハマれる」状態にどっぷりと漬かるのだ。ヒトは太古から、集団で踊るという行為を続けてきた。
幕末に 広がった「ええじゃないか」や、鎌倉時代に流行した「踊り念仏」、アメリカでは1969年のウッドストック・フェスティバル。時代時代に形を変えて「踊る記憶」は受け継がれてきたとも言える。昨今のレイヴやダンスシーンの盛り上がりは、その再来とも言える。それは、ヒトという種が秘めている内的な衝動・エネルギーのある種の噴出なのかもしれない。そして、うたもリズムも、踊りとともにあった。
現在の世界各地の先住民族たちもそれぞれに自分達の踊りとうたとリズムを持っている。文字を持たないヒトはいても、踊りと音楽を持たない民族はないといっていいだろう。そして彼等にとって踊りと音楽は、共同体を維持し、ヒトを自然や宇宙と結びつける重要なメディア(媒介)なのである。心臓の鼓動を思わせるリズムに身を委ね、仲間たちとともに身体をゆする。素足で大地を踏み、飛び跳ねる。嬌声をあげる。笑う。そしてその光景は面白いことに、コンピュータで生み出された音楽が鳴り響く先進国のレイヴのありさまと驚く程似通っているのだ。
思えば近代人はこういう快楽的な踊りをこれまで長い間、自らに禁じてきた。というか、「気持ちいいこと」そのものを罪悪視してきたフシがある。しかし近代的なシステムのほころびが誰の目にも明らかになりはじめた今、「気持ちいい」ことを徹底的に追求する若者たちが大量に発生しはじめたというわけだ。僕にとってこれまでで最良のレイヴは、98年7月に岐阜で行われた、イクイノックスというオーガナイザーによるパーティーだ。湖のほとりのキャンプ場を借り切って、3日間にわたって開かれた。みんなテントやバンガローに思い思いに陣取り、気が向いたら踊りの輪に加わる。手作りアクセサリーや食べ物の店もいろいろあったし、外国人もたくさんいた。
いいレイヴでは、参加者の身体がシンクロし、気持ちがひとつになる。この岐阜のパーティーで僕は心底生まれてきてよかったと思ったし、今生で一度きりのこの場に居あわせることができたことを感謝した。そこにいるすべての人が、生えている草木が、飛んでいるすべての鳥がいとおしく思えた。土埃と汗にまみれて踊っていた参加者のだれもが笑顔に輝き、だれもがとてつもなく優しかった。これこそがヒトという動物の本来の姿だと思えた。すべてがリアルだった。感動のあまり涙が出てきた。この岐阜のパーティーではいろんなことを感じ、考えた。そこには なぜか懐かしさが感じられた。時空を越えた既視感とでもいうべきだろうか、「こうして皆で身体全体でリズムを感じて踊るということを、僕たちの祖先は営々と行ってきたのではないか・・・」という気がしてしかたがなかったのだ。森林を出て直立歩行を始めアフリカの大地を踏みしめたヒトの祖先がその生の喜びを身体全体で表した時、そこに踊りが生まれたのではなかったか。石器時代から縄文時代へと何万年にもわたって受け継がれてきた遺伝子レベルの「踊る記憶」が、しばしの中断を経て再び呼び覚まされた・・・そんな思いを抱かずにはいられなかった。
現存する 世界中の民族舞踊をみると、狩猟採集民と農耕民ではそのスタイルに傾向の違いがみられる。農耕の民が大地から足を離さずに静かに動く水平的な踊り方をする(能や日本舞踊の摺り足などその典型)ことが多いのに比べ、狩猟採集民では大地から跳びあがる垂直的な動きが多い。生業のスタイルとしてはもちろん狩猟採集の方が古いのであって、政治・宗教権力や経済システムの発生も農耕が行なわれて からの話である。おおざっぱに言って、農耕の開始とともに社会システムの高度化がはじまり、それと同時に原初的な踊りも徐々に変貌し様式化していったのではないだろうか。だとすると、日本列島でも数千年前の縄文時代までは原初の踊りの営みが日常的に行なわれていたのかもしれない。縄文遺跡からは、有孔鍔付土器という、太鼓とも思しき土器が見つかっている。
今後、ヒトはますます「踊ること」に目覚めていくのだろうか。理屈ではなく、そういう身体的な次元から世の中が変わっていったらすばらしいと思う。
文字を持たないヒトはいても踊りと音楽を持たない民族はない、というのはなるほど興味深い。
共同体において、踊りの持つ意味は極めて大きいに違いないが、どのようにして生まれたのか?
>森林を出て直立歩行を始めアフリカの大地を踏みしめたヒトの祖先がその生の喜びを身体全体で表した時、そこに踊りが生まれたのではなかったか< というのは本当だろうか。
以下、るいネット【原始人類集団のリーダーは、精霊信仰⇒祭祀を司る女であった】より
まず、この原始人類の生存状況に同化してみよう。
足の指が先祖返りして、それ以前の獣たちと同様、足で枝を掴むことが出来なくなったカタワのサル=人類は、樹上に棲めるという本能上の武器を失った。そして、人類は1~2万年前まで、まともに地上を歩くことが出来ず洞窟に隠れ棲むしかない様な、凄まじい外圧に晒されていた。
洞窟の中で餓えに苛まれなが暮らしている。つまり、大半の時間を洞窟の中で過ごしていたわけで、原始人類はその間、何をしていたのか?
まず考えられることは、エネルギー源としての充足の追求であり、それによって人類は充足機能を発達させてきた。カタワのサルである人類は地上で適応するために直立歩行の訓練を始め、それが踊りとなり、この右・左と足を踏み鳴らす踊り=祭りが日々の充足源(活力源)となった。
この踊り=祭りの中でトランス状態に入り、そこで観た幻覚の極致が精霊である。人類が万物の背後に見たこの精霊こそ、人類最初の観念であり、人類固有の観念機能の原点である。
- posted by TOKIO at : 2016年02月25日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
trackbacks
trackbackURL:
comment form