2016年02月18日
人類はコトバの獲得と文化の形成によって自然から離れてしまった
前回記事:シャーマニズムは、ヒトと自然界とのつながりを保ちつづけるための深層の絆
シャーマニズムは、万物に精霊(スピリット)が宿るとするアニミズムの世界観を前提にしている。
シャーマニズム(とアニミズム)は、実はヒトにとってとても普遍的で深遠な精神文化なのだということがわかってきている。
狩猟採集社会では誰もが精霊の世界にアクセスでき、とくに秀でたものが共同体の仲間の為に働くシャーマンとなっていた。
直立するサルであるヒトは、「言葉」と「文化」を持ったために自分たちを特別視するようになった。
ヒトは知恵を働かせ両手を使うことで人工的環境をつくり生きることができるから、自然界に背を向けることができてしまう。
しかし、どこまで行ってもヒトは自然に養われているわけで、自然からの乖離が行き過ぎると自らの首を締めることになる。
シャーマニズムは、そんなヒトと自然界とのつながりを保ちつづけるための、深層の絆なのではないだろうか。
かつて、太古の人類はだれもが精霊の世界にアクセスできていた、、
どのようにして精霊の世界にアクセスできるようになったのだろうか、、
だれもが、、、と考えると、やはり集団の営みである「祭り」や「踊り」の充足体験から獲得したのだろうか
「まつり」は本来、目に見えない神や精霊の世界とつながる場だ。
たとえば盆踊りだって、元々は故郷に還ってきた死者の霊を慰めるためのものだし。以前、バリ島の小さな村の祭りを見たことがある。寺院の境内に大勢の男達が上半身裸で座り、ガムランの演奏に合わせて仮面劇や剣の舞が演じられる。その後、演奏が最高潮に達し、ある瞬間に同時に何人もの男たちが白目を剥いて立ち上がり、剣を胸に当てて暴れ始めたのだ。彼らは明らかにトランス(変性意識)状態に入っていて、周囲の者がそれを取り囲み、懸命に押さえつけにかかる。決められた儀式や舞を奉納する日本の「祭り」とは違い、目に見えない世界がすぐそこにあり、祭りの場ではそこにアクセスできる、そんな異様な「本気」の空気を感じて鳥肌が立った。バリ島に生まれ育ちバリ・ヒンドゥーを信仰する人たちにとって、神や精霊はとてもリアルな存在なのだろう。
変性意識というのは通常とは違う意識状態全般のこと。
酒に酔ったり、寝て夢を見たり、薬物で酩酊したりするのも変性意識状態であり、さまざまな 種類がある。
ヒトという動物には、変性意識状態になる能力が備わっているのだ。バリはヒンドゥー教だが、多くの呪術師が活躍するシャーマニズム世界でもある。
ヒトは太古からシャーマニズムの文化を発達させ、変性意識状態になることで目に見えない精霊(スピリット)の世界とのつきあいを保ってきた。シャーマニズ ムは世界中にみられるが、シャーマンと呼ばれる人たちは規則的な音や幻覚性植物の力などによってある種の変性意識状態(シャーマン的意識状態とも呼ばれる)に入り、自然界の精霊や祖先の霊などと交流する。それは、現実世界の自我がいったん死に、向こう側の世界を旅して、またこちらに戻ってくる、「死と再生」のプロセスでもある。海の底にダイビングして龍宮城をめぐり、再び水面に戻ってくるように。僕らはふだん、「世界はこれこれこういうものだ」と無意識のうちに身につけてしまった枠組みで世界を認識している。コトバによる世界の意味化、分節化といってもいい。コトバのレベルだけでなく、我々の脳の構造という枠組みもある。 そうした秩序化・構造化によって我々は自分と世界を区別し、日々の行動もそれによって可能になっているわけだが、それは同時に我々の認識の可能性をあらかじめ狭めてしまっている「くびき」でもある。太鼓の音やドラッグなどで変性意識に入ることによってその枠組みが 一時的に外れると、日常の世界の思考や行動をまるで違う視点から眺めることができたりする。
誰もが太鼓の音を聴いたりして変性意識状態に入って「世界を止める」べきだとは思わない。それはたとえば、誰もが飛行機で海外旅行に行かなくてもいいというのと同じことだ。でも、旅をすると現実の見方が変わったりする。そうすることの価値に対する認識が広まり、そこから汲みだされたシャーマニズム的・アニミズム的世界観がヒトという動物にとって本来的で自然なものだということを、多くの人が感覚的なレヴェルで思い出してくれればいいな、とは思う。そうすることで僕らヒトは、再び新たな形で自然との関係を取り結べるかもしれない。
変性意識は、コトバの獲得と文化の形成によって自然から離れてしまったヒトが、自然とのつながりを失わずにいるためのチャンネルだった。しかし、どうしてそういう形でしか自然とつながれなくなってしまったのだろうか。もしかしたら、言語をもたない動物達の意識状態は、かえってヒトのシャーマンたちの変性意識状態に近いものがあるのかもしれない。(変性意識は非言語的 なイメージの世界でもある。)つまりシャーマンたちは変性意識に入ることで本来の動物としての意識状態に「戻る」のかもしれないのだ。
サルと人類の決定的な違いは、人類は観念機能、コトバを獲得したことだ。
観念の進化によって、外部世界の適応の幅が拡がり、人類は進化してきた、はず。
ところが、コトバを獲得したがために、自然と会話できなくなり、精霊世界にアクセスできなくなったとしたら、
それは、本来不要な観念ばかりを身に付けてきた、ということなのだろう。古代宗教しかり、近代観念しかり、、、
とすれば、必要なことは、不要な観念は捨て去り、観念以前の本能、共認機能でもって感じ、考えることなのだろう。
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2016年02月18日
現生人類とネアンデルタール人は交わっていた
従来の学説では、現生人類とネアンデルタール人の遺伝子差異は他の動物種ならば当然別種と認定されるレベルであり、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは混血できなかったとする考え方が有力であった。
旧人類は競争に負け、新参のホモ・サピエンスに取って代わられた。ホモ・サピエンスがアフリカから世界各地に広がる際、出会った旧人類をことごとく全滅させた可能性も指摘されていた。ところが、現在、この定説は大きく書き換えられつつあるらしい。
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『NAVERまとめ』「現生人類とネアンデルタール人は交わっていた!? 揺らぐ定説」
ネアンデルタール人と、現生人類“ホモ・サピエンス”は当たり前のように交配していたかもしれない…そんな驚くべき事実が、最近の遺伝子レベルの研究から徐々に明らかになってきています。
ネアンデルタール人のゲノム(全遺伝情報)解析で、なんと現生人類(ホモ・サピエンス)とネアンデルタール人が一部の遺伝子を共有していることが分かりました。
ネアンデルタール人のゲノムが解読された2010年に、あらゆる地域の染色体6万個とネアンデルタール人のハプロタイプを比較したところ、サハラ以南アフリカの地域以外の世界中の人々の遺伝子にネアンデルタール人のDNA配列が存在することが分かった。
アフリカ人を除く全ての現生人類は、ネアンデルタール人の遺伝子を平均で2%持っていた。
ネアンデルタール人との間に何が起こっていたか
約3万年前までネアンデルタール人とホモサピエンスが異なる種として共存していた事が分かっています。
つまり約47万年もの長い間ネアンデルタール人とホモサピエンスが別個の種とし独立して存在していたことに、なります。
数万年前に、私たちホモ・サピエンスとネアンデルタール人が出会った時に、何が起きたのか。石器の技術が伝わるといった文化的交流はあったらしい。おそらく物々交換も行われていた。もちろん、争うこともあっただろう。
実は、両者が争ったことを示す明確な証拠は今のところない。希望的観測かも知れないが、両者の関係は、おおむね良好なものだったのではないだろうか。
ネアンデルタール人との交雑
骨や遺物からだけでは、交雑が起こったかと言う問いに決して答える事は出来ない。ネアンデルタール人の骨からDNAを取り出してその配列を解読するしかこの問いには答えられない。この問題にチャレンジしたのが現在ライプチッヒのマックスプランク人類進化研究所のスバンテ・ペーボさんのグループだ。
彼はまったく新しい方法を使って、これまでまったくわからなかったネアンデルタール人の行動を明らかにした。それは、私たちホモ・サピエンスとネアンデルタール人の性交渉である。ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は、セックスをしていたのだ。
今回の研究結果の一番の驚きは、ヨーロッパだけでなく、大陸全域の現生人類が、つまりフランスから中国、日本、パプアニューギニアまで、同じ割合でネアンデルタール人の遺伝子を秘めていることだ。結果的にこれは中近東でネアンデルタール人と現生人類が初めて出会い、そこから種として広まっていった、という仮説を裏付ける。
詳しく見ていくと、非アフリカ系現代人でも、ヨーロッパ人よりも東アジア人の方が、平均的にはわずかながらネアンデルタール人由来のDNAを多く有していることが明らかになってきました。
ネアンデルタール人は想像以上に魅力的だった?
ネアンデルタール人。現生人類よりも原始的で知能が低く言葉もなく、大柄で筋肉質で猿人類のような顔だと推測されたい放題だが、積極的に火を使い、石器や壁画なども見つかっている事から、「当時のホモ・サピエンスとさほど変わらなかったのでは?」という声も多数ある。
ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の体格は、ほぼ同じである。ネアンデルタール人のほうがガッシリしている分、体重はありそうだが、交配ができないほどの違いではない。
遠目には現生人類とあまり変わらない外見をしていたと考えられている。また、思春期に達して第二次性徴が現われるまではネアンデルタール人としての特徴はそれほど発現せず、特に女性の場合には(ネアンデルタール人類に限らず、現生人類を含む全ての進化段階で)形質の特殊化が弱いと考えると、我々現生人類はネアンデルタール人から見て幼児的・女性的に見えたかもしれないとも指摘されている。
遺伝子混合が何世代にもわたると、個体数が圧倒的に少ないネアンデルタール人のゲノムはしだいに減り、現生人類の中に吸収されていった。
混血が人類を強く進化させてきたらしい
ホモ・サピエンスとの混血があった旧人類はネアンデルタール人だけではなかった。近年発見されたデニソワ人(シベリアの洞窟で見つかった4万年ほど前の謎めいた指の骨から回収されたDNAによって特定された人類集団)も、私たちの先祖との間に混血があった。
英科学誌ネイチャーに掲載された研究論文によると、これまで知られているものの中で最古となる30万年以上前の旧人類のDNAの解析で見慣れないDNAが発見された。これは、氷河期の欧州では人類の間で、従来考えられていた以上に広範に異種交配が行われていたことをうかがわせるという。
チベット人は最近発見された「デニソワ人」の遺伝子を受け継いでいるので「高地適応」できるようになりました。また、メラネシア系の人たちはかなりの量、デニソワ人由来のDNAを受け継いでいるそうです。
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だとすると、現生人類(ホモ・サピエンス)/新人(クロマニヨン人)/旧人(ネアンデルタール人)/原人といった区分全体が妥当なのか?その見直しが迫られる問題ではないか。
そのためにも、そもそも、現生人類(ホモ・サピエンス)/新人(クロマニヨン人)/旧人(ネアンデルタール人)/原人という区分の遺伝子学的根拠は何なのか?それを明らかにする必要があるだろう。
- posted by KIDA-G at : 2016年02月18日 | コメント (0件)| トラックバック (0)