2022年12月23日
【原始日本の共同体性5】なぜ族内婚から族外婚へ移行したのか。集団間を統合するための婚姻?①
【写真特集】少数民族の伝統衣装、日々の暮らしとともに からお借りしました。
縄文中後期になると、それまで婚姻は族内、集団の中で行われていたが、族外との婚姻に移行していったと思われます。なぜ族内婚から族外婚へ移行したのか。それが今回のテーマです。
族外婚についての記述を「日本婚姻史(高群逸枝)」より引用します。(中国やオーストラリアアボジリニでみられる族外婚の例)
>二制婚姻クラスというのは、次掲の両図に示されてあるように、AB二族の男女は自族内の男女と は婚姻せず、自族外の男女と集団的に婚姻する。つまり具体的に云うと、A族の全兄弟はB族の全姉妹と、 B族の全兄弟はA族の全姉妹と婚姻し、生まれた子は母方の族に所属するという母系制族外婚である。<
縄文時代には、気候が温暖化し、また人類の観念(道具、集落と建物の大型化、ヒスイ文化、環状列石、数字の認識など)も進化していくことで人口も増えてくる。すると互いの集団が接触することも多くなってくるが、共同体同士だから、お互いを歓迎し、歓待して仲良くなる、知らない相手であっても一体化したいという思いは強く、結果、互いの集団の男女で結ばれるということがあっても全然おかしくないはずだ。
しかし、上記の族外婚の例は、自部族の男女とは交わらないらしい。なぜだろうか。単純に「仲良くなるための族外婚も」といことではなさそうだ。
考えられる説としては、当時の外圧状況を想像してみると、人口が増えたがいに接触することが増えてくるということは、争いとは言わないまでも、いざこざのようなものは増えていったのではないかと想像します。洞窟時代は封鎖されてきた集団間の(哺乳類以来の)同類圧力が少しづつ高まってきた。
ある部族が栽培の為に植えたものを、そうと知らずにほかの集団のものが、取っていってしまった。悪気はなくても取られたほうはカチンとくるとか、縄張りをあらされたと感じるような事件もふえていったかもしれない。
そのような、イザコザしかねない集団の仲を維持するため、男女が結びつくエネルギーを集団間の統合に組み込んだということではないか。(ほかにも、集団間を仲良く結びつけるために、「贈与」とかも盛んにおこなわれた。)
続く
- posted by m-yamada at : 2022年12月23日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
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