2013年11月14日
【東南アジアにおける、南方モンゴロイド的社会とその可能性を探る】③欧州列強の侵略 何が変り、何が残ったのか
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東南アジアに南方モンゴロイドの足跡を辿るシリーズ【東南アジアにおける、南方モンゴロイド的社会とその可能性を探る】ですが、今回は東南アジアを支配した勢力について検討します。
前回、
「モンスーン(季節風)の卓越風の変化(夏季は南西風、冬は北東風)を利用し帆船で 1 年サイクルの交易をおこなった。その時に積極的な役割を果たしていたのは主にインド商人であった。インド商人(アラブ人、ペルシャ人も存在した)がインド、東南アジア、中国の間を往来し、インド文明(バラモン教=神権王制、仏教、サンスクリット文字、農耕技術など)を東南アジアにもたらした。主な貿易商品は中国が輸出していたものは絹織物、金属製品、陶器(量的に増えたのは10世紀の南宋以降)であり、インドの輸出品は綿織物、貴金属、宝飾品であり、東南アジアの輸出品は香辛料、香料(香木、乳香)、貴金属などであった。」
「インド、アラブ商人がイスラム教をもたらした。1400年前後にはマラッカ王国が成立し、一大貿易拠点となった。マラッカ王国はイスラム教を受け入れた。インド商人のもたらす綿織物が東南アジア最大の人気商品となり、インドネシアも港湾都市の商人はイスラム教に改宗するものが増えていった。」という記述を紹介しました。
東南アジアは、古代国家の時代からペルシア~インド~中国の貿易(商売)を中継する要衝で、インド人、中国人、アラブ人などがやってきては沿岸地域に港湾施設を整備し、次第に都市となり国家となって行ったようです。そうした時代から、西欧植民地時代、日本軍政時代、現在までを一気に俯瞰すると…。
- posted by saito at : 2013年11月14日 | コメント (0件)| トラックバック (0)