2016年12月08日
無圧力空間から脱し、半学校・半労働の教育制度にしたら?
今回は、学校授業における職場体験、企業による学校教育への取組み、地域ぐるみでの学校教育サポートなど、
学校と外との関係について調べてみました。
まず、小学校から高校まで、かなり進んでいることに驚いた。
平成12年に総合学習が取り入れられるようになり、平成16年にはキャリア教育の推進が提言されている。
この段階で何らかのかたちで職場体験を取りれているのは中学校で90%を超えている。
最近の事例を少し紹介すると、リンク
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●私立品川女子学院高等部 対象学年:1, 2年生 実施時間 総合:20時間
~起業家教育が教えてくれる、私にもできる「社会貢献」~
品川女子学院では、起業家教育で育つ3つの心を大切にしている。
①貢献意識(社会のために何かをしたいという意識)
②使命感(人任せにせず最初に手を挙げる人になるという意識)
③自己肯定感(教科の勉強の出来不出来と関係なく自分も得意分野で起業が出来るという意識)
本格的に活動を開始する中学3年時には企業とコラボ授業を行い、企業の商品開発等を実施する。
●NPO法人ジュニアエコノミーカレッジ 対象学年:小学5, 6年生 実施時間:30時間
~子どもたちの決める力を養う、地域に根付いた「ジュニエコ」~
資金を集め会社を作る、事業を計画し、商品を製造・販売し、決算を行い、会社を解散する。
ジュニエコでは実際のお金を集めた起業・商売の実施体験をおよそ4カ月に渡る5回のプログラムで提供している。
過去にジュニエコを体験した経験者に対するアンケート結果を見ても、「会社・経済の仕組みに対する理解」といったスキル面での効果だけでなく、「仕事でお客様を喜ばすことの大切さの理解」や「仲間と協力することの大切さ」などの気付きを得たとの回答が多い。
●東京都杉並区立桃井第三小学校 対象学年:小学3,4,5,6年生 実施時間 総合:32時間
~地域があるから学校がある、地域から積極的に学ぼう~
起業家教育を経験した上級生が、これから起業家教育に取り組む4年生に「コツ」を教えてあげるための冊子を作成している。
伝える子どもにとっても、自分が学んだことを振り返ることができる。
また、6年生の学生を対象に「職業エキスポ」と題したイベントを実施している。数十人の現役の職業人が体育館に集まり、小学生が実際の職業人にインタビューをしながら調べ学習をするイベントである。
この職業エキスポに向けて、3年生から5年生の間に段階的に学べるようにプログラムが組まれている。
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このような事例は数多くある。レポートを見る限りは楽しそうで、活性化していそうだ。
しかし一方では、勉強する意味が分からず「仕方なく生きている子どもたち」が急増、学校に行かない選択も増えている。
このズレ、違和感は何なのだろうか?
総合学習のわずかな時間だけでは足りていないのだろうか。
わずかな時間だけ職場体験しても、すぐさま現実に戻ってしまうからだろうか。
そもそも授業の延長という関わり方では、本物の圧力もかからないし、本物の課題意識、役割も生まれないからだろう。
少し歴史を振り返ってみると、
共同体とともにあった江戸時代は、農業が大半の時代。農家は1件1件が1つの生産体であり、闘争役割と生殖(消費)役割を併せ持った集団であった。言うまでもなく子どもにも生産体としての課題に基づく役割があった。その中で子どもたちは自然に学んでいった。
それに対し、明治以降の市場化により共同体集団は解体されサラリーマン家庭(核家族家庭)になり、闘争の場と生殖(消費)の場は分断された。このことの持つ意味は非常に大きい。生産体ゆえに成立していた家庭における教育機能が、サラリーマン家庭では全く機能しなくなったからだ。加えて母親(専業主婦)にとっては家庭は消費だけの場であるため、生産課題はもちろん無く、あるのは子育て課題のみとなってしまった。家庭に子育て機能が無いのに、母親は子育て課題しかないため、母親のストレス、子育て不安は溜まる一方。教育は学校や塾に丸投げ、学校や塾に従い、勉強圧力だけは子どもに押し付ける。
かくして、家庭は闘争課題が何も無い無圧力空間にもかかわらず、母親からの勉強圧力だけが降りかかるといういびつな圧力場が形成されてしまった。子どもにとっては何の課題も役割もないのに、勉強圧力だけ降りかかってくるという意味不明の状況になってしまった。「仕方なく生きている」という状況も、闘争と生殖が分断された無圧力空間のなかで必然的に生み出されたものだ。
現状の学校も、学校という外界から隔離された特殊な空間のなかでは、何の外圧も無く、したがって課題も役割も生まれない。
江戸時代の寺子屋は農作業の繁忙期には開催されず、繁忙期には当然のように子供たちは農作業を担っていたという。
現実の圧力のなかで、集団における課題に応じた役割を担うことで、本来の生きる力が身についていく。
総合学習のわずかな時間だけ職場体験などという中途半端な関わり方はいっそやめてしまい、3ヶ月、6ヶ月とまとまった時間の、しかも体験ではなく実際の仕事に就いてみたらどうだろうか。
年間の休日は、小学生164日、中学生154日、高校生134日、大学生199日というデータがあった。ほぼ1年の半分近く休んでる。
休みすぎだろう。休みを返上して労働日を組み込めば授業時間も充分に確保できる。
現実の圧力のなかで働くことで、未知の領域に触れることで、本来の知りたい学びたい欠乏は沸いてくるはず。
授業もまた生きた学びの場に変わっていくだろう。
また、子どもたちの働く場を地元の会社なりお店が提供するように協力関係を作っていければ、それこそ地域ぐるみで子育てという現代における共同体社会のあり様も見えてくるかもしれない。
- posted by TOKIO at : 2016年12月08日 | コメント (0件)| トラックバック (0)