2017年04月27日
おしゃべりは介護!
いま、高齢者福祉施設の仕事に携わっている。
永く地域で仕事をしてきたオーナーは、地元に恩返しをしたいとの気持ちから地域の人に利用していただき、
みんなで作りあげていくような施設、スペースの提供を考えている。
子供たちが遊んで学べる場所、認知症の方も利用可能なカフェ、施設の方の手作り料理を楽しめるスペース、、、
ベースとなるのは高齢者の役割を作りだすこと。
小さなことでもいい、何か人に必要とされていれば、元気になれるもの。
できれば何か育てられるといい。
花、植物、野菜など自然と戯れながら、赤ちゃんの子守をしたり、小さな子どもに読み聞かせをしたり、
若いママさんに昔ながらのおばあちゃんの手料理を教えたりと。
そんな中で気になった記事をひとつ紹介。
「おしゃべり」が目的の会のお話。
人が集まればおしゃべりに花が咲く。
人と人との関係はおしゃべりから。
いろんな世代の人が集まると、いろんな時代の話が聞けて楽しい。
いろんな地域の人が集まると、いろんな地方の話が聞けて楽しい。
いつしか聞く側から、語る側へと、自分の話に興味を持ってもらえる人がいると嬉しい。
こんな日常の場、関係が生まれていくことが前提にあるような気がした。
おしゃべりは介護! たしかにな~。
生まれてから老いるまで、何をするにしても人とのおしゃべりが基本なんだとあらためて思った。
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以下の文章は月刊誌『むすぶ』(2017年3月号)連載の「時代を駆ける 地域で生きる、地域をつくる」
のタイトルで掲載したものである。2回に分けて掲載する。(リンク)
昨年10月から団地のみなさんに呼びかけて「談笑カフェ風(るん)」をはじめた。
毎回10人~15人が参加する。
いずれも年配の男性の方である。
会の目的は「おしゃべり」=乱談である。
また、人が集まる「たまり場」作りであり、仲間を作る「サロン」である。
おしゃべりで気が若返る、年を忘れる、元気がでる、ストレスが解消されてアンチエイジングにもなる。
そうなればラッキーである。
また、知らないことをいろいろ情報交換できたら、勉強になりためになる。
知力・気力・精神力ともにのばせたら、高齢化おそるべからずだ。
さらに、地域の人と交流してつながりができたらハッピーである。
風(るん)ではテーマは決めず、自分のしゃべりたいことを遠慮なくしゃべる。
人の話に尾ひれをつけ、切り替えし、切り込み、深め、広げ、豊かにする。
そんなふうにおしゃべりを楽しみたいとして出発した。
そして、会のルールとして次の五点を確認している。
①大きな声ではっきり話す。
②意見の違いを楽しむ。
③特定の政党・宗教の話は避ける。また、個人名もできるだけ避ける。
④だれでもいつでも参加できる。
⑤月一回の会報を発行する。
一番心配していたのは話題だったが、さすがに年の甲、一時間半がアッというも間に立ってしまう。
ともすれば地域に引きこもりがちな老人たちが集まって、談論風発で乱談を楽しむ。
それだけの会であるが、地域にとっておしゃべりは意外と大事だと思っている。
参加するみなさんが月1回の会合を楽しみにしてくれているのだ。
清水義範『ウケる!大人の会話術』を読んでいたら、
会話の根本は相手を楽しく、そして気持ちよくさせることだと書いてある。
だから会話は一種の介護だというのだ。
ナルホドと思う。
地域の老人たちが集まってしゃべくる「風(るん)」は、
支え合いでありお互いの「介護」の役割も果たしているのではないのだろうか。
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2017年04月27日
儒教は先祖崇拝シャーマニズムを土台として生まれた?
標題のような説があります。
『スピリチュアリズムの心霊現象論』「東北アジアの宗教の特殊性」を要約します。
●東北アジアの宗教の特殊性
東北アジアでは共通して、祖霊崇拝や供養が宗教的活動の中心を占めている。
インドから仏教が入ってきた時にも、東北アジア人(特に中国人)は仏教教理の根幹までも変えてしまい、先祖の霊や死霊を中心とする仏教ができ上がった。
この東北アジアの先祖(祖霊)崇拝はシャーマニズム文化の名残である。
●「儒教」というシャーマニズム宗教
中国でも古代以前から、アニミズム・シャーマニズムという霊的存在への信仰や自然崇拝や呪術が行われていた。
孔子は古代中国の原始宗教(アニミズム・シャーマニズム)に「先祖崇拝」という枠を設け、その結果、こうして中国のシャーマニズムは原始的なアニミズム・シャーマニズムから先祖崇拝を中心とする限定的シャーマニズムへと変化した。
つまり、儒教の土台は先祖霊の招魂儀式を中心とする先祖崇拝というシャーマニズムであり、シャーマニズムの上に倫理道徳や統治哲学を積み上げたものが儒教である。
古代中国では、人間は死によって魂と肉体が分離し、魂は肉体から離れると考えられていた。古代中国の「霊魂観(鬼神論)」では、死後に残された骨を死者の肉体と見なす。儒教の招魂儀式では、天から先祖の霊魂を呼び、地上に残された骨に憑依させることで霊と肉が一体化し、地上に先祖が再生する。それによって先祖は、地上で再び自分の子孫と出会い交流することができるようになると考える。これが儒教の招魂儀式の意味であり、儒教の特殊なシャーマニズムの内容である。従って、儒教では、死者の骨をとても大切なものと考え、死体は火葬ではなく土葬でなければならないとする。
これが古代中国人の霊魂観(鬼神論)であり、儒教の土台である。
孔子は「霊魂観(鬼神論)」については直接的な答えを保留し、前面に出して論じることはしなかったが、孔子は、原初のシャーマニズムを先祖崇拝を目的とした儀礼的シャーマニズムへと引き上げた。儒教の喪葬儀礼は事細かく規定されており、厳格に営まれる。孔子は、こうした先祖供養という限定的シャーマニズムの土台の上に、子孫としての生き方の規範や家族倫理・血族倫理という思想を積み上げ、先祖崇拝と親や血族に対する心がまえを理論化し、礼法をつくり上げたのである。
●一般のシャーマニズムと儒教シャーマニズムの違い
但し、儒教は、一般のシャーマニズムとは違って神がかり的な要素を排し、礼法を中心とした招魂儀式を営む。招魂儀式は、子孫としての守るべき礼法が付け加えられて倫理的儀式に引き上げられた。
シャーマニズムでは、シャーマンがトランス状態で霊的存在からのメッセージを伝えたり、シャーマンに霊的存在を取り憑かせて語らせる。一方、儒教では、子孫が祭司として先祖の霊を呼んで儀式(招魂儀式)を執り行うが、子孫がシャーマンのように神がかりになったりすることはほとんどない。
また、一般のシャーマニズムでは職業シャーマンが招魂をするが、儒教ではその役割を子孫が果たす。子孫にとって招魂儀式は最も重要な行事であり、その場には血族が一同に集まる。そこでは長子(長男)がシャーマンに代わって祭祀の中心的な役割を果たすため、儒教では長子が特に重要視される。儒教では血族の存続が第一で、血脈(血筋)が絶えることは先祖全体が救われないこと・不幸になることを意味する。こうして儒教の「先祖崇拝」と「血縁重視」は、異常なほどの熱を帯びることになった。
- posted by KIDA-G at : 2017年04月27日 | コメント (0件)| トラックバック (0)