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2017年5月25日

2017年05月25日

江戸時代の試験制度に対する反対論・慎重論

江戸時代以前の日本では庶民は試験と無縁であったが、武士が通う各藩校では試験による評価が行われていた。但し、その主要な目的は選抜ではなく武士の学習を奨励することが目的であった。一方、儒学者たちも試験制度に対する異論を提起している。
「江戸時代の評価における統制論と開発論の相克-武士階級の試験制度を中心に-」国立教育政策研究所紀要第134集(橋本昭彦)から引用します。
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●江戸時代は私塾や寺子屋では試験が行われていた例はほとんどみつかっていない。
試験による評価は武士層が学ぶ藩校でみられ、名称も「試験」「試業」「吟味」「考試」「試み」「お試し」などと一定せず、その種類・
目的・運用実態はそれ以上に多様である。
試験制度が諸藩に広まり始めたのは、幕府が学問吟味 (1792)・素読吟味 (1791)を導入した後であるが、諸藩の試験制度の多くは武士たちの学習を奨励し、統制するためにあった。

●試験制度に対する異論
【1】立身出世のための学問への反発
出世を願って学問に励むということ自体への反発がある。もともと、孔子の教えの中に「立身出世」の文字は無く、「学べば稼ぎはその中にあり」「富貴はあとから付き従ってくる」という考えである。
享保の改革時に、各種の学事振興策を検討した室鳩巣も、「然れども自分に立身を願い申し書く、是れ以て士の風儀を失ひ申す事に御座候」「我と年労を自ら陳べ候て官位を乞い候事、第一士の廉節を傷ない申す事に御座候」と述べて 、立身を願う心根と廉節の気持ちが両立しないとしている。

【2】競争至上主義の弊害への懸念
じつは、この観点は、幕府にあって学問吟味の路線を敷いた儒者の柴野栗山自身が問題意識を披露している。すなわち、栗山は中国での先例からみて試験による学事奨励効果は大いに期待できる、としつつも、「しょせん対症の御処置」だと述べ、根本的な施策では無いことを示唆している。げんに、競争的な試験にすることの弊害は、すでに第一回の学問吟味の時点で、学問所関係者をとらえている。
第一回学問吟味は、林大学頭らと幕府目付たちとの採点基準が違うことから、褒賞者名も発表できず、事実上「流れ」ている。それも、目付たちが上位 50人の相対評価で優等成績を出すことを主張したのに、大学頭側が絶対評価によって水準を確保しなくてはならないと譲らなかったためである。
室鳩巣と学統的にも縁の深い金沢藩でも、学問吟味方式の試験による競争至上主義への批判が儒者の一人、大島清太から上がっている。すなわち、名前を張り出して競わせるのは「学者を教える法にあらず」とした北宋の儒学者・程伊川の言葉に寄せて、学事奨励型の試験ではなく、個人指導型の試験制度に戻すことを要求して藩校・藩当局と争った。

【3】「稽古」としての試験の推進
褒美ねらいの競争としてではなく、個人指導型の試験を志向したのは、ひとり金沢藩の儒者だけではなかった。幕府の昌平坂学問所でも、「三八試業」「三八朝試」などと称されて三の付く日と八の付く日に行われていた平常試験も、教師による稽古人への指導的な試験として行われていた。その試験の様子は、幕末の教育改革についての文書綴りの中に、1865(慶応元)5 月に林大学頭から若年寄・田沼玄蕃頭に宛てて出された学政改正の上申書には、次のような意見があり、三八試業の実態の一端を知ることができる 。
これを見ると、稽古人は一人一人のテキスト(持ち株)を決めて、個々に講釈などの課題を与えられ、じっくり理解度を診断され、必要な指導を与えられる「終日の修行」だとされる。すなわち、各稽古人の日常学習に密着した試験であって、学問奨励もさることながら、何よりも儒者による稽古人たちの学習への指導ないし監督という機能を持ち得たと考えられる。

【4】④選抜には筆記試験よりも観察・人物評価
選抜に値する人物の能力を評価する方法として、中国の「科挙」流の試験によるよりも上司などによる人物評価の方を有効であると考える「科挙無用論」の識者が少なからず居たことは横山尚幸の調査に詳しい。8代将軍徳川吉宗のもとでいわゆる「享保の改革」のブレーンとなった儒者・荻生徂徠なども科挙の試験よりも、「有徳」の人に着目して行う上司による平常の人物・行動の観察のほうが、より合目的的な選考ができると述べている 。そのような観察による人物評価のもつ選抜における効果は、後に「寛政の改革」で老中松平定信のブレーンであった儒者の柴野栗山も支持した。栗山が、上司(組頭など)は「常に其の組子の人柄をも呑み込み<後略>」などと、部下の観察をよく行うべきことを訴えていたことは、本稿の3章末でも述べた。
このほかにも、試験の競争性や射幸性を批判する声は大きく、たとえ盛んになっていたのだとしても、学問吟味方式が識者の学理的な支持を得ていたとは思えないのである。
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