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2019年11月26日

2019年11月26日

千島学説の進化論 ~生命現象は変化と発展性のある螺旋運動~

生物学に関して実に特異な説を幾つも発表されている故・千島喜久男氏(1899-1978:中等学校教師、九州帝国大学助手、岐阜大学教授)。
千島教授は、科学研究の方法論としての心身一如の生命弁証法を唱えておられています。生命弁証法とは、「生命は時々刻々として変化して止まない。その変化の働きは生命や自然がその本質に歪みをもっているからである。」とするものです。

以下、忰山紀一著「千島学説入門」(地湧社)から引用します。

千島教授の『自伝』によりますと、教授が生命弁証法の発想を得たのは、24歳の時で1922年のこととあります。「極大の世界である太陽系と、極微の世界である原子とがおたがいによく似た構造をもっているとしたら、その中間にある人間や生物も、また、そうした対立と循環的繰り返しをもつに違いない。」 
その頃、千島教授はニーチェの「われわれの現在の状況は過去においても無数回繰り返してきたし、未来にも無数回繰り返すものだ」の言葉にも感動を受けたのです。その後、仏教に「輪廻思想」のあることを知った教授は、「すべては循環的に繰り返すもの」だと考え、自分のテーマを「生命の循環説」とひそかに仮称していたのでした。

ところが、千島教授がこの問題を調べていくと、生命現象は幾分ちがったものに見えてきたのです。すなわち、同一の軌道を繰り返す循環的な円運動ではなく「変化と発展性のある螺旋運動」であることが解ってきたのです。しかも、螺旋の根源には左右不相称の歪みと、波動や周期性の組み合わせがあることも、だんだん解って来たのです。そこで千島教綬は「生命の循環説」を改めて「生命現象の波動・螺旋性」をテーマに取り組みます。
これを理論と事実に基づいて体系づけるには、単に生物学の枠内ではいけないと考えました。すなわち、形態、現象、運動などだけではなく、思想や社会、さらに大自然という宇宙とのつながりで考えねばならないと思ったのです。そこで教授は、物理、化学、天文、地学をはじめとする自然科学を学び、哲学、宗教、芸術など精神科学の資料を集め、広く検討をかさねたのでした。

若き日にこのテーマを得た千島教授は、時間と空間を永い眼で観る習慣が自然と養われたのでしょう。それは、その後の血液研究や現代生物学、医学に新しい学説を構成する時に、大きく役立つことになります。
「自然の法則は人間の便宜的な分析を越えたところにあります。自然界には飛躍はけっしてありません。突然変異などというものは、実際にはあり得ずそのメカニズムが解明できないからそう言っているだけです。自然界に突然変異はありません。自然界のすべては連続しています。形式論理で峻別するほど単純なものではないのです。それを無理に、あるいは意図的に区別することから、間違った考え方や科学が生まれてくるのです」

◆すべての事象は時間の経過と場所の変化によって絶えず流転する
千島教授は生命弁証法でそのように言っています。そして、地球上のどのようなものでも、永久に変わらないものは何もないと言っています。すなわち万物流転です。千島教授は「生殖細胞の血球由来説」という自説の獲得性遺伝の肯定という立場から、ルイセンコを支持する論文を発表しします。
ルイセンコは「栄養雑種説」「発育段階説」「隔離雑種説」の3つの方法で、植物個体の本性は不安定な状態となり変異を起こしやすくなり、その変異した種は子孫に遺伝すると主張したのです。このように、ルイセンコの学説は、環境の重要性と遺伝の可変性で構成されています。
(大半の学者は)ルイセンコ学説が弁証法をその方法論としていることを批判しているが、千島教授にすれば、遺伝や進化のように時空の広がりの大きい問題を理解するには、樹を見て森を見ない形式論理的な判断より弁証法の方が、それがたとえ唯物的弁証法であろうとも、自然を見る眼としては優れていると考えます。

生物学や遺伝学はその国の社会体制と深く結びついています。政治や思想を超越して真実を語るのが科学、生物学の任務でなければならないはずです。しかし、一部の特権階級、支配階級は現状維持を望み、そうした保守派に迎合する遺伝学者は、必然的にそれに好都合な遺伝学理論を組みたてます。その代表がメンデル・モルガンの正統遺伝学派です。

「遺伝的性質は環境の影響で変わるものではない。親から受けた遺伝質は子や孫に至るまで不変のまま伝わる。すなわち、生まれつきが大切である。生まれてから努力しても、もって生まれた遺伝的性質は変わらないものだ。」メンデル・モルガンの遺伝学は、そう言っています。
しかし、古来から聖賢、偉人、天才とうたわれた人々は、むしろ、名もない市井や田舎の普通の親を持った人が多くいます。その生まれつきの遺伝性はあったにしても、生まれてからの環境によってその人間性を育て上げられて、偉大な仕事をなし得た人々が多いのです。これらは、環境と努力が生まれつきの素質と共鳴し合った結果です。遺伝と環境、生殖細胞と体細胞とを無関係だと峻別する現代遺伝学は、理論と実際から再検討する必要がある。

その後、千島教授は新事実を発見しました。「人間や哺乳動物の赤血球は無核である。その赤血球のなかに核を新生し白血球に移行する。その白血球が多数集まり溶け合って、生殖細胞に分化する。人間の場合、妊娠1カ月前に生殖細胞やその核が出来る。」千島教授は血球から生殖細胞が新生される事実を、顕微鏡写真に撮りました。赤血球は体細胞の一種です。体細胞と生殖細胞は無縁ではなく、連続していたわけですが、この千島説を、現代生物学者や遺伝学者は承認しませんでした。現代の遺伝学の権威者は、メンデル・モルガニズムの一辺倒ですから、その根底を崩し遺伝学の第1ページから書き変える新説を、容易なことでは認めることはできません。千島説に対して否定する研究(追試)をすればよさそうなものですが、メンデル以来百年という伝統に依存し、新説に対して黙殺という態度をとり続けて現在に及んでいます。

「生殖細胞の起源」の問題は、遺伝学の根本であり出発点であるはずです。生物はその特性として、環境に適応する性質をもっており、その形質は一代限りではなく、子孫に影響するとする千島の遺伝学は、現代進化論の考え方に対しても、波紋をよびます。進化の根本要因が、生存競争でもなく、突然変異でもないとすれば、それは何でしょうか。千島教授は、それは相互扶助だと言ったのです。生物学の述語を使えば、2種以上の生物がおたがいに相手方に利益を与え、相手からも利益を得て共に生きること、すなわち共生こそ、進化の根本要因だと述べました。

千島教授が、微生物の世界が「共生」によって進化している事実を発見し、有機物分子のAFD現象によってバクテリアの発生、バクテリアのAFD現象による原生動物への進化、さらにその原生動物のAFD現象によって多細胞生物への進化すると考えます、これはまさしく共生が要因になっています。なぜなら、前述したように「AFD現象」とは、要素が集まりそれが溶け合ってそれが分化発展するという、過程の述語です。

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