2022年02月02日
始原人類の観念機能の獲得~「火」をどのように捉え、生活の中に取り込んでいったか~
前回の記事では、観念機能獲得の第2ステージとして、石器をどのように使っていったか、を扱いました。仲間から広げた対象=自然をひたすら直視することで、自然と一体化し、本質が見出せるようになったことがポイントでした。
今回は、さらに次の段階である、「火の使用」を考えていきたいと思います。
石器の使用は、より硬いものを選んだり、石同士をぶつけて、鋭利なもの・握りやすい形をつくって進化していったと考えられますが、火は、着火や着火後の扱いが、道具としてはかなり難易度が高いです。どのようにして、火を扱えるようになっていったのでしょうか。
「火を使う」というと、使いたいときに着け、調整し、終わったら消火するというような「コントロールする」というイメージを持ちがちですが、まず、火をどう捉えていたか、彼らのおかれた状況をふまえて考えてみます。
木から落ちた始原人類(オランウータン)は、真猿時代の共認機能の進化により、同類の欠乏も理解できるようになっていました。欠乏をキャッチする対象は、最初は同類に対してでしたが、徐々に、対象が「同類」から「自然」に広がっていったと思われます。私たちが、晴れの天気を願ったりする感覚に近いかもしれませんが、彼らはおそらく、そこから願うだけでなく、対象と一体化するために注視を続けていきました。
黒澤明監督の「デルスウザーラ」には、原住の民(ナナイ族)の猟師「デルスウザーラ」が登場します。山の中で生活し、自然のわずかな変化から情報を得て行動し、厳しい自然外圧をものともせず生きるデルスの姿が描かれています。デルスは、あらゆるものを「ヒト」と例え、この世で一番偉い人は「太陽」、2番目は「月」、そして怒らせると怖いものは「水」「火」「風」だと言っており、火にウォッカを飲ませるようにかけたり、パチパチと爆ぜる火を「悪い人」と表現したりしています。
画像はこちらからお借りしました
始原人類は、火を、このような欠乏をもった対象、期待に応えてくれる対象として捉え、生活の中に取り込んでいったのではないか、ということが想像できます。その中で、火という現象の本質を少しずつ掴んでいったのではないでしょうか。
次の記事では、火が精霊信仰とどのようにつながっていったのかを扱いたいと思います。
- posted by matu-syo at : 2022年02月02日 | コメント (0件)| トラックバック (0)