2022年02月03日
自然のなかに精霊をみた極限時代の人類
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石を加工すること。火を使うこと。
いずれも極限時代の始原人類が進化させてきたことですが、火を扱えるようになるには、石の加工以上の能力が必要になります。小さな種火を大きくしたり、逆に燃え盛る炎を鎮めたり。始原人類はどのようにして火を制御できるようになったのでしょうか。
前回の記事でも述べた、始原人類の在り様を物語るデルスウザーラはヒントになります。
火に勢いを与えるためウォッカを飲ませるようにかけたり、パチパチと爆ぜる火を「悪い人」と表現したり。まるで火を擬人化しています。
現代人でもこの感覚は解りますね。
枯れている植物をみて、元気が無くなっていると思い、声をかけて元気づけたり。
虫の声やカエルの鳴き声を聞いて、歌を歌っているように聞こえたり。
キラキラした太陽を見て、万物に活力を与えてくれていることに感謝したり。
荒れ狂う海や嵐をみて、海やお天道様が怒っていると感じたり。
自然のあらゆる対象には、その一つ一つに、人と同じような感情や欠乏があるという感覚。極限時代の始原人類はこの「万物の背後に精霊が宿っている」ことを見出したことで、自然の気持ちになり、精霊の欠乏や期待に応えるようにして、火を制御できるに至ったと思われます。
これを精霊信仰(アミニズム)といいますが、八百万の神が示すように、日本をはじめ東南アジアには精霊信仰が色濃く残っています。
では、始原人類はどのようにして、万物の背後に精霊が宿っていることを見出したのでしょうか。
- posted by kida at : 2022年02月03日 | コメント (0件)| トラックバック (0)