2008年04月22日
寝殿造りは、平安前・中期の母系制を考慮した平面だった。
どうやら、この平面構成は中国から取り入れた様式の様です。
そもそも専制君主・父系制社会の思想をベースにつくられたものなので、平安前・中期の婚姻である母系制には合わなかった事から、その折衷案が寝殿造りと言えます。
具体的には・・・、
プランにある
「寝殿」には、その邸宅の主人(男)と妻と未成人の子が住んでいた。
「北対」もその主人を中心とした家族の部屋ですが、「寝殿=ハレ」に対して「北対=ケ」という使われ方をしていた。
そして、「寝殿」を中心に左右対称に配置されている
「西対」と
「東対」ですが、ここに成人女性がそれぞれ住んでいたとされ、ここに男達が通っていた(時には住んでいた)のです。
要するに「妻問い婚」「婿取婚」ですね。
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(『源氏物語』に描かれた邸宅二条院の想定平面図。寝殿造の典型的な形)
※一部加筆
これを記述したサイトがありましたので引用します。
<以下引用です>
寝殿という名称は古代中国において冠婚葬祭の儀式が行われた正寝(せいしん)に由来するもので、神聖殿を意味する。つまり正寝の建築形式をその祭祀儀礼とともに取り入れ、これを国風化したものといえるが、中国の正寝は牆(しょう)(土塀)に囲まれた庭(てい)に南面して建ち、庭の南正面に中門、さらにその外に大門を設けるという構成で、殿舎の軸線は南北を貫く。ところが、儒教はそもそも専制君主・父系制社会の思想であるから、婿取婚(むことりこん)(招婿婚(しょうせいこん))が行われていた平安前・中期の母系制貴族社会には、その中国の住宅形式も儀礼もそのままではなじまないものであった。そこで当時の婚姻制に示される家族形態に合うように、東西の大門・中門という東西軸を折衷した。それが寝殿造成立の理由だと考えられる。東西の対に娘たちが住んでいて、そこへ婿が通ってきたり同居したりするわけで、「住む」とは本来そのことを意味した。寝殿造の構成にはそういう婚姻制が反映しているといえる。内裏の場合は、正寝としての紫宸殿が南庭に面し、その南正面に中門にあたる承明門(しょうめいもん)、大門にあたる建礼門を設ける。そして対に相当する清涼殿(せいりょうでん)、綾綺殿(りょうきでん)、その他後宮の諸殿舎の全体的構成は南北軸に配置するが、これはその内実はともかく、天皇家が父系制をとっていたことと関連があろう。
「風俗博物館」http://www.iz2.or.jp/kizoku/sumai.html
「寝殿(しんでん)」 屋敷の主人が生活するところ。 妻と夫と、成人前の子ども達が生活。 また、儀式・行事は寝殿の母屋・渡殿・廂を使って 行われる場合が多い。 「対屋(たいのや)」 正殿である寝殿に対する屋という意味。 「北対」は、主に北の方(奥さん。北の対にすむことからこう呼ばれる)、子供、女房の居住にあてられた。 「西対」「東対」は主に成人女性が住まい、ここに男性が通って来る。 妻問い婚なので女主人が基本。
http://homepage3.nifty.com/-cell-/heian-sinden.htm
寝殿造がこの様なプランニングをしていたとは、思いにもよりませんでした。
また、寝殿造にも様々あるようですが、婚姻様式によって変化していると考えていいのでは無いでしょうか。
- by minene71
- at 22:50



comments
良く考えると「寝殿造り」と言う、ネーミングは私的な『ベットルーム』を建物の中心に置いてその建築様式のメインテーマにしていると言う意味に置いて、とても不思議な名前ですね。
他の本によると、
「寝」は漢字に訳される前は「やすむ」であり、「やすみどの」⇒「寝殿」であったらしい。
「やすむ」の語源には、「神聖な夜に、神が来臨する」と言う意味があるらしい。
さらに、「寝殿」は、神が天より舞降りて、歓待する女と「やすむ」と言う、神事、祭りの一段階としての結婚が行われる場所であるらしい。
「大安殿」は、天皇と皇后が休まれる御殿。
天皇皇后のご生活に置いての神聖な結婚行為は神事であった。
つまり、私生活の性行為でなくて、神事としても神聖な行為がなされる場所として、位置付けされていた様である。
ところが、時代の妻問い婚に対応する為に、
『寝殿造りは、平安前・中期の母系制を考慮した平面』
に、変形させていったようである。
ベットルームという「性生活の場」を中心にすえたり、実態は妻問い婚に対応するように変形させると言う、日本人の先祖は、随分と柔軟的な考えの主だったようである。