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2008年04月10日

近親婚は昭和20年代でも、タブーではなかった

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昭和23年、「村の女たち」の著者:瀬川清子が、宮城県大沢村(今の仙台市青葉区:市の中心からそれほど遠くない)を訪れた時の様子が、この本の中に記されている。
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おばあさんは歩きながら話した。
「長男の嫁さんに孫ァでぎたとき、おらァ三八で、おらァも子を持った。孫がでぎたにわれァ子はいらぬと思ったが、今になってみれば長男は戦死してしもうて、そのとぎ生んだ末子が今では家の働き手で、これがいなければ家がたたんことになった。嫁の長女と、われが生んだ末の男の子と一緒にしたらば、家も助かるベェと思って、われはそうしたいと考えただがな、嫁さんは嫌だとみえて、孫娘を他へ嫁にくれてしまった。それが昨日子を産んだで、介抱に行ってるだ。」
「それでは叔父と姪の結婚でしょう」
「けさきたじっちゃでも兄の娘と一緒になったど、百姓は子がないと駄目だ。子は三人では足りない。五人なけにゃ。百姓は子が少ないと世がつまる。あまり多いとかかり負けするが、一家に働き手が五人あるとまずよい」
 おばあさんは、先祖伝来の土地が年々きれいに耕されるように、家族の人数を心配する。
 おそく生れて、孫長男から分家させて貰わなければならない破目になった末息子を、孫長女と屋内結婚させると、家内安全水いらずに楽しく耕して食うていける、と考えたのであろう。
 次男のように田畑をたくさんもった家に聾(むこ)入することができればよいのだが.そうでなければ、嫁を貰って生活するほどの耕地をわけて貰わなければほんとうの百姓にはなれない。出稼ぎでもしなければくらしがたたない。
 そうかといって人並の分家を出すならば、少なくても田二反、畑二反、それに一年中焚くほどの山林もくれなければならない。最初の一年分の米・味噌をやるとすると、どうしても本家の身代に傷がつく。
 
 それに孫長男が一人前になるまでは老境のおじいさんを助ける、しっかりした男手がなければ、平家の土地・山林がすたれてしまう、とおばあさんの頭の中には平家を維持する家族制度的な微妙な考慮と計算が行なわれたのである。

 新しい世代の「嫁」は、近親婚に対してタブー視が働いているが、その親の世代では、自分の家や田畑・山林を守ることが第一義で、それほどタブーとは思っていない。
 それどころか「家内水いらずに楽しく耕して食うていける」と思っているのである。
 
 考えてみれば、点在する部落(村)が、家を守り、田畑・山林を維持して行くには、当然、働き手の確保が第一で、近親か近親でないかは二の次で合ったのであろう。
 
 それは、この地域特有のものではなく、都市部以外の他の地域でも同様であったに違いない。
 
 現在でも、ウィキペディアにあるように、
日本国憲法第24条では『婚姻は、両性の合意のみに基いて成立』とあり、近親者間の性交自体を法律上禁止しておらず、また近親者間の事実婚認定も阻害されないが、日本国憲法第24条に基づき制定される法令により、近親者間の婚姻に係る婚姻届は受理されないし、誤って受理されても後に取り消し得る。
であり、『近親者が、同じ血縁者と結ばれると言うことに対する心理的不快感。』というものは、後付で西欧諸国の価値観が押しつけられた結果である可能性が高いのではないだろうか。

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