2009年11月21日
幼少期の遊びは、胎児期に次ぐ“生命進化”の追体験
みなさんこんばんは。
前回、幼少期の集団経験の大切さについて、色々と考えさせられる記事を紹介しました。
「3つ子の魂」は、何を獲得しているのか?
そこで今回は、幼少期の子供達の「遊び」について少し考えてみたいと思います。
子供たちは、私たち大人が考えつかない様な遊びをも創意工夫でどんどん創って行きます。 この独創性に富んだ「子供の遊び」の裏には、どんな意味があるのでしょう?
ここで、「子供の遊びは“生命進化の追体験である”」という壮大で興味深い仮説を立てている方がいます!
るいネット上でその記事が紹介されています!
ちょっと覗いてみましょう!!

幼少期の遊びは、胎児期に次ぐ“生命進化”の追体験
子どもは、現実社会の制約(受験制度など)を受けず、主体的な遊びを通して、工夫思考(本能⇒共認)を発達させていく可能性を持っていますが、その育成過程を考えたとき、それは『人類のDNAに残されている、魚類から両生類、鳥類、は虫類、原始ほ乳類から猿、人への進化の課程の記憶と結びついている』という壮大な仮説を見つけ、面白いと思いました。
『動物進化を追体験する子どもの遊び』雛元昌弘氏(2002.4.30)
より、以下引用します。
1.子どもはなぜ遊ぶか
「子どもはなぜ遊ぶか」についての従来の学説は、「剰余エネルギー説」「気晴らし説」「本能説」「大人への準備説」「人類の進化の反復説」「般化説」「代償説」「浄化説」精神分析説」「発達説」「学習説」(M・J・エリス『人間はなぜ遊ぶか』、山田敏『遊びと教育』)などです。これらの説は、1つ1つはなるほど、と思うものの、何か、説明しきれていないものがあることを感じていました。
2.幼児期から児童期の子どもの遊びは、動物進化の追体験
これに対して、私の仮説は、「幼児期から児童期(特に、低学年期)の子どもの遊びは、人間の成長に必要な、動物進化を追体験する本能である」というものです。
この説は、「なぜ子どもは木登りが好きなのか」という考察から始まり、子どもの行動を観察した結果に基づく遊びの分類からたどりついたもので、それを、人類のDNAに残されている、魚類から両生類、鳥類、は虫類、原始ほ乳類から猿、人への進化の課程の記憶と結びつけた仮説です。これまでの遊びの学説との違いは、「人類進化の歴史の反復説」を、魚類や両生類、鳥類、は虫類、原始ほ乳類などにまで遡らせたものです.
(中略)
9.進化の歴史をたどる
人のDNAのうち、95%は人の遺伝子としては使われておらず、残りの部分には、生命誕生からの進化の情報が全て書き込まれている、といわれています。
また、人は、母親の胎内で、わずか10か月のうちに、魚から両生類、は虫類、ほ乳類の形態の変化をたどっていると言われます。
そう考えると、人は、知らず知らずのうちに、動物が進化してきた、人以前の生物の古い成長の歴史を刻んだDNAに導かれて、遊びでその跡をたどってきている可能性が十分にあります。それは、人の記憶や体験からは説明が不可能なことがらなのです。
なぜ、木登りがしたいのか、なぜ、砂遊びや泥遊びをしたいのか、空を飛びたいのか、人の進化のDNAからだけでは、説明しきれません
10.人固有の遊び
では、子どもの遊びが全て、人以前の記憶をたどっているかというと、人固有の遊びもあります。
例えば、「おしゃべり」や「歌遊び」、「ごっこ遊び(ファンタジー、集団の役割分担)」や「ゲーム」、「火遊び」や「ままごと遊び」、「舟遊び」や「車遊び」、「玩具遊び」「道具遊び」「創作活動」「お絵描き」「楽器演奏」、「飼育や栽培」などは、人固有のものです。
子どもにとっては、これらの、人固有の「社会体験遊び」や「生活体験遊び」、「仕事体験遊び」、「技術・文化体験遊び」が重要ですが、幼児期や児童期の肉体的・精神的な形成には、それ以前の「動物遊び」がより重要なように思います。
木登りや泥遊び、水遊びなどは、決して低級な遊びではなく、人が発達の過程で必要とするより根源的な遊びではないでしょうか


11.子どもの野外遊びの復権
今、子ども達の遊ぶ時間が塾通いやテレビなどで少なくなり、特に、野外での集団遊びの機会がなくなり、なかでも、危険と思われる水遊びや木登りなどの野外遊びの経験が減少してきています。
人が、母親の胎内の水の中で育ち、魚から両生類、は虫類、ほ乳類への形態進化をたどるように、もし、長い人類の歴史の中で、子どもが遊びを通して、魚から両生類、は虫類、ほ乳類への進化の歴史を追体験してきたとすれば、そのような遊びの機会をなんの検証もなく止めてしまう、というのは心配です。長い人の歴史の中で続けてきた子どもの遊びを、突然、危険だからと止めさせてしまう、本来、やりたい活動をできなくする、ということは、より大きな危険性があるように思います。よく考えないままに、テレビやゲームで置き換えてしまっていいのでしょうか?
そんなことが人の成長にとっては何の心配もない、ということが証明されない限り、子どもがやりたいように環境を整備すべきです。子どもの野外遊びの環境は、昭和30年代初頭の姿に戻す必要があると考えます。 今、例えば、意欲的な保育所や幼稚園、生涯学習、ボランティアグループなど、様々なところで、新しい試みが始まっています。また、小学校でも、総合的な学習時間を使った取り組みなども行われてきています。
社会全体で、子どもの野外遊びの必要性を認識し、様々な「動物遊び」(人以前の記憶をたどる遊び)」の機会や安全な環境を増やす必要があると考えます。

(引用終わり)
現代は、小さな頃から独り家の中でゲームやビデオに明け暮れてしまう子供たちも多い様ですね。
確かにその方が清潔で安全。どろんこ遊びや木登りなどとんでもない!と言ったお母さんも多いのではないでしょうか。
しかし、こうした外遊びの中にも、太古からの生命進化の歴史を見ることが出来る!
とっても興味深い記事だと思います。
今回、「人」の遊びを中心考えましたが、他のほ乳類でも同じ様な事が言えるのでしょうか?また、男女の遊びの違いって、いつ頃から顕れてくるのでしょう?
さらに色々、追求してみたい内容です !!
- by yama33
- at 20:43

comments
>子どもは、現実社会の制約(受験制度など)を受けず、・・・
これは実現論で言うと以下の通りになりますね。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=1&t=1#04
生物群も、サル類も、複雑な系統樹に分化=進化しているが、その中で始原単細胞から人類を結ぶ直線上に塗り重ねられてきた遺伝子群(の内、現在も有効な遺伝子群)は、単細胞時代の遺伝子を含めて全て現在形において、作動している。そして、それら塗り重ねられてきた諸機能(or 諸本能)は、最も深い位置にあって私たち人間の意識や行動の土台を形成している。(換言すれば、それら無意識の次元で作動する諸機能は、決して人間の意識と無縁ではない。)
>今回、「人」の遊びを中心考えましたが、他のほ乳類でも同じ様な事が言えるのでしょうか?<
考えてみたのですが、他の動物にはそのような行動(一部は同じとも思えるものも有りますが)は思い当たりませんでした。
とすると、そういう進化の追体験としての遊びを人類だけが行うのはなぜかという疑問がわきますね。
考えられるのは、人類は外圧に適応できるだけの武器となる本能を持ち合わせていないので(人類の持っている本能では他の動物にも負けるので)、過去の生物進化の過程で得た全ての本能を再統合し、その上で共認や観念を使っているのかな?と思いました。
>人類のDNAに残されている、魚類から両生類、鳥類、は虫類、原始ほ乳類から猿、人への進化の課程の記憶と結びつけた仮説です。(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=219443)
例えば、
生まれてすぐの赤ちゃんは、水中に入れると自動的に呼吸を止めて、目を開けて泳ぐ格好をするそうです。
(動画→リンク:http://nikohapi.blog105.fc2.com/blog-entry-1203.html)
これは、遺伝子に書き込まれた進化過程の記憶とされ、知恵(観念)が付く前ゆえに出来るのだと言われています。
呼吸を止める事ができるのは、子宮内に満たされる羊水での保育過程の記憶とも言われますが、外圧に即座に適応するための本能なのでしょう。
他にも人類の進化過程の中で、外圧適応するために備われた本能があると思われますが、それらは全て人類の共認→観念機能を豊かに作動させるベースとなっているのだと思います。
子どもの遊びは、テレビやゲームで置き換えられないと思います。
生身の人間を相手にするのと機械を通しての疑似体験では、関係能力、同化能力は育たない。一方的に発信してくるテレビやプログラムされた展開しかしないゲーム機では、限界があると言わざるを得ません。
さらに集団で行う遊びから、個人で行う遊びへ向かわせる流れは、日常の『社会』という集団生活と、逆行しているように思えてなりません。
かといって子どもの野外遊びの環境をいきなり昭和30年代初頭の姿に戻すというのも時代錯誤の感がします。
要するに昔の子どもたちが遊びを通じて何を得てきたのか、そのエッセンスを抽出して現代風にアレンジすればいい。その母体としては、既にある保育園や幼稚園、小学校があり、校庭という遊び場もある訳で、環境は揃っている。
後は指導する側が本気で取り組んでいくことだけなのではないでしょうか。
Rさんこんにちは。
進化とは、塗り重ねである。と言う概念はとても重要だと思います。
生命進化の過程で獲得した機能は、私たちの中に刻印されている。
「進化」というと古い機能を捨てて新しい機能を獲得する様に感じますが、そうではなく古い機能に新しい機能が塗り重ねられるという構造。
私たちも無意識のうちにこうした諸機能に基づいて判断、行動しているという事しょうか。
鯉太郎さん、コメント有り難うございます!
引用した記事と同じくらい興味深い仮説だと思いました。
確かに、動物は遊びの中で生存のための本能を磨き上げますが、
人類は遊びの中で、観念機能や共認機能を磨き上げてゆく、と言う側面が有るのかもしれません。
どちらも、遊びの中で外圧への適応を体得してゆくと言う点では同じな訳で、改めて幼少期の「遊び」の大切さを感じます。
『幼少期の遊びは、胎児期に次ぐ“生命進化”の追体験』219443
非常に興味深い仮説(多分その通りだと思います)です。しかし何故そんな事をしているのだろう?他の動物はどうなのだろう?と考えてみました。
◆他の動物との違い
一般に動物は備わった本能で、自然外圧に適応できるように出来ています。魚は産まれた水の中で泳ぎだすし、馬や鹿は産まれて直ぐ走りだします。鳥も何ヶ月間の親による庇護の後は空を飛び出します。幼少期はその種固有の身体能力をトレーニングする事で大人に成ります。
人類以外の生物はDNAを組変えて体を進化させて、本能で自然外圧に適応できるように成っています。
一方で、人類は自然外圧に適応できるその種固有の身体的本能は持っていません。
人類は集団を形成して共認機能と観念機能を働かせる事で、その集団内に食糧の種類や獲得方法、外敵からの防御方法、男女関係などを、様々に変化させて、外圧に適応させる共認集団を作り変えながら生きてきました。
その結果、砂漠から密林ジャングル、赤道直下からシベリヤ、アラスカの極寒地域まで世界のあらゆる環境に、肉体的にはほぼ同一の種である人類が様々な生活スタイルを共認し適応してきています。
>実現論1_6_04 ヘ.人類:極限時代の観念機能
この観念機能(特に言葉)は、サルが頼りにする表情や身振りによる共認よりも、遥かに多様で容易な共認を可能にし、共認内容の無限の組み替えを可能にする。従って、観念機能こそ、DNA進化に替わる新たな進化機能=共認機能の完成形態であると言える。
◆人類の子供とは?
人類の赤ちゃんは、とても可塑性に優れた動物のような気がします。
生まれ落ちた地、その環境がどのようなものなのか、改めて定義し直している様に思えます。砂漠地帯での乾燥下で、水は生きていく為の恵みそのものですが、寒冷地では体温を奪う恐ろしく冷たい物でもあります。つまり、生まれた環境下で、あらゆる自然外圧を生物進化の追体験の「遊び」で新たに定義し直しているように思えます。
それは、目的によって様々なソフトをローディングしていくパソコンのように思えます。
①生れ落ちた地における自然外圧を、本能レベルのDATAに刷り込んでおく。(これが、生物進化の追体験の「遊び」なのではないでしょうか)
その上で、人類固有の能力獲得に移る。
②集団生活による共認機能(≒心、同化機能)の獲得
③集団生活によって観念機能の獲得学習
①~③の育成を経て、その地に適応した固有の共認集団が出来てきたと考えています。