2009年11月14日
「3つ子の魂」は、何を獲得しているのか?
「赤ちゃん教育‐脳のいい子は歩くまでにきまる」久保田カヨ子著
「天才は10歳までに作られる」の横峯吉文著
などなど、乳児期の教育が大切である事は、一般的にも言われています。
しかし実際に、乳児期の赤ちゃんは何を獲得しているのでしょうか?
何故それだけ大切なのでしょうか?
それを解き明かせてくれる
投稿
を見つけましたので紹介します。
1歳6ヶ月になる息子を見ていて最近強く感じるのは、「集団の中にいるほど成長が早い」と言うことです。
例えば、それまで全く歩けなかったのが親戚の集まる場で数日過ごす間に歩き始めた、「あーあー」などの喃語しか話せなかったのが急に語彙が増えて明確に意味をもった言葉を話し始めた、いろいろな道具を使えるようになった等です。人間は、周囲に同化する中で成長していくので、同化対象が増えるほどに成長速度が早くなるのでしょう。周囲からの「成長期待」が多く掛けられることも、影響していると感じます。

「日本古写真保存研究会」よりお借りし増した。
このような現象事実を目の当たりにする中で、現在の核家族は「人間の成長の場」としても、問題があると感じ始めました。核家族と言う”カタワな集団”の中では、同化対象は極めて限定的になるからです。
2~3歳ともなれば、幼稚園に通ったりする中で、集団生活を経験するようになりますが、それでは”既に遅い”と感じます。
子供を見ていて思うのは、乳児期から幼児に成長するまでの過程が極めて重要であると言うこと。乳児期は観念機能が全く備わっておらず、共認機能による同化行為を通して急激に成長していきます。この時期は、表情や言葉による反応充足に最も鋭敏な時期とも言え、常に周囲の反応を羅針盤に成長していく様が見て取れます。

一般的に「社会性は幼児期に集団生活を経験する中で育まれる」と言われますが、乳児期から既に社会性の獲得(=同化能力・対象化能力の獲得)過程は始まっていると言えるでしょう。この時期に、極めて限定的な同化対象(最も極端な場合は母親のみ)にしか触れず、集団生活に触れないのは、人間の成長過程として致命的と言っても過言ではないかもしれません。
考えてみれば、哺乳類~猿~人類は、基本的に集団の中で生まれ、成長していくのが自然の摂理。(実現論0_4_01)その摂理に反しているのですから、極めて異常な状況と言えます。
乳児期は、周囲の表情や言葉に反応充足し、その周囲の反応を羅針盤に同化能力を獲得していく。
それに比べて、母親しか同化対象のいない核家族の空間。怖いですね!
自然の摂理に則った集団の中で成長してきた先人達と、核家族と言う”カタワの集団”で成長してきた現代人を比較すると、相手の気持ちを理解したり、自然の移り変わりや状況を的確に捉える「同化能力」や「対象化能力」が低下しているのは疑いようがありませんが、観念能力に関しても(科学技術が現在のように発達していない中で、数々の工夫思考・実現思考で問題を突破してきた、先人達と現代人を比較すると)明らかに「能力低下している」と感じます。 観念能力は、共認機能=同化能力の上に構築されていくものなので、同化能力が低下すれば、必然的に観念能力も低下するのでしょう。貧困の消滅と言う、生物史初の大転換に直面し、環境問題・経済問題を始めとする様々な未明課題に直面している人類。これからの人類には、これまで以上の同化能力・観念能力が必要とされていると言っても過言ではありません。
そう言う意味で、本源的な集団基盤を再生していくのは、行き詰まった性の再生だけでなく、真っ当な成長基盤の再生→同化能力・観念能力の再生を図っていく上でも、極めて重要な課題と言えそうです。
実現論 斉一部:前史 ヘ.人類極限時代の観念では次のように書かれています。
かくして人類は、生存課題の全てを本能⇒共認⇒観念(精霊信仰)へと先端収束させる事によって、観念機能(→二〇〇万年前の言語機能を含む)を発達させ、その事実認識の蓄積によって生存様式(生産様式)を進化させていった。
①本能
②共認(≒同化能力≒心)
③観念能力
と、順次獲得して「人類」となった。
そして、乳児期から幼児期、子供と育っていく過程も同様の道をたどるのだろう。

そうすると、本能を持って生まれてきた乳児期は、先ずもって共認(≒同化能力≒心)の獲得して、その上に次なる能力を塗り重ねていくようです。
幼児期は何を獲得するのか?
大切な事は、集団(多くの同化対象)の中で、共認(≒同化能力≒心)の獲得する事が、その後の成長に大切な事と分りました。
世の中で乳幼児養育は基礎的な重要な時期であるという事を、具体的に明確に幼児期の獲得内容を構造的説明されていて、とてもすっきしました。
- by koukei
- at 12:32

comments
人間の機能の進化過程は、本能機能⇒共認機能⇒観念機能の順に発達してきました。これは生まれてからの成長の過程でも同じだと言うことを示していると思います。
つまり、観念機能の発達の前に共認機能の発達は不可欠ということになりますね。
しかも、この3機能の発達において、唯一共認機能だけは自分だけではなく相手との”関係”の上に成り立つ機能ですよね。
子供は生まれてからおおよそ1~2歳で言葉を話し始める。つまりこの時期に観念機能を身につけるわけです。
ということは、豊かな観念機能を発達させようとすれば、それに先立って充分な共認機能の発達が必要であり、それは1~2歳までの間に必要ということです。
そのためには”その期間中に”相手との”関係”で充分揉まれることが不可欠であることを意味しています。
1~2歳までに集団生活に触れることが必要な理由は、ここにあるのではないでしょうか。
>観念能力に関しても(科学技術が現在のように発達していない中で、数々の工夫思考・実現思考で問題を突破してきた、先人達と現代人を比較すると)明らかに「能力低下している」
同感です!
古来、日本人の男子は12~14歳程度で元服し、成人の仲間入りを果たします。長男であれば、一族の当主として集団をまとめてゆく責務を担う事となります。
現代でいえば小学校高学年から中学生の年齢であり、私たち現代人の感覚で見ると「まだまだ子供」と感じてしまいます。(実際、二十歳過ぎの成人男子でも、子供じみた行為や言動が抜けない人も数多くいます。)
しかし、現在とは比べ物にならない自然外圧や武力闘争圧力、そしてそうした危機に際して命がけで観念機能と共認機能を練磨していた時代にあっては、男子はこの年齢で十分「おとな」としての責務を担えるまでに成長していたのではないでしょうか。
このような能力低下をさらに加速させているのが、DS等のゲーム機なのではと思います。
いまや小学生ならほとんどの子どもが持っているのでは?って思うぐらいです。友達の家に遊びに来ても、外で遊ぶわけでもなく、お喋りをするわけでもなく、それぞれがゲームに熱中している。
自分の家でゲームをすると親の目があるので、他の子の家でやっているという有様です。
私の子どももやっていますが、どうも集中力がない、続かないといった様子が現れてきたので、週に1,2回時間限定でやらさせています。
皆さんも注意してくださいね。
>観念能力は、共認機能=同化能力の上に構築されていくものなので、同化能力が低下すれば、必然的に観念能力も低下するのでしょう。
その通りだと思います。
人類にとってどれだけ同化能力が大切なことか・・・。
ただし、世間一般では観念能力に対し“あーだ、こーだ”議論されることはあっても、同化能力が一番大切なんだと言う認識は弱い(=殆どない)のが現状ではないでしょうか?
逆に言えば、同化能力さへ健全に育成されれば、自ずと観念能力の上昇するといっても過言ではないと思います。その認識がありさえすれば、核家族の歪さに気づき、母親が子供を囲い込むこともなくなっていくのではないでしょうか?
◆鯉太郎 さんレス有難うございます。
ご指摘のように、2歳ぐらいまでも集団に触れ合う環境で育つ事は、相手に同化できる基礎能力獲得上、とても大切な環境だと思います。
◆yamaさん、レス有難うございます。
私も昔の人の方が能力が高かったのではと思います。現代人は人類の文化蓄積から多くの知識を得ていますが、問題解決能力は昔の人の方が優れていたと言う仮説は、興味深い内容です。
さらに、近代社会ほど、子供の一人立ち(≒元服)が遅くなるのは何故か?このテーマも今後追求してみたいテーマです。
◆オールグリーンさん、投稿有難うございます。
私も、自然環境と仲間集団に育てられる子育て環境から、現代の密室でのゲーム体験で育つ子供に変わって来て、問題が起らないはずないと思います。何故ならば、仲間への同化から共認機能(≒心)を発達させて、さらに観念機能を塗り重ねていくという人の成長は、一人の成長空間は、致命的のように思います。
◆Rさん、レス投稿ありがとう。
私も、母親の子供の囲い込みは、致命的だと思います。
様々な人へ同化する事で獲得する共認機能です。様々な人を対象とすると、矛盾する内容も出て来ますが、集団全体としての流れを判断する力が養われます(≒空気を読む)。しかし、母親が一人しかいない世界で育つと、自ら空気を読むことはなく、母親に服従するだけのロボットになってしまうのだと思います。
喧嘩したりする矛盾が発生する仲間集団が大切なのだと思います。
私は乳児期の一時期に(母の入院のため)親類に預けられたり,幼少期からは青年期まで親戚の家に盆や正月に家族とや自分ひとりでで出かけたりして,血族のほとんどと顔見知りとなれるぐらい,多様な集団の中で育てられたようです。両親や兄や弟ともよくケンカしましたが,今となってみるととっても貴重な経験だったと思います。夢を叶えて教員となり,日々悩んだり楽しんだりしながら,ここまで歩んできました。途中やめたいと思うことも,鬱気味になることも時々ありました。でも,皆の協力や時間や耐え忍んだ自分で,解決に至り,過去の失敗や苦痛も,今や人生の貴重なエッセンスとなっています。穏やかに人に話せるようになりました。そして,今,何より充実しいています。附属学校なので研究もあり,教育実習もあり,日常の業務もあり,大変多忙なはずなの(十数年前だったら辞めているかもしれない)ですが,
心はとっても穏やかで,子どもと毎日楽しく学習・生活ができています。これに至ったのは,子どもの頃の多様な集団経験のような気がしていました。そして,このBBSを読んで確信です。ありがたい。
さて,現代の子供や保護者に。子供や親自身守りすぎるな。どんどん表に出ましょう。子供には,地域をはじめ,親がせめて作ってあげられる集団の中で,どんどん遊ばせましょう。そう,子どもには遊びが学びになるのです。現代のテストの点数が取れる学力は虚像です。その証拠に,私は子供の頃よりはるかに学力が向上しています。たぶん心にバネがあるんだと思います。昔も今もよく遊びます。今は大人としての遊びですが。やる気が出た時の仕事の集中力は自分でも脅威です。幼少期の過ごし方は大切です。