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2011年03月31日

西欧だけが性を罪悪ととらえる文化であるのはなぜか?(3)

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前回の記事で、ローマ帝国崩壊後の空白の200年間にローマの高度な文化は継承されず、ゲルマン人によってすべてリセットされ、野蛮で文化レベルの低い状態になった事が解りました。
ここが西欧文化の原点なのは明らかですが、野蛮な出自を隠すように未だ古代ギリシャ・ローマが西欧文化の出自のように語られています。
では、「女性恐怖と快楽敵視の思想」はどのように形作られ、現代に伝えられていったのか、それは「二つのまったく異質な文化圏の衝突」とゲルマン部族の支配の仕方から生まれている可能性が高そうです。引き続き論文を引用したいと思います。
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女性恐怖のドイツ的起源-ヨーロッパ文化史の再構築に向けて- 越智和弘氏 より引用

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Ⅳ.女性恐怖と快楽敵視が誕生するメカニズム
ではローマ帝国崩壊後、全ヨーロッパがゲルマン部族の支配下におかれたのに、その後どうしてすべて「ドイツ」とならなかったのか。その答は、きわめて単純明快なのだが、その点にいたる前に、いまいちどヨーロッパが、二つのまったく異質な文化圏の衝突から成り立っており、その関係はおそらく今日にいたるまで基本的には変わっていない事実を確認しておく必要があるだろう。
二つの文化圏とは、言うまでもなく古代ギリシア・ローマに代表される古くから地中海沿岸地域を中心に暮らしてきた人びとと、紀元前にインド北西部からヨーロッパ東北部への移住を果たしたものの、ローマ帝国全盛期には主にバルト海沿岸から現スウェーデン周辺の厳寒の地に追いやられてきたゲルマン系部族のそれのことである。
もちろん二つの文化圏のあいだには、現フランス地域でガリア人と呼ばれていたケルト系の民族をはじめ、さまざまな少数民族もまた存在していた。しかし、大きくみれば、古代後期から中世への過渡期に、ヨーロッパの支配権が地中海文化圏から北方ゲルマン民族へと大きくシフトしたことが、その後の歴史を現代に至るまで基調づけたと言わざるをえない。
では、地中海文明とゲルマン部族の文化とでは、なにがもっとも異なっていたのか。その答を見いだすことが、そのままヨーロッパ全土を支配していたはずのゲルマン支配が、ヨーロッパのドイツ化につながらなかった答を提供することになる。
以上にみたように、たしかにヨーロッパ全土の支配権が、五世紀以降ローマからドイツ人の祖先に当たるゲルマン民族の手に渡ったことは紛れもない事実である。しかしこの支配権の移行は、ほぼ軍事的政治的な領域に限られたかたちで進行した。
いや、それどころかローマ帝国の国境線を先陣を切って突破し、イタリア半島になだれ込んできたヴァンダル族やゴート族にとっての唯一の関心事は、殺戮と略奪であり新たな国を制定し治める意図など微塵たりともなかったのである。
その後イタリアにロンバルディア王国を築くランゴバルド族にしても、フランス全土を支配するフランク族にしても、文化や宗教の面にはきわめて疎く、政治支配にとって有効だという打算が働いて初めて宗教に関心を抱く有様だった。
ガリア人をほぼ皆殺しにしたうえで、現在のフランス全土を支配下に治めたフランク族を率いる王クロートヴィヒは、初めてパリに首都を制定したのち、支配を確実なものにするためにはローマの知的遺産と教会の後ろ盾を不可欠とみなした。四九七年のクリスマスの日に、自らゲルマン信仰を捨て、キリスト教の洗礼を受けたのである。同時に三千からなるフランク族の戦士が一気にそれにならったとされる。
これが今日的な意味でヨーロッパがキリスト教化した決定的な瞬間である。以降ヨーロッパ全土を支配するゲルマン人は、ヴォータンやオディンを信仰する自らの宗教を捨て去り、自分たちとは縁もゆかりもないローマ教会を自分たちの宗教として宣言するのである。
言語に関しても、自らの手で破壊し尽くした敵国ローマの言語であるラテン語を唯一の公用語として取り込み、その使用を帝国全土に強要する。ゲルマン人が、ヨーロッパの支配と引き替えに独自の宗教と言語を放棄したことの意味は、?後に考えることとし、ここでは、言語の放棄が女性恐怖を生む要因としても働いた可能性について触れておきたい。
言語に関しゲルマン人はルーン文字をもっていたというものの、それは呪いや祭りで用いるだけで、自分たちが古高ドイツ語という言語を使用している自覚さえまったくといっていいほど欠いていた。
たしかにこの時代までに言語を重要視していたのはローマ人だけであるから、ゲルマン人だけをあげつらうわけにはいくまいが、それにしてもローマに代わって支配権を握ったゲルマン人が、領土内に自分たちの言語を浸透させる努力をまったく払わなかった事実は、その後のヨーロッパ形成に大きく影響する。
軍事的支配はヨーロッパ規模で成し遂げておきながら、言語を浸透させ独自の宗教や文化を育む努力を完全に怠ったゲルマン人には、女性的な力によってすぐさま手痛いしっぺ返しがおとずれる。
そしてそれは、子育てと日常言語の担い手である女たちへの恐怖や憎悪、そして深い不信感を生むことになった可能性が高い。ヨーロッパの新たな支配者であるゲルマン人は、それがイタリア全土を支配下に治めたランゴバルド族であれ、スペイン地域を支配した西ゴート族やスエーベ族であれ、フランスを築いたフランク族であれ、制圧した地域に自分たちの言語と宗教を浸透させることにはまったく関心を払わなかった。
それは結果として、いくら当初の権力者がゲルマン人であれ、それらの男たちと交わった今日のイタリア、フランス、スペイン地域の女たちから生まれた子は、ことごとく母親が話す地中海文化の民衆言語、すなわち今日のイタリア語、フランス語、スペイン語に通じる言語で育つことになったはずである。
そうなると、父親が話していた古高ドイツ語に属する言語は、もともとゲルマン人の暮らす今日のドイツ語圏やオランダやイギリス、そしてスカンジナビア地域を除けば、たとえいかに今日あるヨーロッパ人の大半がゲルマン人との混血となったにせよ、次世代にはすでに地中海言語をを話すものたちによって占められるようになっていたであろう。
破壊と略奪しか眼中になかったゲルマン人自らが招いた宿命だとはいえ、制圧下にある地域で生まれた自分の子どもが、すぐさま母親の操る地中海言語を話し、もはや自分の文化や宗教を理解しない様を目の当たりにしたときの驚愕が、女性への深い戦慄へと発展したとしてもおかしくない。

以上のようにゲルマン部族の支配方法が、「殺戮と略奪であり新たな国を制定し治める意図など微塵たりともなかったのである。」という所は、その後、市場社会を作って支配していく思想と妙に符号する所は興味深い所です。
また、妻と子供が自分(父親)の話す言語と異なり、意思疎通や価値観の異なる事が、女性への深い戦慄へと発展したらしい。ことが解りました。
それがさらに「女性恐怖と快楽敵視」へ繋がっていくのでしょうか。引き続き論文を引用したいと思います。

~途中省略~
今日数少ない古高ドイツ語による文学作品として残る叙事詩『ヒルデブラントの歌』には、家族を残して長いあいだ戦いに出たゲルマン戦士が、故郷に帰還したとたん自分の子から血縁関係を拒絶される様子が描かれている。
「年を経て経験豊かな我が身内の者はこう語ってくれた。我が父の名はヒルデブラントなりき。我が名はハドゥブラントなりき。はるか昔に東方へ遠征し[中略]自らの領土を貧しいまま見捨て、若き妻と未熟な息子を家に残したまま、あとを継ごうともせず・・・」
ランゴバルド族の老戦士ヒルデブラントが、三十年にもわたる遠征の末、北イタリアに帰還し、自分を父と認めない一人息子と決闘せざるをえない状況に陥るのがこの作品の内容だが、これはこの時代のゲルマン人の男たちの多くが抱いた人生へのむなしさを表現したものだと読み取れるし、またそれは同時に、言語を蔑ろにしたドイツ人がその後一貫してたどる女性恐怖の運命をも暗示している。
こうした民族大移動期にゲルマン人の男たちが体験した戦慄に加え、そもそもゲルマン人のなかで女たちが果たしていた役割が、独特な原初的神秘性を帯びたものであったことも、その後のゲルマン的世界を特徴づける女性恐怖の源泉であるように思える。
ゲルマン人の生活を全般にわたって詳しく記したローマの歴史家タキトゥスの『ゲルマニア』には、戦いの際に森の中から甲高い叫声を上げて男たちを駆り立てたり、怖じ気づいて退却しそうになった戦士には裸の胸を見せつけ、戦意を鼓舞するゲルマン女性の様子が記されている。
こうした気性の激しい女たちにゲルマン人の男たちは、崇拝の念は抱きながらも、女神をつくる意図はなかったと語られることから察せられるように、女性が、神秘的な畏敬の対象であったことがうかがわれる。
同様な女性恐怖への萌芽ともみられる記述は、『ヒルデブラントの歌』と並ぶ古高ドイツ語による作品例として名高い『メルセブルクの呪文』からも読み取れる。
傷を癒すため女たちが入れ替わり立ち替わり呪文を唱えたり、敵の捕虜になったものを魔術で解放するため生け贄を捧げたりする内容のこの作品からは、ゲルマン人の女たちが尊敬の対象ではないながら、男にはない力をもつ魔女的な存在として認識されていたことがうかがえる。

確かに、魔女的な存在としての女性恐怖の下地は上記にあると思われますが、ヨーロッパ中世以降まで続く価値観=「性を罪悪」が形成された原因としては弱いように感じます。
もう一つの重要な原因として、以下に記すような「教義を変えたキリスト教」の影響が考えられます。
「バルバロイ!」それは歴史の闇に葬り去られた者たちの反攻の叫び。より

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 キリスト教徒がセックスを嫌悪するようになったのは、まず教父たちが原因で、彼らは神の国が築かれるのは、すべての者が独身生活を送って人類が滅亡したあとであると主張したのであった。マルキオンはすべての生殖行為をただちに断つべしと宣言した。聖ヒエロニムスは「性の快楽の種子を宿しているものはすべて毒とみなせ」と命じた。聖アタナシウスはキリストのもたらした大いなる啓示と恵みは、純潔という救いに導く思寵を認識することであると言明した。テルトゥリアヌスによれば、純潔は「男が、聖性という偉大な財産を取引きするための手立てであり」、一方、性交のために結婚さえも「猥褻な」ものとされた。
 アパメアのヌメニウス*は、性行動をすべて完全に断って初めて、神との魂の合一が可能であると宣言した。聖アウグスティヌスは「肉欲」が原罪の根源であり、アダムの罪をすべての世代に伝えるものであるという説を述べた。こうして彼は、以降1600年間、少なくとも理論の上では、教会が禁欲を守ることを決定づけた。彼はまた、結婚していても性交は罪がないわけではないとも語った。この教義は彼が考え出したものではなく、グノーシス派マニ教徒から受け継いだもので、彼はキリスト教に改宗する前はこの宗派に属していた。グノーシス派によれば、魂は「全世界を火と化する愛と肉欲の神秘」のため、肉の罠にかかっている。この教えは究極的には禁欲的なジャイナ教のヨーガ行者たちに由来するものかもしれない。彼らは次に引用する『ヨハネの第一の手紙』と類似の訓戒を課した。「世と世にあるものとを、愛してはいけない。・・・…すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではない」。
*アパメアのヌメニウス
 紀元2世紀にシリアで生まれた、新ピタゴラス派およぴプラトン派の哲学者。プロティノス派に影響を与えた。
 以上のような見解は時が経つにつれて揺るぎないものとなった。中世の神学者たちは、性により「人類は破滅し、性のために楽園を追放され、キリストは人類のために殺された」と語った。異端審問所の裁判官はその手引書で、次のように教示している。女の「肉欲」は魔術や悪魔崇拝の原因である、というのは神は、「人間の他のすべての行為にもまして、性行為に対する支配力をその本来的な淫らさの故に、悪魔に与えたからである(性行為によって原罪が受け継がれていく)」。

聖アウグスティヌスは「肉欲」が原罪の根源であり、アダムの罪をすべての世代に伝えるものであるという説を述べたのが西暦386年(ウィキペディア)ゲルマン民族がフランスでキリスト教に正式に改宗したのが西暦497年です。
 もともと禁欲的な価値観を持つ略奪集団であるゲルマン民族は、キリスト教に改宗するのはそれほど抵抗がなかったと思われます。(広大な国を支配し続けるためにもキリスト教の後ろ盾が必要だったのも一つの理由です)
1.魔女的な存在としての女性恐怖
2.自分たちと文化・価値観が異なる(地中海言語を話す)女たちへの恐怖や憎悪、そして深い不信感。
3.上記を煽り続けるキリスト教の教義
この3つが重ね合わさって、性に対する罪悪観・女性恐怖を深く根付かせていったのではないでしょうか。
参考:「西欧中世における恋愛、性の諸相

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