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2011年03月26日

マンモスハンターは事実ではない!

シベリアの厳寒に挑んだモンゴロイド(マリタ人)』では、NHKの『日本人はるかなる旅展』や『モンゴロイドの地球 4 極北の旅(人東京大学出版会)』を元に、2万3000年前の北方適応を試みた人類をマンモスハンターとして紹介しましたが、このマンモスハンターは事実なのか マンモスハンターは適正な表現なのか 、マリタ遺跡から見つかった動物の個体数では、圧倒的にトナカイが多く、実体はマンモスハンターではなく、トナカイハンターなのではないだろうか
この事象に対して、様々な視点からから分析している記事があったので紹介しながら、マンモスハンターという認識に対する正否を考えてみたいと思います。
■るいネットに掲載されているマンモスハンター関係記事
「マンモスハンター」という嘘 【その1】
「マンモスハンター」という嘘 【その2】
「マンモスハンター」という嘘 【その3】
氷河期末のできごと① 氷河期ってどんな世界だったのだろう?
氷河期末のできごと② ヒトがシベリアに進出できた背景
氷河期末のできごと③ 温暖化によって大型動物が絶滅した理由
氷河期末のできごと④ ヒトはなぜ土器を作ったのか
何故、酷寒のシベリアへと人類は進出していったのか?
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ヒトは本当にマンモスを殺したか?
■人類強者論の欺瞞

 ここまでヒトは究極の弱者だったことを検証してきました。ところがこの弱者が、いつの間にか、すこぶる強者に変身したというのが、マンモスハンター説です。このマンモスハンター説は、多くの誇り高い西欧の古人類学者の著書に、またそれに依拠している日本の学者の著書にも見られ、ほとんどの古代史図鑑でも、毛皮をまとった原始人たちがマンモスを取り巻いて槍を投げて狩りをしている想像図を採用しているほどです。ここで取り上げたいのは、ちょっと待ってほしい。本当にヒトはマンモスハンターだったのだろうか?という疑問であります。
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前篇で取り上げた「腐肉漁り・骨(ボーン)ハンター」という生活を送っていた時代は、まだヒトが猿人であり原人という段階です。一方のマンモスの繁栄した時代は約一八〇万年前から二万年前という、氷河期真っ只中で、しかもヒトがマンモスを狩ったとされるのは、おそらく五~二万年前の新人、私たちと同じサイズの脳を持ったクロマニオンと呼ばれる私たちのご先祖の時代ですから、西洋の古人類学者の間では、「すでにヒトは強者になりおおせていた」のだという暗黙の了解が成り立っていたのかもしれません。対象は寒冷化に適応したケナガ・マンモス、場所はヨーロッパからシベリア、それに加えて、より巨大なマンモスがいたという新世界南北アメリカです。
今から約三万年前、ヨーロッパのクロマニオンの中には(おそらく彼らの住居跡にマンモスの骨や牙が多く見つかっているからでしょう)マンモス狩猟民と呼ばれる人たちがいました。当時はまだ後期旧石器時代でしたが、彼らが造り使用した石器文化をクラヴェット文化と呼び、鋭い石刃を木や骨に埋め込んで使用するという、かなり進んだ細石刃文化に属しています。
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(すでに紹介した)ネアンデルタール人のムステリアン石器に比べると雲泥の差といえますが、ただいくら鋭利だとはいっても、たかだが棒の先に先の尖った石器=尖頭器や、鋭い石刃を骨か木片に差し込んだナイフ型石器で、わたしたちのご先祖は、本当にあの巨大なマンモスに立ち向かっていったのでしょうか!

縄文塾 中村忠之の縄文への道』より引用
■ヒトは何を食べて生きていたのだろうか?

動物は豊富にいてもこの広い大地でヒトの脚力と武器を考えればそう簡単に捕まえられる獲物はいなかっただろう。なるほどヨーロッパで発見された壁画には、大型動物を狩るヒトの姿が描かれている。バイソンに槍を打ち込む勇壮な狩人の絵もある。だが遺跡から出土する骨はトナカイがほとんどで、逆にトナカイの絵は乏しい。絵というのは現代でもそうだが、非日常的で、憧憬や願望を絵にしたがる傾向がある。
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粗末な石器でマンモス、ケサイ、バイソンなど厚い毛皮に覆われた大型動物に挑むのは困難だし、ヒトの脚力ではこれらの動物に近づくことすら難しい。しかし、草食動物は夥(おびただ)しくいる。何万頭、何十万頭という数が一つの地域にいる。今日の世界では、アフリカのサヴァンナにいるヌーやシマウマの群れがそのイメージを提供してくれるが、それ以上に大群をなしていただろう。そのうちの何%かは毎年必ず死ぬ。老齢、病気、雄同士の争いや猛獣に襲われた際の怪我などが原因だ。
死んだ動物や弱った動物は見張りがいてすぐに見つける。見張りとは鳥たちだ。クロハゲワシ、ヒゲワシ、トビ、カラスなどだ。ヒトは丘の上からこれらの鳥が舞うのを見てその下に急いだ。もちろん、他の肉食動物も集まってくる。ヒグマ、クズリなど厄介な動物が来る。オオカミも自分のテリトリー内なら喜んで楽な獲物にありつく。
しかしヒトはこれらの猛獣と鉢合わせしても争う必要はなかった。新鮮な肉は大部分奪われたにしても骨が残る。大型動物の骨は大概の肉食動物でも持て余す。骨を砕いたり割ったりすることが出来ないからだ。ヒトは石斧などを使ってそれを割り、中の骨髄を食べる。
骨髄は英語でmarrowというが栄養分豊かで味が良く、西洋では古くからスープなどに利用してきた。最近日本でもラーメン屋さんがスープを取るのに使うようになった程だ。余談だが、砂漠の民ベドゥウインは男尊女卑の民族らしく、男たちは殺したラクダやヒツジの肉を集まってたいらげる。そして骨を女たちに投げ与える。女たちは骨を割り、中の骨髄を食べる。その女たちは丸々と太っている。そんな映像を見たことがある。私は人類がアフリカに誕生して以来、狩りではなく、主に残肉漁りで生きてきたと思う。

氷河期末のできごと』より引用
■集団規模による考察

 かなり時代が下がっても、私たちの先祖の集団(バンド)は、血族を中心に二~三〇人程度だったようで、それ以上になると、当時の狩りの成功率では、獲物の分配が無理になります。百歩譲ってすこし多く見積もった五〇人の集団だったとしましょう。男女半数で二五人、老人と子供を除いたら成人の数はせいぜい一〇人か一五人程度です。いくつかのバンドが協力して狩りをする習慣があったかどうか、もしも彼らの何人かがこんな危険な狩りによってあっけなく命を落としでもしたら、その集落の存続すら危うくなるではありませんか。
誰がこんな危険を冒してまで、あえてマンモス狩りに挑戦するでしょうか!何度だって言いますが、筆者だったらご免蒙ります。
ここで再びヴァーチャル・シミュレーション、頭の中で狩りの状況のイメージをつくって見て下さい。たとえばあなたは、武器である槍を投げるのか、それとも手でもって突くのか。もし槍を投げたとしましょう。マンモスのあの厚い皮膚を貫くために、そしてマンモスに致命傷を与えて弱らせるために、一体どの程度の距離で、どこを目掛けて何本投げたらいいのか。さて槍が当たるまでマンモスはおとなしく待っていてくれるのか。
もし当たらなかったら予備の槍は何本いるだろう。そんな沢山の槍を準備したり持ち運べたり出来るのだろうか。マンモスが次の投げ槍を投げるまで、どうぞとばかり待ってくれるだろうか。当然命中度が低くて致命傷を与えることが出来なかったら、それこそ手負いのマンモスに追っかけられて、はたして無事に逃げおおせられるでしょうか。
投げるのでなく手でもって突くという作戦はどうだろう。だれが最初に突くのか、くじ引きするのだろうか。気付かれないように近づく術はあるのだろうか。突いたとたんに鼻ではじき飛ばされ足で踏み潰されないでしょうか。
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もし私なら、深い雪に足を取られて動けなくなったマンモスとか、病気か怪我あるいは老衰で弱っているマンモスだけを狙うでしょう。運が良ければ親に死に分かれてしまった迷い子マンモスに行き当たるかも知れない。多分新人クロマニオンは、元気なマンモスは無理でも、死体を狙うライバルにはなんとか対抗できたと見るのが妥当ではないでしょうか。
一頭のマンモスの肉は干すか炙るかして保存すれば、一つの集落がゆうに何ヶ月も生きていける魅力ある獲物であることは間違いありません。ですがマンモスしかいなければ別として(ほかにも草食動物がいたとすれば)死と隣りあわせの危険を冒してまで、マンモスハンターの道を選ぶかどうか…。

縄文塾 中村忠之の縄文への道』より引用
■適者生存 弱者滅亡の大嘘

 なにしろあの強者中の強者、恐竜でもすべて絶滅したではありませんか。DNAがわずか一・二%しか人と違わないというチンプをはじめ、ヒト以外の霊長類ゴリラ・オランウータン・ボノボ(ピグミーチンパンジー)のいずれもが、ほかの動物からいささかも突出した生活を送っていないばかりか、むしろ絶滅の危機に瀕しているではないか。
私はどんなえらい学者さんがなんと言おうとも、ヒトはごくごく最近まで腐肉漁りという弱者であって、マンモスなどとても狩る力はなかった。ヒトが弱者を脱してハンターという捕食者すなわち強者になったのは、新石器時代に入って弓矢の発明毒矢の使用というイノヴェーションの組み合わせ、それにイヌという捕食協力者を得たからであったと信じて疑いません。しかも大量虐殺は鉄器の発明特に西欧人による鉄砲の普及以降なのです。
付 記
ごく最近のアメリカ考古学者の研究、「過去の環境変動 過去の絶滅:人類移住前後の大型動物絶滅」によると、メキシコでマンモスの骨化石を精査した結果、かつて唱えられていた「マンモス絶滅に、当時のクローヴィス人と呼ぶ約一万一〇〇〇年前の人類が絶滅させたという根拠は少ない」ということがわかってきたということです。理由として(マンモスの死体=骨には)彼らの武器による傷はほとんど見あたらないかわりに、病変による異常が多いからだということです。すなわち、犯人は気候変動(あるいは未知の病気であって、クローヴィス人は推定無罪だというのが新しい意見です。
当時の彼らクローヴィス人の食料は、魚類から中小型の動物であって、彼らがあえて危険なマンモス狩りをやる必要がなかったというのも大きな根拠で、その代わり彼らが伴ったイヌの病気が種を超えて感染した可能性もあると指摘しています。

縄文塾 中村忠之の縄文への道』より引用
■人類はマンモスハンターではなかった

シベリアやヨーロッパの後期旧石器時代(4~1万年前)の遺跡からは、マンモスの骨や牙がたくさん見つかっており、 骨・牙で作った装飾品や骨で作った家の跡まで確認されています。 かつては家の材料となるほどたくさんのマンモスを狩猟していたと考えられたことから、 この時代の人はマンモス・ハンターとも呼ばれていましたが、最近の研究で、 これらの骨は湿地や河のよどみのような場所に流水の作用などによって集められた骨の集積場から運ばれてきたものであることが判明しています。
確かに旧石器時代の人々がマンモスを狩っていた証拠もありますが、いつもマンモスばかりを狩猟していたわけではなく、 ウマやトナカイ・ウシなどの動物が主要な狩りの獲物であったようです。 沼地で足を取られたマンモスを発見した時のような偶然の機会に、マンモスを狩猟していたと考えられます。 現在の狩猟採集民の例でも、ゾウ狩りは非常に難しい狩りとされ、日常的な狩猟ではなく勇敢さを示すような儀礼的側面が強いことがわかっていますので、 当時の人々にとっても、マンモス狩りは一層困難な狩りだったでしょう。
マンモス絶滅の原因については、人の狩り過ぎ (専門的には過剰殺りくと言います)なのか、 それとも自然環境の変化(氷河時代の終了)によるものなのか、現在でも研究者の間では論争が続いていますが、 最近では環境変化によるとする説が有力になりつつあります。

日本第四紀学会』より引用
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NHKの『日本人はるかなる旅展』により、人類強者論的『マンモスハンター説』が一般的に定着していますが、人類はマンモスハンターではなかった!というのが実態なのではないでしょう!

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