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2011年03月16日

印欧語とその歴史 ~印欧語の特色③~

前回の、子音言語の言語形成・分岐の歴史(仮説)に続き、今日は三大古典印欧語(ギリシア語・ラテン語・サンスクリット語)から、印欧語族の移動・変遷を扱っていきます。
サンスクリット語(デーヴァナーガリー)
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◆三大古典印欧語
インドとヨーロッパ、遠く離れた地域言語に類似性を見出したのは、ウイリアム=ジョーンズ(1746-1794)というイギリスの言語学者です。彼はイギリス植民地となっていたインドに、判事として赴任し、そこでサンスクリット語との運命的な出会いを果たします。サンスクリット語とヨーロッパ系言語との、格変化、数詞、基礎語彙の類似性から、共通祖語があったことを確信し、学会に発表。比較言語学という新分野が生まれました。
【ギリシャ語】
おおよそ4000年前にバルカン半島で話されていました。名詞には3つの性があり、5格変化の屈折語です。
【ラテン語】
3000年前には、ラテン語話者がイタリア半島に現れていたと考えられています。名詞には3つの性があり、7格変化。
【サンスクリット語】
最古部は3500年前、リグ=ヴェーダで確認できます。同じく名詞には3つの性があり、8格変化。
サンスクリット語は、ギリシャ語、ラテン語全ての格変化を含む8格。文法も豊富で精巧。サンスクリットとは「完成された、準備された、洗練された」という意味であり「完成された言語、洗練された言語」というわけです。これに対して歴史的にインドに多く存在した民衆語・俗語を総称してプラークリット(自然の、普通の、平凡な、低級の)といいます。自然のままの「平凡」な「低級」のプラークリットに対して、人工的に磨きがかけられた言語がサンスクリットというわけです。
類似性のある3つの言語ですが、中でもサンスクリット語がなぜ精巧なのか?印欧祖語の歴史を押さえながら、考えていきたいと思います。
まずは印欧祖語としてクルガン仮説の紹介から。
◆クルガン仮説

現在では,ウクライナ,ロシア南部,カザフスタンのステップ地帯に栄えたクルガン文化 ( the Kurgan culture ) の担い手が印欧祖語の話者だったとする説が比較的優勢である.最初にこの学説を唱えたのは考古学者 Gimbutas で,彼女は1963年の論文で従来の印欧語ヨーロッパ起源説に異を唱え,黒海からカスピ海を経てアラル海に渡るステップ地帯が印欧語の故郷ではないかと提起した.考古学についてはまるで門外漢だが,問題の論文を読んでみた.要旨は以下の通りである.
①比較言語学上の前提として,印欧祖語の故郷は Finno-Ugric, Caucasian, Semitic 語族の近隣にあったに違いない.
②印欧諸語のなかで強い類似を示す語派の分布を考慮すると,印欧祖語の故郷は比較的限られた地域に同定される.
③ヨーロッパを故郷と仮定した場合,遠く東に分布する Indic 語派や Tocharian を説明するのに東への大移動が前提となるが,それを示す考古学的な証拠はない.
④それに対して,紀元前3千年紀前半のユーラシアステップ地帯には活発な東西文化交流のあったことが考古学的に確証されている.
⑤ここにユーラシアステップ地帯に栄えたクルガン文化の存在が浮かび上がってくる.Kurgan とはロシア語で「塚,古墳」 “barrow” を意味する.この文化の考古学上の最大の特徴は,死者を土を盛った塚に埋葬した点であり,これは西に隣接する北黒海文化 ( the North Pontic culture ) とは著しい対象をなす.
⑥クルガン文化の担い手は長頭で背丈が高くきゃしゃだったとされる.紀元前3千年紀には,すでにいくつかの変種に分かれており,小規模な集団で丘の上で半遊牧的な生活を営んでいたと考えられる.強力な王・貴族によって統治される組織的な集団で,牛車をもっており,紀元前3千年紀後半にはヨーロッパ各地を征服しては自言語を押しつけていった.
⑦しかし,ヨーロッパ征服のあいだに諸文化の融合が起こり,各地で様々な文化が分化していった.
⑧このクルガン文化の担い手こそが,印欧祖語の共通の祖先なのではないか.

では共通祖先から、どのように言語が分化していったのでしょうか?
 
◆コーカサス戦争 3500年前、略奪部族の支配国家と山賊・海賊だらけになった

4200年前の寒冷期にコーカサスで戦争が始まり(コーカサス戦争)、印欧語族の敗者が四方に大移動を始める。

印欧語族の拡大
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4200年前のコーカサス戦争の原因は、コーカサス地方は湿潤化し再び人口が集中したことだけではない。イラン高原の遊牧部族の侵攻がもう一つの理由である。例えば、4300年前にイラン高原から遊牧部族(セム族J)がメソポタミアに侵攻し、アッカド帝国を建てている。この主体は略奪闘争から逃げ延びた山賊集団ではなく、遊牧部族の本体である。このように、メソポタミアには強力な勢力がいるので、4200年前にはメソポタミアを避けて、イラン高原からコーカサスやアナトリアに侵攻したものと考えられる。つまり、イラン高原からの遊牧部族本体の侵攻が4200年前のコーカサス戦争の引き金であり、そこでの敗者が四散した。
一般的に考えて、略奪集団(山賊)は一時しのぎで目先に餌のありそうな所に向かうが、共同体質を残した部族であれば、餌があろうがなかろうが部族共同体維持の可能性が高い、つまり戦争が避けられる僻地に向かうはずで、だからこそ共同体質を温存することになる。
交易で儲かりそうなギリシアに侵入してミケーネやアテネをつくった連中は山賊集団の群れであった可能性が高い。その好戦性や侵略性、あるいは享楽性や労働忌避(奴隷の使用)なども、ギリシアやローマに向かった印欧語族が山賊集団であったことの傍証である。
中略
ところが、3800年前の印欧語族の第二次移動からは様相が変わる。これは温暖化に伴うコーカサス地方の乾燥化によるもので、4200年前のコーカサス戦争の勝者が移動してきた。
印欧語族のうち、アーリア人が遊牧部族としてイラン・インドに侵入。

 

サンスクリット語を生み出したアーリア人は、部族本体が移住しています。非戦闘員である女子供も内包した集団であるため、被支配層に抵抗されないよう、部族の権威を高め、支配を強固にする必要が生じていたと考えられます。移住先の先住民より優位に立つため、人工的な言語操作によって構築したのが、サンスクリット語だったのではないでしょうか。
これに対し、ギリシャ・ラテンは、コーカサス戦争から落ち延びた敗者集団であり、共同体を失った山賊集団。部族の権威より、まずは目先の利益を優先させる略奪で生存域を拡大させたと考えられます。
このような違いから、言語にも違いが生じたのではないでしょうか。他の印欧語族に比べ、インドに移住したアーリア人は、共同体性を残した人々であると考えられます。

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