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2012年11月20日

【世界の宗教から見える男女の性】-5.イスラム教 ~集団原理に根ざした規範観念としての宗教~

みなさん、こんにちは 😀
「世界の宗教から見える男女の性」シリーズ、前回の記事から少し時間が空いてしまいました。楽しみにしていただいている皆さん、すいません 🙁
前回までは、キリスト教世界の男女の性を見てきましたが、その最大の特徴は「SEX=罪なる行為」と見なす異常なまでの性否定と、婚姻への宗教的介入→一対婚制度の確立にありました。
さて、今回は、ユダヤ教・キリスト教と同じく、「アブラハムの宗教の系譜」に連なる宗教で、世界3大宗教にも数えられる「イスラム教」とその男女関係について見ていきたいと思います
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(素晴らしいイスラム建築 写真はモハメド・アリが建てたモハメド・アリ・モスク)
これまで見てきたユダヤ教・キリスト教における男女関係とはどのような違いがあるのでしょうか。
まずは中身に入る前にポチっとよろしくお願いします 😀

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■イスラム教とは?
まず、イスラム教の男女関係について見ていく前に、イスラム教の起こりとその特徴について触れておきましょう。イスラム教は、西暦610年頃に、ムハンマドが唯一神(アッラーフ)の啓示を受けたことに始まります。
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(天使ジブリール(ガブリエル)の啓示を受けるムハンマド)
イスラムの宗教体系・社会体系には多くの特徴がありますが、重要なのは、イスラム社会はウンマと呼ばれる宗教的共同体として組織されており、キリスト教のような「聖職者」は存在せず、ムスリム(イスラム教徒)が平等に参加する水平で単一の組織として構成されている点です。
このイスラム共同体の起源については、こちらのサイトの記事が詳しいので、参照して下さい。
日本を守るのに右も左もない ~統合機運の基盤⇒イスラム教(遊牧共同体国家による市場の制御)
上記サイトにまとめられているように、「武力支配国家が登場せず、古来からの部族集団が残存している状況下で、急激に押し寄せた市場化の波。その中で、市場化による秩序破壊を食い止める⇒市場を制御するために形成されたのが、イスラムと言う思想体系・規範体系であり、イスラム遊牧共同体国家である」と言う点が、重要なポイントであると言えます。
確かに、イスラムの教典である「コーラン」の内容は、宗教的信仰体系と言うよりは、社会生活を律する規範体系(規範観念)と言う方が適切で、イスラムに特徴的な定時の礼拝や断食(ラマダン)、聖地巡礼も、全てのムスリムが一斉に同じ時間に行うことで、共同体の一体感を高めると言う効果が意図されています。
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(メッカの大巡礼)
イスラムの観念体系や行動規範は全て集団原理・集団統合に根ざしていると言え、イスラムとは(架空の)宗教観念と言うよりは、集団規範観念であると言えます。
これが、イランやイラクなどの現代イスラム国家を見ても、どこか強い集団意識や連帯感を感じる理由なのでしょう。前回までに見てきた「迫害された集団が団結して自己正当化する為に掲げられた」ユダヤ教、「集団が解体し、バラバラになった個人の救済の為に登場した」キリスト教とは、「集団原理」を残している点が大きく異なっています。(ユダヤ教は集団団結が意図されているが、本源的な共同体集団がバラバラに解体され、その上で、選民思想を軸として人工的集団が形成されている)
なお、イスラム以前のアラブ社会(遊牧部族)は、母権制社会であったことが分かっていますが、上記の市場化と戦争圧力の中で、父権性社会へと転換していきます。
■イスラム社会における男女関係
次にイスラム教における男女関係について見てみましょう。
イスラム社会における男女関係は非常に特徴的です。その特徴と背景に迫ってみます。
<性に対する肯定性>
女性が身につけるベールのイメージから、イスラム社会は性(特に女性)に「否定的」な社会と言うイメージがありますが、実態は大きく違い、性に「肯定的」な社会です。
キリスト教では「性」は「罪」とされ、禁欲を美としていますが、イスラム教では開祖ムハンマド自身が、禁欲や去勢を戒めたと言われ、コーランの中にも性に関する内容が多数登場します。
るいネット ~「性」に肯定的なイスラム教
(上記リンクにも記載がありますが、ムハンマドは天国では一日100人の処女とセックスが出来るとも述べています・・・)
なお、イスラミックセンター・ジャパンのイスラームについての記事の中で、イスラムに改宗した日本人女性がイスラム教におけるセックス観について書かれれており、これが解りやすくまとまっているので引用します。

性を罪悪視したキリスト教の歴史においては、非婚が神聖視され、性行為を生殖のみを目的とした行為とみなし、そこから快楽を得ることを忌み嫌ったこともあったが、イスラームにおいては性行為は神が夫婦にのみ許し給うた快楽であり、また神聖な務めであった。
・・・妻にとって夫の性的欲望を満たすことは重要な義務の一つである・・・
妻が夫の欲望に応えなければならないというと、性行為がもっぱら夫のためにだけあるように誤解されるといけないので付言すると、夫には妻を喜ばせる義務がある。「あなた方の誰でも、卑しい獣のように妻に飛び掛ってはいけません。まず交わりの前に先駆けを送りなさい。」と預言者は言われ、先駆けとは何のことですか、と尋ねられると、「接吻と優しい言葉です。」と言われた、という伝承がある。
また、妻の許しなく射精直前に身体を離すことは禁じられるが、これは妻の喜びを奪うことになりうるからと考えられる。性行為は生殖のためだけでなく、夫婦の間で楽しむべきものとしてアッラーから与えられているのである。
私はこうしたイスラームの性愛観を知って、小説、雑誌、テレビなど巷に氾濫する性のイメージに対して覚えていた嫌悪感を一掃することができた。それまでは性を心のどこかで不浄視していたように思う。切り捨てることのできない人間の動物的側面として疎ましい気持ちがあったように思う。また、性行為に男と女の力関係を見るようなやり切れなさも感じていた。現在、それは一点の曇りもない清らかな性のイメージに取って代わった。

上記引用文でもあるように、イスラム教では「性」を単なる生殖行為として捉えるのではなく、重要な充足源と捉えていると言えます。この点が、ユダヤ教・キリスト教と大きく異なっている点です。
<性闘争を抑制する「ヒジャーブ」>
先述したように、イスラム教は性に対して「肯定的」である一方で、女性は全身を覆い隠す「ヒジャーブ」(所謂ヴェールのこと)をまとい、身内以外の男女の接触は制限されています。
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(目だけしか見えないヒジャーブの一種ブルカ)
コーランの中で、「女性は顔と手意外を隠し、近親者意外には目立たないようにしなければならない」と記述されている為に、イスラム社会の女性は例外なく身体を隠すヒジャーブを身にまといます。(実はヒジャーブにもバリエーションがあります。ロンドンオリンピックのイスラム女性選手の服装でも話題になりましたね)
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(ロンドンオリンピックのイスラム選手)
西欧社会からは、ヒジャーブは女性抑圧の象徴と捉えられることが多いですが、イスラム教徒はヒジャーブを「信仰の証」として誇りに思い、抑圧の象徴とは全く考えていないとのことです。(ヒジャーブを中止する社会的運動は全く起きていない)むしろ、それを身につけることで、「性を商品化する視線」にさらされず、安心感を得られるとの意見もあります。(イスラミック・センター ジャパン
ヒジャーブが設けられた背景としては、コーランの中で、「預言者よ、おまえの妻たち、娘たち、また信者の女たちに言え。長衣を纏うようにと。そうすれば見分けがつきやすく、危害を加えられることがないであろう」との記載があり、略奪・性闘争の抑制を意図して設けられたものであったと考えられます。
(国によって差はありますが)イスラム圏では、イスラム教徒による性犯罪はほとんどなく、ヒジャーブによる性闘争・性的自我の抑制が、社会秩序・社会規範を維持することに繋がっていると言えるでしょう。
(なお、一般的にヒジャーブの下はセクシーなランジェリーを身につけることが多いらしく、イスラム圏のスーク(バザール)にはランジェリーショップが非常に多いらしい・・・集団の外では性は隠し、集団の中では性を全開にすると言うことでしょうか。。)
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(シリアのスーク ランジェリーショップ)
<婚姻規範・婚姻様式>
イスラム社会では、身内以外の男女の接触は制限されている為に、未婚男女の自由交際は基本的にありえず、ほとんどの場合が見合い婚となり、結婚契約を取り交わすのは女側の父親と夫になる男の間と決められています。ただし決定権は女性にあり、「既婚の女性はその意向を尋ねてからでなければ嫁がせてはならず、また処女はその同意を得てからでなければ嫁がせてはならない。」とされています。
なお、コーランによるイスラム法の下では、男性は4人まで妻を娶ることができるとされており、典型的な父権一夫多妻社会です。(ただし、決定権が女性にある点に、かつての母権社会の名残が見受けられる。また、男性は正当な理由があれば、5人以上の妻をもつことも可。ムハンマドに至っては、16人の妻と4人の妾、その他に2人の女性と関係を有していたと言う。)
一方で、同じくコーランにおいて、夫は妻を保護し扶助を与える義務があり、それぞれの妻に差異を設けることは許されないとされており、条件をみたせないときは複数の妻を娶るべきではないとされています。(このような場合、一夫一妻が推奨され、財力的な問題で現実的には一夫一切が多いが、一方で一夫一妻制は「不自然な姿」とも考えられている)
イスラムの一夫多妻は、男の好色を満たすために複数の女性を囲うハーレムの誤ったイメージばかりが先行し、西欧キリスト教社会からは女性差別の象徴と見なされることが多いですが、その実態は上記のように決して「男に都合のいいシステムではない」ことが解ります。
イスラム社会が一夫多妻になった背景には、戦争下で寡婦となった女性の経済的扶助の目的と、戦争など一時的に男女間の人口不均衡が起こった際でも、女性が結婚し、子供を産むことで社会的再生産を進めることができるようにとの目的があったと考えられています。
<男女の役割規範>
イスラム社会では、「男は仕事に、女は家庭(集団)に」と、男の世界と女の世界が明確に分けられていますが、男が社会の中心にあり、女性が家庭と言う片隅に追いやられていると捉えるのではなく、二つの別の世界を構成していると捉えられています。
女の世界である「家庭」とは閉じられた社会ではなく、「家族・親類・隣人」と言った横の関係をつなぐ核として欠かせない役割を果たすと考えられており、その中に女性の重要な(充足)役割があると考えられています。(この意識には、かつての母権集団の名残が見られます。)
イスラム教では男と女は異なるもので、それぞれに義務があるとされます。教義において、夫は妻に対しリーダーシップを負い、男は女の擁護者とされるため、西欧的フェミニズムからは女性差別・蔑視であると指摘されることが多いですが、女に対する男の権威意識ではなく、集団規範・男女役割規範に基づいた意識であると言うのが正確と言えます。
■まとめ
さて、以上イスラム教世界とその男女関係について見てきましたが、こうやって見てくると我々のイスラム教世界に対するイメージ(特に女性が抑圧されていると言うイメージや排他的宗教観)が随分ずれていることが解ってきます。
我々が一般的にイスラム社会に描いているイメージは、全て西欧(=キリスト教)的視点から見たものであり、ヨーロッパがイスラム社会に対して抱いている偏見とコンプレックス(歴史を通して戦争でも技術でも文化でもヨーロッパ社会はイスラム社会に負けてきた)が、イスラム社会を正確に理解することを妨げているのであると思われます。
色眼鏡を通さずにその姿を捉えれば、「イスラムの観念体系や行動規範は全て集団原理・集団統合に根ざしている」と言え、、「イスラムとは(架空の)宗教観念と言うよりは、集団規範観念である」」ことが解ってきます。
それは、むやみな性闘争を抑制する為のヒジャーブの存在や、集団における男女役割規範、そして集団の活力源として性を捉える意識など、男女関係においても貫かれています。
集団を原点としたこれらの意識は、我々日本人の意識と極めて親近性が高いように感じられます。
さて、これまでユダヤ教ーキリスト教ーイスラム教と「アブラハムの宗教の系譜」について見てきましたが、次回からは我々日本人にも馴染み深い、「仏教」について取り上げる予定です。
お楽しみに 😛

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