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2012年11月25日

宗教からみた男女関係 ~「仏教」①インド仏教の成立から衰退まで

『宗教からみた男女関係』シリーズこれまで、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を扱ってきましたが、今回は日本にもなじみの深い仏教です。とは言っても、現在、日本で知られている仏教と、世界で信仰されている仏教とは大きく違っているようです。そこで、仏教シリーズは3回に分けて1回目はまず仏教の成立過程から見ていきたいと思います。

前回の投稿で、「迫害された集団が団結して自己正当化するために掲げられた」ユダヤ教、「集団が解体し、バラバラになった個人の救済の為に登場した」キリスト教、「古来からの部族集団が残存している中、市場化による秩序崩壊を食い止める集団規範であった」イスラム教、という分析がなされましたが、仏教成立にはどのような時代背景があったのでしょうか。
それでは本文に行く前に、いつものヤツをポチッっと押して下さい。

←ちなみにこれは「白毫(びゃくごう)」といいまして、お釈迦様のおでこに生えてる渦巻状の“毛”だそうです。(リンク

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○仏教の成立時期と時代背景
仏教が成立したのは、約2500年前(紀元前5~6世紀頃)とされています。この頃は、アーリア系16大国に加え、多くの小国が争い、混乱を極めていた時期でもありました。当時のインドではバラモン教が支配的でしたが、こうした社会混乱が新しい宗教・思想を生み出す機運になっていきました。

 当時のインドでは祭事を司る支配階級バラモンとは別に、サマナ(沙門)といわれる出身、出自を問わない自由な立場の思想家、宗教家、修行者らがおり、仏教はこの文化を出発点としている。発生当初の仏教の性格は、同時代の孔子などの諸子百家、ソクラテスなどのギリシャ哲学者らが示すのと同じく、従来の盲信的な原始的宗教から脱しようとしたものと見られ、とくに初期経典からそのような方向性を読み取れる。当時の世界的な時代背景は、都市国家がある程度の成熟をみて社会不安が増大し、従来のアニミズム的、または民族的な伝統宗教では解決できない問題が多くなった時期であろうと考えられており、医学、農業、経済などが急速に合理的な方向へと発達し始めた時期とも一致している。
(ウィキペディアより)

 上記にもあるように当時は、社会混乱に加え市場経済が発達していく過程(共同体による共認社会から、貨幣経済による私権社への移行期)でもありました。共同体を失った都市住民には、共同体規範に代わる新たな統合観念が必要でした。 又、部族連合(都市国家)を統合していく中で、アーリア人部族の守護神信仰から発生したバラモン教だけでは自部族内は統合出来ても、異なる部族同士の都市国家連合は統合できなくなってきたのでしょう。こうした社会状況が「六十二見」とも呼ばれた様々な思想群を生み出します。その中で、統合観念になり得る普遍性を備えていたのが仏教だったのです。
○仏教の始祖(ブッダの誕生)
 仏教の始祖は、お釈迦様としておなじみの釈迦牟尼 (俗名:ゴータマ・シッダッタ)ですが、釈迦族の王子という恵まれた身分に生まれながら、何故王宮を出て真理を追究しようとしたのでしょうか。

 釈迦(ゴータマ・シッダールタ)は、釈迦族の王子として現在のネパール南部に生まれました。16歳で結婚し一子をもうけ、何不自由のない生活を送っていました。そのような王子がなぜ家を出て、悟りを求めようとしたのか。仏典には次のような出来事が起こったと書かれてあります。
 ある時彼が外出のため東の門から出たところ老衰のため哀れな状態となった老人に出会う。別の日南の門から出たところ重病人を見て病の避けられないことを知り、さらに西の門から出た時には、死人が担架に乗せられ嘆き悲しむ遺族がつき従うのを見かける。最後に北門から出たとき、彼は柔和平静な出家者に出会ったというのです。
 生老病死を始めとして、世界が苦しみに満ちていると知った彼は、なぜ苦しみに満ちており、なぜ誰もが(自分自身も含め)苦しむのかと考えた末、出家者の生き方を選び(当時は、出家するのが当たり前でした)、妻子を捨てて王宮を出たのでした。29歳のときです。その後彼は6年間、他の修行者に混じって苦行を行いますが、結局真理を得ることはできませんでした。
 
 そして、いたずらに肉体を痛める苦行は人生の苦しみから脱却する方法にはならないと判断した彼は、苦行を止めて川で沐浴をします。疲れ切っていた彼は、その川で倒れてしまいます。その時、傍を通ったスジャータという少女が差し出した乳粥で体力を回復すると、彼は静かに菩提樹の下で瞑想を行います。そして、今まで出会った人々のことを思い返しはじめます。そこでようやく真の智慧を得、ブッダとなりました。
(縄文と古代文明を探求しよう:リンク)より


○仏教の教義と特徴

1.「多神教」かつ「神は全能ではない」
 仏教は、古代インドのバラモン教を始め、多くの宗教の神を取り入れた多神教。
 また神も「輪廻の苦」の中にあり、特別・全能ではないとする。
2.「無常観念」+「煩悩否定」
 無常観念に基づく四法印(4つの教え)が根本思想。
 ・諸行無常:一切の形成されたものは無常。
 ・諸法無我:全ての存在には、我=主体はない。
 ・涅槃寂静:煩悩が消え去り、苦から解放された境地が目標。
 ・一切皆苦:一切の形成されたものは、苦しみである。
3.「輪廻解脱」
 輪廻(=何度も転生し、また動物等にも生まれ変わること)を苦と捉え、輪廻から
 解脱する(抜け出る)ことを目的とする。(これはインド古代宗教に共通の認識) 
4.「四諦八正道」
 人生は苦→苦の原因は人間の執着→苦を滅した境地が覚り→覚りに到達する方法は
 八正道とする「四諦」(4つの真理)に基づき、救いは神の力によるものではなく、
 個々人の八正道の実践によるものとする。八正道とは、正しく見る、考える、話す、
 行動する、生活する努力する、思いめぐらす、正しい心を置くと言う八つの正しい道
 を言う。これは間接的に「苦行の否定」を意味する。(リンク)より

 この中に出てくる「輪廻」とは、生き物がそれぞれの業(過去の行為による報い)によって生と死をくり返すことをいいます。つまり、現在の生のあり方が次の生のあり方を決定するというのです。インドの過酷な自然のもとでは、生と死の繰り返しは苦痛であり、この輪廻転生は、何とかして断ち切られるべきものと考えられました。
 「輪廻」とは循環的な時間観と捉えがちですが、それは無限の因果の連鎖であり延々と続く川の流れのようなものです。もはや、人は元いたところには戻れず、善業も悪業も蓄積され、無限にその連鎖が続きます。決して循環などではないのです。人生=苦であり、その人生を全うして死を迎えたとしても、その先には輪廻の苦が待っています。だから仏教では、現実の苦しみの中で煩悩を捨てさり、無の境地に至ること(=悟りを開くこと)が唯一の救いの道であると説いています。
 インドで古来から根付いている「輪廻」の考えと、アーリア人からもたらされた生涯固定の身分制度「カースト制」、この2つから抜け出すにはこのような「無常観念(現実否定)」に行き着くしかなかったのでしょう。
○インドでの仏教の普及
 バラモン教では、「輪廻からの開放(=解脱)」に至るための修行が許されたのは、カーストの最高位であるバラモンだけでした。そのため、社会混乱と市場の拡大に伴い力をつけてきたクシャトリア(王族、武士)階級から仏教は支持されるようなります。又、仏教が普及してくると、その宗教的権威を利用しようとする者達も現れました。戦乱の中でカーストから外れた異民族や卑属出身者が王国を築くようになりますが、彼らの政治的権力に正当性を付加する為に最適だったのが、あらゆる民族を受け入れ、平等主義を説いた仏教だったのです。
 
 中でも、仏教を擁護し、その普及に大きく貢献した「アショーカ王」も彼の属するマウリア家の祖チャンドラグプタが卑属の出身であり、母も卑属出身の理髪師でした。アショーカ王が仏教に帰依するきっかけとなったエピソードを紹介します

 アショーカは王となる際に99人の兄弟を殺した。即位した後には、彼の通った所はすべて焼き払われ草木が一本も生えていない、といわれるほどの暴君だったが、あまりにも無残な戦争(カリンガ王国征服)を反省し仏教に深く帰依したとされる。
当時カリンガ国はインド亜大陸の東岸で勢力を振るった大国であり、この時代にもマウリヤ朝の支配には服していなかった。遠征の理由は不明瞭であるが、マウリヤ朝の軍が時に敗走するなどの激戦の末カリンガ国を征服した。この時15万人もの捕虜を得たがこのうち10万人が殺され、戦禍によってその数倍の人々が死に、多くの素晴らしきバラモン、シャモンが殺され、多くの人が住処を失ったという。アショーカ王はこれを深く後悔し、この地方の住民に対し特別の温情を持って統治に当たるよう勅令を発した。以後対外遠征には消極的になり「法(ダルマ)の政治」の実現を目指すようになったという。(リンク)より

 これだけ読むと、かなり残虐非道な王様だった印象を受けますが、これは恐らく後世の仏教徒たちがアショーカ王の仏教改宗を劇的なものとするために殊更に改宗前の残虐非道を書き連ねたものと考えられます。ですが、実際にも武力支配を維持する為には、多くの人民を暴力で押さえつける必要があります。王自身、それには限界を感じており、何らか支配を正当化する統合観念が必要だと感じていたのでしょう。そこで、仏教の規範を利用して「法(ダルマ)の政治」を行ったのだと思います。
○仏教の中の男女関係

・仏教成立前のインドでの女性観
 バラモンを頂点とするカースト制度に縛られたヒンドゥー社会においては、輪廻観と、浄・不浄観の広まりによって、月経の際に血を流す女性は、本質的に「不浄」「邪悪」「軽薄」「淫ら」なものとされ、「女は出産の手段」「男児を産んでやっと一人前」「娘は厄介者」とされていました。そして、宗教的にはシュードラ(奴隷)と同位相に位置づけられ、「三従(子供の時には父親に従い、嫁いでは夫に従い、夫の死後は子に従う)」が規範化されていました。(リンク)より

 「輪廻」や「カースト制」から脱却して解脱することを目指した仏教ですが、仏教自身がバラモン教から派生したものであり、基底部にはバラモン教の考え方が根付いています。従って、女性観にはバラモン教と大差が無かったようです。そのため、仏教の教義も男性原理で貫かれているものが見受けられます。代表的なものは仏や菩薩は全て男性であり、女性は成仏することは出来ない。「変成男子(へんじょうなんし)」という考え方です。ならば女性はどうしたら仏に成れるのかというと、女性は善行によって男性に生まれ変わり、そこから修行することによって初めて仏や菩薩になれるのです。

 ↑↑↑ 弥勒菩薩も男なんですね(画像はコチラから)
 「性」に関しては、近代日本仏教と新宗教を除く、多くの仏教国家と宗派は禁欲生活を守っています。僧侶が守るべき戒律として「不淫戒」があり、あらゆる性交(自慰を含む)が禁じられているからです。「無欲を善」とし、解脱の為にはあらゆる煩悩からの解放が必要と説いた仏教では、「性」に限らず全ての欲を振り払う必要があります。中でも、もっとも克服しがたいのが「性欲」なので、ことさら厳しく徹底的に禁止するに至ったのでしょう。
○インド仏教の衰退
 インドでは市場の成熟と連合国家の成立による共同体の破壊で、これまでのアーリア人のための守護神信仰を源流とする「バラモン教」では集団統合に限界が来ていました。そこに異民族や支配層以外にも受け入れられる普遍性を持った仏教が登場し、普及していきました。そのため、仏教を支えていたのは、普遍性が行動原理となる商・工人、非正統の政治家、被抑圧者階級、革新的知識人、宮廷女性でした。
 しかし、性をはじめとするあらゆる欲を否定する仏教は庶民には受け入れられず、アショーカ王などの有力な庇護者を失うと次第に衰退していきます。そこにとって代わっていくのはヒンドゥー教でした。ヒンドゥー教は衰退していくバラモン教がジャイナ教の考えを取り入れて性を肯定視し、地場信仰と習合していくことで、庶民層を取り込んでいきます。又、商人や異民族はその頃成立した、より普遍性を備え市場原理に合った「イスラム教」に改宗していったようです。
 インド国内で衰退した仏教は、その姿を変えながらチベット→中国→日本へと伝わっていきます。「日本に来た仏教がインド仏教からどのような変容を遂げているか?」次回はそのあたりに迫ってみます。

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