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2012年12月15日

宗教からみた男女関係 ~「仏教」4 仏教の男女関係②仏教が抱える矛盾

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427年に建てられた世界最古の大学(ナーランダ僧院) 後期インド仏教の中心となった。

仏教における男女関係について追求しています。前回は、仏教における男女関係が戒律により厳しく戒められていること、にも拘らず日本の仏教では妻帯も珍しくなく、終には明治時代に至って表立って妻帯を認められるようにさえなる様子をご紹介しました。

この「戒めながらも妻帯する」日本仏教の有り様に、仏教そのものが男女関係において矛盾を抱えているのではないか?とお伝えしましたが、今回はこの矛盾について更に見て行きたいと思います。

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■仏教の婚姻の忌避~原始仏教 

前回の戒律でもそうでしたが、仏教徒は男女の関係や妻帯を(表向きは)認められていません。このことは以下に紹介する弟子の逸話にも現れています。

大迦葉

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大迦葉

大迦葉(だいかしょう)は、仏教第2祖、釈迦十大弟子の一人。仏陀の死後、初めての結集の座長を務める。

八歳でバラモンに入門し修行してすべてを得たが、さらに出家して求道したいと考えていた。二十歳の頃に家系が途絶えるのを恐れた両親は、彼に結婚をすすめたが、清浄な生活を送りたいと一度断るも断りきれず、彼は工巧に金の美しい女人像を造らせて、これと同じならばその人と結婚しようと条件を出した。困った両親は八人のバラモンに探すように頼んだ。

跋陀羅迦毘羅耶(バドラー・カピラーニ)の乳母が、その像を見て彼女と見間違えたことから縁談がまとまった。しかし彼女はまだ十六歳で、彼女自身も出家したいと考えていたので、迦葉も彼女も使者に手紙を遣わして結婚を断るように要請したが、お互いの使者が道で出会い、後々の事を考え破り捨てた。

迦葉は浮浪者に身をやつして彼女の家に行き、互いに同じ出家の意志がある事を確認すると、それを承知の上で結婚した。彼らは床も離れて寝たので12年間、子供もなく過ごしたが、迦葉の両親が亡くなったある日、畑仕事を見ていて土中から出てきた虫が鳥に食べられる光景を目撃し、世の無常を感じた。彼女も同じく胡麻を乾燥していると多くの虫がおり、このまま油を絞ると殺生すると思い、共に出家を決意した。 多くの人が引き止める中、剃髪して粗衣に着替え鉢を持って出家したが、ある分かれ道でこのままでは私情に流されるとして、迦葉は右へ、彼女は左へと分かれたという。

 
この逸話は釈迦の直ぐ下の弟子のものですのでかなり古いものと思われます。こうした逸話などから次第に性関係を戒律で禁止する方向へ進んだのでしょう。

■密教における男女関係への肯定視

対して、後期仏教では性関係を取り入れた教義が登場します。

ヤブユム

ヤブユム(チベット語であり、逐語的には「父上-母上」。男女両尊、父母仏、歓喜仏とも。)は、インド、ブータン、ネパール、チベットの仏教芸術においてよく見られる、男性尊格が配偶者と性的に結合した状を描いたシンボルである。男性尊格が蓮華座にて座し、伴侶がその腿に腰かける座位の構図が一般的である。この交合を通じて大楽を導き、解脱に達することが目指されている。

性へ重きを置いた交合という象徴主義的なあり方は、特にチベットのタントラ仏教における中心的な教えである。この交合は、実践者その人の身体における神秘的な体験として実現される。

ヤブユムは一般に智慧と慈悲の原初的(あるいは神秘的)な結合を表現しているものと理解されている。仏教において男性原理とは能動であり、慈悲と方便を表すものである。それは悟りを得るためには必須のものである。そして女性原理とは受動であり、やはり悟りには欠かせない智慧を表している。これらが合わさることで、この構図はマーヤー(幻)の蔽いを剥ぎ取り、主体と客体という偽りの二元性を克服するために求められる交合の形を取る。ヤブユムにおいてはどちらも独立していない。これは至福の境地であり、完成そのものである。

 
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ヤブユム 画像はこちらから  

■仏教における性関係との融合と仏教の滅亡

仏教に限りませんが、宗教では布教して多くの信者を組織する(集団とする)事が活動の大半となります。そして集団である為には何らかの規範や価値基準が必要です。その為当初の仏教では修行の妨げ、集団生活の秩序を乱す要素(性的なものへの執着)を排除して修行する集団を目指したのでしょう。その為に欲=煩悩という教義や修行についての複雑な観念体系(成仏や輪廻転生など)も拵えました。

しかし、本当に輪廻から解脱するのであれば性を捨象していて良いのか?という疑問が生じます。更には捨象しているものがある限り全能の仏にはなれない→仏になれない苦悩こそが修行の必然 
だとも言いたげです。しかし、こうした無理な観念操作が本当に人々の為になるのでしょうか? 
後期仏教はヒンドゥー教の影響を得ているとご紹介しましたが、より正確には仏教が衰退しかけヒンドゥー教が隆盛した際、生き残りを掛けて教義の融合を行なったようです。更にそれでも仏教はインドにおいては消滅し、唯一チベットなどで密教として残ったのだということです。

5世紀になって、インドで生まれた仏教は、ヒンドゥー教の台頭で衰退の一途をたどっていた。そこで、ヒンドゥー教に対抗しうる術として見出されたのがヨーガだった。悟りを開くには修行すべきという密教的な教えに仏教は進んでいった。だが、仏教は、ヒンドゥー教に対して優位に立つことはできなかった。

そこで、仏教(密教)徒は、他宗教では絶対に手をつけていなかった「性」に手をつけた。性行為は、人間にとって一番根源的であり、誰しも避けては通れないものであるにもかかわらず、世界中の宗教が忌避してきた。誰の目にも俗中の俗と映る性行為。その性行為のみが、人間を、とりわけ末世の人間を解脱という聖の極みへとジャンプアップさせる唯一の方法だと、密教は説いた。

仏教が導入した策も、やはり、戒律との葛藤を秘めていた。当時の密教は、呪いや黒魔術的・オカルト的要素まで取り込んでおり、問題が多かった。結局、インド仏教界は、この問題を解決する間もないまま、1203年に西から侵攻してきたイスラム教徒に絶滅させられてしまった。この結果、性の問題は、インド仏教を引き継いだチベット仏教へ引き継がれていった。

 
チベット密教に引き継がれた無上ヨーガ・タントラ

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ヒンドゥーのヴィシュヌ神

ヒンドゥー教は仏教以前のバラモン教の流れを汲む土着的な多神教です。一度は隆盛を誇った仏教に変わってヒンドゥー教が隆盛してきた背景には、インド社会の支配層の志向性と大衆への親近性があったのだと思いますが、仏教が大衆に浸透して行かなかったもう一つの問題構造が、論理矛盾を内包するが故の教義の難解さでは無かったか、と思います。

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世界遺産・エレファンタ島石窟寺院寺院群はヒンドゥー教の修行者により5~8世紀に造営された。

布教集団として難解な観念世界や、性を忌避する規範などを重視してきた仏教は、その存続を掛けて「性」に踏み込みます。しかしこのことは当初の戒律とは矛盾します。

その矛盾は仏教においては致命的だったのではないでしょうか?

それは仏教の特徴である難解な観念世界での論理の破綻でもあるし、何時までたっても仏になれないという点での矛盾でもあるのではないでしょうか?

更には矛盾の中心に男女関係に対する忌避の思想があったのだとすれば、やはり問題は仏教の未熟さだと言わざるを得ないと思います。

※なお、日本でも性交を通じて即身成仏に至ろうとする密教の一派である真言立川流や天台宗玄旨帰命壇などが南北朝時代(1336年~1392年)に興りました。が、何れも江戸時代の弾圧で消滅しています。因みに、真言立川流の経典「理趣経」は意外に古く760年頃(密教登場の100年余り後)に訳されたとの事です。その後1200年頃にインド仏教は消滅しています。

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