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2013年02月17日

「共同体社会における生産と婚姻」その②(前編)~農村の自治(荘園から惣村へ)

 「共同体社会における生産と婚姻」について、具体的な追求するシリーズ第2回目。前回は「共同体社会をささえてきたお百姓さんの変遷」を辿ってみました。今回は「農村の自治について」調べていきます。

 時代劇に出てくるの農民の印象というと虐げられているイメージが一般に浸透していますが実際はどのようなものだったのでしょうか。時代を追って検証していきたいと思います。
(画像はカムイ伝より。代官が年貢米の検査に乗じて俵から米を抜き、「量が足りない」と因縁をつけるシーン。)

それでは本編に行く前にいつものヤツをポチっとお願いします。

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日本の土地制度の変化と農村の形成(荘園から惣村へ)
 実は、私たちが一般的にイメージする農村(集落に暮らす農民達)が出来上がってきたのは比較的時代が下ってきてからなのです。

■飛鳥時代後期から平安時代前期
 6世紀以前は、各々の豪族が土地と民衆を直接支配していました。その後、律令制が整備され、701年大宝律令が制定されると、班田収授や戸籍などの制度により、豪族の土地・民衆支配は否定され、中央政府による統一的な土地・民衆支配となりました。
■奈良時代初期
 人口や財政需要の増加に伴い、722年、国家収入を増やすため政府において大規模な開墾計画の一環として三世一身法が発布され、期限付きではありますが開墾農地(墾田)の私有が認められました。しかし、期限が到来するとせっかくの墾田も収公されてしまうため開墾は下火となりました。
 そこで政府は新たな推進策として743年に墾田永年私財法を発布し、墾田の永年私有を認めました。これにより、資本を持つ中央貴族・大寺社・地方の富豪は活発に開墾を行い、大規模な土地私有が出現することとなりました。
このときの大規模な私有土地が荘園となっていきます。
■平安時代後期~鎌倉時代中期
 この当時の荘園公領制においては、公領領主(郡司、郷司など)や荘官、一部の有力な名主百姓が「名」を管理していました。
 百姓、あるいはその身分すら持たない一般の農業などの零細な産業従事者らは、それぞれの領主などに従属しており、点在した「名」を中心として百姓らの生活・経済活動は行なわれていました。
 従って、耕地の間に百姓などの住居がまばらに点在する散居と呼ばれる形態が一般的で、住居が密集する村落という現在のような形態ではなったようです。
※「名」とは荘園公領制における支配・収取(徴税)の基礎単位
■鎌倉後期頃
 「地頭」が荘園・公領の支配を進めたので、「名」を中心とした生活経済は姿を消し、従来の荘園公領制が変質し始めます。
 鎌倉時代後期には、百姓が苦労して牛馬耕を行なった結果、二毛作が可能となりました。そして、余剰人員が手工業や商業に手を出した時代です。百姓は二毛作を維持するために、肥料用として村共有の山野(入会地)、特に川や溝の管理を重要視していきますが、山野や川などは行政区域(支配単位)の荘や郷を越えて存在していました。
また、鎌倉時代後期は、戦乱の打ち続いた時代です。自主性に富んだ富裕な百姓は、自分達の生命と財産を守るために自衛行なうことになります。
 従って、百姓らは、水利配分や水路・道路の修築、境界紛争・戦乱や盗賊からの自衛などを契機として地縁的な結合を強めいくことになります。
そして、畿内・近畿周辺で、耕地から住居が分離して住宅同士が集合する「村落」が形成されていきます。「村落」は、その範囲内に住む惣て(すべて)の構成員で形成されたので、「惣村」または「惣」と呼ばれるようになりました。

カムイ伝より。主人公の正助は花巻村の人々ために収穫を上げる工夫を凝らす。鎌倉時代も肥料や水治の工夫で生産力が上昇していきます。)
■南北朝時代
 
 全国的な動乱を経て、畿内に発生した「村落」は各地へ拡大します。支配単位である荘園や公領(郷・保など)の範囲内で、複数の惣村がさらに結合する「惣荘」、「惣郷」も形成されていきます。
惣荘や惣郷は、百姓の団結・自立の傾向が強く、かつ最も惣村が発達していた畿内に多く出現していきます。
また、畿内から遠い東北・関東・九州では、惣村よりも広い範囲(荘園・公領単位)で、ゆるやかな村落結合「郷村」が形成されていきます。
■室町時代
 守護の権限が強化され、守護による荘園・公領支配への介入が増加してききます。惣村は自治権確保のため、荘園領主・公領領主ではなく、守護や国人と関係を結ぶ事が多くなっていきます(守護領国制)。
 惣村の有力者の中には、守護や国人と主従関係を結んで武士となる者「地侍」も現れていきます。惣村が最盛期を迎えたのは室町時代中期(15世紀)頃であり、応仁の乱などの戦乱に対応するため、自治能力が非常に高まりました。

(映画「ラストサムライ」。この映画では侍と農民が同じ集落に住んでいて何か違和感があったのですが、室町時代は「地侍と農民」が一緒に暮らしていたのですね。映画の設定は明治ですが…orz)
 このようにして、平安時代は荘園の中で分散して生活していた農民は「生産力上昇による世帯増」「戦乱による防衛の必要」から、集落を形成し、自治・防衛機能を持つ共同体「惣村」を作り上げていきます。なかには山城を設け、戦乱の際には篭城して身を守るというところもあったようです。

 惣村内の自治と役割分担について、ウィキペディアより引用します。

【惣村の自治】
 惣村の内部は、平等意識と連帯意識により結合していた。惣村の結合は、村の神社での各種行事(年中行事や無尽講・頼母子講など)を取り仕切る宮座を中核としていた。惣村で問題や決定すべき事項が生じたときは、惣村の構成員が出席する寄合(よりあい)という会議を開いて、独自の決定を行っていった。
 惣村の結合を維持するため、寄合などで惣掟(そうおきて)という独自の規約を定め、惣掟に違反した場合は惣村自らが追放刑・財産没収・身体刑・死刑などを執行する自検断(じけんだん)が行われることもあった。追放刑や財産没収は、一定年限が経過した後に解除されることもあったが、窃盗や傷害に対する検断は非常に厳しく、死刑となることも少なくなかった。なお、中世の法慣習では、支配権を有する領主や地頭などが検断権を持つこととされていたが、支配される側の惣村が検断権を持っていた点に大きな特徴がある。(検断沙汰も参照。)
 荘園領主や地頭などへの年貢は、元々、領主・地頭側が徴収することとされていたが、惣村が成立した後は、惣村が一括して年貢納入を請け負う地下請(じげうけ)が広く行われるようになった。地下請の実施は、領主側が惣村を信頼していることを意味するだけでなく、年貢納入が履行されなければ惣村の責任が強く問われることも意味していた。地下請の伝統は、惣村が消滅し、近世村落が成立した江戸時代以降も承継されていった。
 惣村は、生産に必要な森・林・山を惣有財産とし、惣村民が利用できる入会地に設定した。惣村の精神的な中心である神社(鎮守)を維持するために神田を設定し、共同耕作することも広く見られた。また、農業用水の配分調整や水路・道路の普請(修築)、大川での渡し船の運営など、日常生活に必要な事柄も主体的に取り組んでいった。

○惣村の構成員
惣村の指導者には、乙名(おとな)・沙汰人(さたにん)などがあった。また、惣村の構成員のうち、乙名になる前の若年者を若衆(わかしゅ)といった。
【乙名】
乙名は長老・宿老・老中・年寄とも呼ばれ、惣村の構成員のうち年齢や経験が上位の者があたった。乙名は元々、村落の祭祀を執り行う宮座(みやざ)の代表者をさしていたが、惣村の結合が宮座での儀式を中心として行われていたことから、惣村の指導者を意味するようになった。乙名は一人ではなく複数人で構成され、惣村の運営・調整・交渉などに当たっていた。乙名になりうるのは、かつての名主層や多くの耕地を保有する者などの有力者たちであった。
【沙汰人】
沙汰人は元来、荘園領主や荘官の代理人として、命令や判決を現地で執行する者をさした。荘園公領制の弱体化と惣村の発達に伴い、沙汰人は惣村とのつながりを強めていき、惣村の指導者となることもあった。乙名が惣村の構成員から年功序列で選出されたのに対し、沙汰人は領主・荘官の執行人という職を出自とし、またその地位を世襲していた点で異なっていた。
【若衆】
若衆は、惣村の警察・自衛・消防・普請・耕作など共同体の労働の中心を担っていた。また、女性は惣村の構成員には含まれなかった。ただし、死亡した夫の財産を相続した後家(寡婦・未亡人)については、惣村の構成員として認められることもあった。若者組も参照。
惣村が形成された当初は、惣村の構成員は乙名のみに限定されていた。時代が経過すると名による支配体制が崩れて、多くの一般百姓(地下人:じげにん)が経済的に自立していったため、これらの地下人も惣村の構成員に加わっていった。惣村の結合の中心である宮座への参加が認められた百姓を惣百姓といい、惣村の構成員とされた。

 「防衛」と「自治」を兼ね備え、発達していった惣村ですが、戦国大名による一円支配が強まると同時に、その自治権が次第に奪われていきます。最終的には、豊臣秀吉による「兵農分離(刀狩)」と「土地所有確認(太閤検地)」の結果、惣村という結合形態は消滅し、江戸時代に続く近世村落が形成しくことになるのですが、その辺りは次回で詳しく紹介していきたいと思います。

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