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2013年12月04日

【家庭って何?】~【番外編】江戸時代には既に信用組合=金融システムがあった

日本の家庭を歴史的に捉えるには、ムラ社会の構造を押える必要があります。色々調べていくうちに、江戸時代には既に信用組合=金融システムがあったという説がありました。
現代社会の金融システムは投資型。極端に言えば、金融に特化した企業が利ざやだけを稼ぐ業界です。
一方、ムラ社会=共同体社会では、どのような金融システムだったのか?
以下のサイトの記事から考えてみたいと思います。
日本社会史の現場からグローバルスタンダードを見る
ムラ社会での融通と土地所有

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江戸時代には信用組合があった

融通=循環というものは、地域社会の中で組織化されるということで、信用組合制度をちょっと考えてみました。そこで、だいたいドイツの信用組合制度というものは、日本に直輸入されたというようにずっと考えられてきたのですが、本当にそうなのかということを以前考えたことがあります。実は、融通=循環ということが、日本のムラ社会で組織化されて、もうすでに江戸時代には、信用組合の萌芽というのもあるという結論に私は達しました。
これは、二宮金次郎ですが、彼が行なった報徳金融というもの、あるいは、その前提となった幕府の村備金融、あるいは、大原幽学の先祖株組合とかいろいろあるのですが、そういったものが、非常に信用組合的なものとして位置づけられるということなのです。

どうも金融というと、欧米から輸入されたシステムのように漠然と捉えていましたが、江戸時代に既に信用組合のようなものがあったというのは新鮮ですね。
報徳金融
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図2は、報徳金融の基本的関係というものです。お金を借りる拝借農民というものがいるのですが、だいたい報徳金融というのは、人手に渡っていた土地を取り戻すために、お金を借りる、それを、どのように返すかというシステムです。これを図式化したものが図2です。これは、今で言うと年賦です。
月賦とか年賦とかありますが、当時、あまり一般的ではなかった年賦でお金を返していくというもので、しかも、無利子で当面返すということをして、最後の年だけ冥加金というものを返します。結局、これが利子になるのですが、毎年毎年返すものは、利子をつけていません。最後の一年分だけは、冥加金ということで、余得といいますかそういうものを差し出すというやり方をとるということなのです。つまり報徳基金からの低利融通をうけるシステムだったのです。

現代なら利子がついて返済にも苦労する。しかも月々返済がやってくる。ところが、江戸時代の報徳金融は、年賦で無利子。最後だけ冥加金という利子が加わるだけ。借りる人に優しい金融システムであったようです。
村備金融
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図3は、村備金融の体系と公金貸付の図です。
図3の上の方は、江戸時代の初めの頃から行なわれていた公金貸付です。江戸の馬喰町というところにお金を貸し付ける役所がありました。勘定奉行の支配下の役所ですが、そこがもともとやっていた貸し付けで、だいたいこれは、年利15%です。幕府公定の金利で貸し付けるというやり方をとっているわけです。
ところが、図3の下の方の村備金融になりますと、農民が積み立てるお金が出てきます。さらに、年貢から2割分ぐらいが差し引かれて、手当分という形で、代官所なんかに設置された蔵があるのですが、そこに米穀がプールされるのです。手当分、それから、積立金というのがそこに資金として集まって、これが利殖されていきます。これは、幕領以外のお金を欲しがる人たちに貸し付けて、そこで利殖して、その差額といいますか、これがこの貸付役所の儲けにもなるのです。同時に、幕領農民の貯金も利殖して膨らんでいきます。もちろん、自分でそれを借りることもできます。自分たちで積み立てたお金なので、今度は、8%の利子で借りることができるということで、これも低利融通です。そういう形でこれは、やっぱり信用組合的であると思いますが、こういう形の金融方式ができたということです。

面白いのは、農民が積み立てしているところ。庶民皆でお金を出し合っていたという点が新しい。現代では、貸付のために金を出す金主は、限られた資産を有する人くらいでしょう。
ムラ社会と取り巻く金融システム
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そして、図4は、村備金融などの様々な金融というものが、村社会の中に入ってきていることを図で説明したものです。ある家族が、お金が必要だということで、村の中で、共同体の首長、要するに、これは村役人なのですが、名主とか庄屋にお金を借ります。それが村の枠ですけれども、そこで結局、お金の都合がつかないということになると、これは、その次のレベルの村備金融とかそういったものの枠組みのほうに進んでいきます。全体としては、地域村々の枠があります。様々な金融というのが食い込んでいるという形で、金融的世界があったということなのです。

やはり、まずムラ社会でお金が必要な人を助けることを第一にしているようです。それでも都合がつかない場合は、村備金融の枠を使って借りて助けてもらう。ムラ社会ならではですね。
近代化に適応した日本

こういった報徳金融、村備金融などの経験によって、日本社会は、欧米直輸入の近代化とか、産業化に対応可能だったということなのです。向こうの制度だけを直輸入すれば、おそらく、日本は、負けてしまう可能性もあったと思うのですが、そういう制度というものをほぼ備えていたから伍していけたということです。

明治以降の近代化から戦後の高度経済成長と、日本の適応スピードはかなり速かったのではないでしょうか。アジアの小国が江戸時代から100年も経たずに先進国になっていったことがその証明です。それもムラ社会が有していた共同性と共に、そこで培われた様々な制度が生きた証拠ではないかと感じました。

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