2013年12月07日
【東南アジアにおける、南方モンゴロイド的社会とその可能性を探る】まとめ~東南アジアの可能性を開く鍵は日本が握っている!~
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【東南アジアにおける、南方モンゴロイド的社会とその可能性を探る】シリーズは今回で最終回です。これまでの記事を振り返りながらまとめていきたいと思います。
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まずは今回のテーマを始めるに至った問題意識から
■プロローグ
これまで、日本の農村を中心に、「共同体社会における生産と婚姻」の関係を見てきました。そこでは、現代の個人主義が招いた社会の行き詰まりの突破口として、新たな外圧に適応できる集団のあり方を探るため、集団における生産と、家族・子育ても含めた婚姻との関係を歴史を遡り探ってきました。
同様に世界、とくに東南アジアに目を向けた時どうなのか、東南アジアも日本と同じように近代化(≒西欧化)により、経済発展を目指して来ました。自国の更なる経済発展のために、各国との関税撤廃を求めてTPPに参加、積極的に外資を呼び込むなどして、GDPの成長に取り組んできています。そこでの手本は、西欧であり、また先行して先進国入りした日本です。
日本における今後の突破口は、今も残存する南方モンゴロイド的気質に基づく社会制度、婚姻制度にヒントがありそうなことが分かりました。
では日本の後を追い、追いつき追い越せと経済発展を目指してきた東南アジア諸国はどうなのでしょうか。今後の新たな外圧に適応できる糸口は見つかるのでしょうか?
これからの日本のパートナーとして同じ南方モンゴロイドを祖先に持つ東南アジアは可能性があるのか?を切り口に追求が始まりました。まずは、東南アジアの可能性を探っていく上で、非常に重要なファクターになる「南方モンゴロイド」とはどのような人達なのか?そこから受け継がれている現代の日本と東南アジアの共通点に着目しました。
■南方モンゴロイドの特徴は?
・南方モンゴロイド
南方のモンゴロイドは温暖湿潤で豊かなスンダランドを中心に、大きな移動を起こすこともなく、定着して南方に適応的な形質を強めていきました。しかし、1.4万年前から6千年前の温暖期には、極地の氷床が溶け出したことでスンダランドの水没が始まります。6千年前には完全に水没し、東南アジアの海岸線が現在の姿になったといわれています。この地で繁栄していた南方モンゴロイドは、スンダランドの縮小・水没を継起に拡散していくことになります。
■ハプログループに見る日本人と東南アジア人の共通点は?
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日本人の出自については南方モンゴロイド、北方モンゴロイドなどがよく言われますが、こうしてみると東南アジアの人々との近似性が有るように思えます。日本人に特徴的なD系統が縄文人と言われてもいるようで、その後の朝鮮半島からの流入部族03はもともとの系統から言えば日本ではさほど混血が進んでいないとも言えそうです。
南方モンゴロイドと新モンゴロイドが混血する日本。しかし、その基層は、O3系統の漢民族よりの系統ではなく、南方から流入したD、O2系統に有るのではないでしょうか?
■南方モンゴロイドの文化的な特徴
東南アジアと日本の文化の共通点から南方モンゴロイドに共通する文化的な特徴をまとめると
①母系制の農耕文化であること
②自然を受け入れ、万物に神が宿る多神教、精霊信仰を残存させていること
■南方モンゴロイドの性習俗の特徴
南方モンゴロイド社会に共通して見られる「母系制」と「夜這い婚」
南インド地域で誕生したとされるモンゴロイドは、アジア南方へと広がり、現在の東南アジア地域にあったスンダランドでその基本的形質を獲得しますが、温暖化によるスンダランドの海没で各地方へと拡散していきます。
この前提で、スンダランドからチベット・日本へと繋がる経路(陸路・海路)を見てみると、丁度先ほど紹介した民族が存在する地域と一致するのです。
スンダランドから続くD系統遺伝子の古モンゴロイド社会が、共通して母系制・夜這い婚を継承してきたことから、これらの制度は古モンゴロイドにとって極めて重要で本質的な社会構造であったのではないでしょうか。
以上のように、日本と東南アジアの共通性として、南方モンゴロイドの本源性を示す農耕文化・多神教・精霊信仰、性習俗では、母系制・夜這い婚を継承していることが見えてきました。
次は視点を変えて、南方モンゴロイドで構成された東南アジア地域が世界との関わりの中で、どのような変化を遂げて行ったのかを見ていきたいと思います。
■東南アジアが世界との関わりの中でどのような変化を遂げたか?
【1】有史以来の東南アジアは、世界貿易の中心地だった
東南アジアの世界は、欧米の植民地となった後進国というマイナーなイメージが作られています。が、200年前までは世界の最先端の文化を持った世界貿易の中心地でした。
【2】東南アジアの「融合・アメーバー文化」は、南方モンゴロイドの特性
東南アジアは、外部勢力に対して正面からぶつからずに、アメーバーのように包み込み、自らも変化・融合することで、良好な関係を築き続けてきたようです。その文化性が、多彩・多様な人種と世界貿易を継続できて来た基盤でしょう。
「融合・アメーバー文化」つまり、外部勢力に対して正面からぶつからずに、アメーバーのように包み込み、自らも変化・融合することで、良好な関係を築き続けてきた東南アジアの文化は、どこから来たのでしょうか?
それは、東南アジア文化圏=南方モンゴロイドの共通する
①母系制の文化より、侵略・皆殺しではなく、 ②多神教、精霊信仰を残存しながら受け入れる文化圏である。
受け入れて、自らアメーバーのように変化・融合する「融合・アメーバー文化」⇒重層宗教 ⇒多宗教エリア ⇒多国籍文化 ⇒多彩な国家システム
つまり、その「融合・アメーバー文化」特性を生かせて、東南アジアは、多数の民族が住み、様々な宗教が存在し、いろいろな形態で国家運営をしているという多様性に富んだ東南アジア文化圏が存続しているのだと思います。
■欧州列強の侵略により何が変わり、何が残ったのか?
西欧列強の支配以前にも多くの王国が有り、古くは原住民の国家と思しき国もあったようです。しかし、これだけ多くの王国が成立した背景には周辺の民族らによるこの地域の支配を巡る同類闘争があったことを伺わせます。その様な同類闘争に至る動機は、「貿易の要衝を押さえ貿易による利益を我が物にする」ということだと容易に考えられます。古くからインドや中国系の民族が多数やってきて、自ら王と名乗り国家を主張する、そのうち新たな異民族(アラブ人)が出現し取って代わる、ということの連続だったのだろうと思います。
前回、仏教、イスラム教も融合する南方モンゴロイド的気質について述べましたが、その結果としてこれだけ多数の国家が登場することとなったのでしょう。※対して島国日本は大した異民族も来ず天皇家が殆どずっと頂点に位置する歴史となっています。
そうこうするうち、西欧社会では航海術が発達し大航海時代に入ります。その結果、これまで周辺部族で行われていた同類闘争に強力な武器や帆船を持つ西欧諸国が到来し、あっという間に東南アジア諸国を植民地にしてしまいます。
この様に概観した場合、南方モンゴロイドの足跡はやはり大分早い時期に途絶えてしまったかのようです。
2000年に亘る古代市場を巡る異民族の出入や近代市場を巡る血生臭い歴史、大戦前後の独立を巡る先進国との政治的駆け引きや、大国による冷戦下の新たな戦火、など、日本などとは比べようも無いほど激烈な外圧にさらされた結果、民族的には大いに混乱してしまった=異民族の流入→混血や殺戮などで原住民(南方モンゴロイド)はほぼ壊滅なのではないか?と思えます。
何が変わったのか?⇒南方モンゴロイドの系譜を汲む民族や社会が、市場を巡る同類闘争の結果先進国に匹敵する市場社会へと変貌を遂げた。
何が残ったのか?⇒今も残る原住民社会に見られるアニミズムや母系性などの習俗を、(日本のように)完全には駆逐しなかった。
本シリーズの追求を通して、日本を含めて東南アジアには南方モンゴロイドの本源性を示す、「母系制の農耕文化」「精霊信仰(アニミズム)」「夜這い婚」が見られることが分かりましたが、一方で西欧植民地支配から皆殺し、混血の歴史を辿り、南方モンゴロイド気質が見られるのは極地だけになってしまったのが現実です。
事実、現在の東南アジアでは市場化の煽りを受けて南方モンゴロイド気質が表面に出てきていませんが、ハプロタイプを見ると南方モンゴロイド気質を示すD,O2系統が色濃く残っておりそこに今後の可能性がありそうです。この可能性を広げていくかは、同じ南方モンゴロイドを祖先にもち、先行して共同体社会に向けて意識が変化し始めている日本に掛かっています。
東南アジア諸国の視点に立って考えてみても、植民地支配から市場化の波に巻き込み食い物にしようとする西欧、中国は信用できない!どうする!?と収束不全=期待を向ける先を探している状態なのではないでしょうか?
市場の終焉を迎え、次の共認社会の主導権を握るのは、南方モンゴロイド気質を色濃く残す日本を含む東南アジアであり、その可能性を開く鍵を握るのは今後の日本の動きに掛かっているのです!
- posted by miyashow at : 2013年12月07日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
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