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2014年02月19日

■再読 日本婚姻史 「弥生時代の父系文化への移行~父親観念の発生~」

これまで投稿で、縄文時代は、族内婚(兄妹総偶婚)もしくは、族外婚(交差総偶婚)であった様子を見てきました。
そこに渡来人が父系文化を持ち込んできて、妻問婚の浸透と父系意識の形成が発生したことを前回見てきました。
この母系文化から父系文化への、世界に類を見ない段階的な移行は、日本婚姻史上で最も興味深いところです。
前回の内容を改めて「弥生時代の父系文化への移行~父親観念の発生~」の視点で詳しく見てみましょう。
その前に、「総偶婚」や「母系集団」という名称は、婚姻史などに馴染みのない方にとっては、誤解を受けやすい呼び方だと思います。
つまり「総偶婚」は、私権時代のハーレム的な淫靡なイメージを、「母系集団」は、母親が強い権限を持っていて、女が威張っているイメージを持ちがちです。
正しく理解が進むように、その辺りを少し噛み砕いて説明したいと思います。

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これまで今回シリーズの紹介
「■再読 日本婚姻史 プロローグ」
「■再読 日本婚姻史 「先土器時代(旧石器時代)」」
「■再読 日本婚姻史 縄文時代 集団の有りようの検討と婚姻様式」
⇒全国に族内婚の縄文人が点在した
「■再読 日本婚姻史・・・縄文時代の婚姻様式:集団密度との関係について」
⇒集落の密度が低い地域もしくは時代:族内婚 = 兄妹総偶婚
集落の密度が高い地域もしくは時代:族外婚 = 交叉総偶婚
■再読 日本婚姻史 「縄文から弥生への婚姻様式の変化」 
⇒「全員婚→対偶婚→妻問婚=集団婚→個別婚」の流れが開始

性行為の役割は、3つ考えられます。
①子孫の残すための生殖行為 
②性情動(=性欲、特に若い男に強い)を満たす行為
③人間とサルは、仲間関係の充足を感じ合う(本能+心でSEXをする)
です。
動物はメスが発情(受精可能時期)した時だけ、②オスの性情動が作動して①生殖行為(子作り)を行います。
つまり動物は①=②でつながっています。
人間もこの機能が基本にあるのですが、人間とサルは③仲間充足機能が追加されています。だから、メスが受精可能でない時(一年中)でも、③仲間充足の目的でSEXを行っているのです。つまり、人類とサルにとって、性は充足を仲間と感じ合う極めて重要な行為でもあるのです。
縄文人以前は、母系集団の総偶婚だった仲間充足の目的でSEXを行っているという意味から、総偶婚は集団内の大人たち全員と性充足を共有する(⇒集団結束)と言う、極限状況の環境下での集団として、必然的な男女関係だと思います。
女・男は成人になると、集団内の大人達と相手を限定せずに、みんなと性充足を感じ合うことで活力を高めあい、集団結束の力としていたと思われます。
当然に子供が生まれます。母親は分かりますが、だれが「父親」かは不明です。実は、このような集団では「父親」と言う概念、言葉がありません。集団の女に子供が出来ると、子供は母親集団で育ちそこに帰属します。集団にいる男は、自分の子供と言う意識は無く、女の子供であり自集団の子供であるという意識です。このような集団様式が、母系集団です。母親の権限が強いのではありません。生産手段を母集団が継承し、男はその周辺で役割分担を担う。敢えて言うと、「父親」観念がない、または、薄いと言う集団です。
母系文化の縄文人に、渡来人の父系文化が混入してきた。この縄文人たちが暮らしていた日本に、中国・朝鮮から渡来人が流れ着いてきます。
この渡来人たちは、中国文化の父系集団です。
父系集団とは、父系血族に私権(私有財産や地位)継承する事で、私権を確保・継続して行こうとする文化です。父親が自分の子供を認知する為には、女は自分だけとの性関係に限定(貞操観念)する事が必要となります。
女は男の私有物で、他の男と交わることはタブーです。
縄文人=母系文化 <(総偶婚)みんなと性交する>
VS.
渡来人=父系文化 <(貞操観念)決まった男とだけ性交>
が混ざり合ってきたのが、縄文~弥生~古墳時代での、婚姻形態の移行です。
父系部族は私権闘争に勝ち残ってきた集団で、当然に侵略戦争に強い。その結果、母系集団は簡単に侵略されて、男は皆殺しか奴隷、女は戦商品として男の性奴隷にされて、母系集団は跡形も無く解体されてしまうのが、世界の流れです。ギリシャ・ローマ時代や中国王朝時代がそうです。
しかし、日本では何故でしょうか?
日本の母系集団+中国集団の父系集団 ⇒ 融合文化(段階的に、母系の中に父系が移植)
となるのです。
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絵柄は「あなたは何人系」よりお借りしました。
それは、大陸から移民してきた渡来人は女が少なく、縄文の女を自分の女として獲得したかったが、女たちは縄文集団(母系)から出てこない。
しかし一方で、渡来人も和平的な形で交流してその母系集団内に入ると、充足を求め合う縄文の女たちとの性行為が可能だった。そのような事態が有ったのではないだろうか。
妻問婚の発生と父親観念の定着
<妻問婚①>
自分の女が欲しい渡来人が、集団外に出てこない縄文集団の女の元に通って性交を行う、これが初期の「妻問婚」です。
渡来人は、自分だけの女にして自分の子供を生んで欲しいと思っていますが、そうなっていません。縄文の女は部族内の男と性交を行っている総偶婚の状況のまま、渡来人もその一人として受け入れている段階です。
渡来人の男が「自分の子(=父親)」が欲しいと言い出しても、多くの男性と交わっている縄文人たちには、「父親」と言う観念が存在しておらず理解できません。
しかし、渡来人は辛抱強く、「父親」(=父系観念)を浸透させて行きます。
渡来人は、大陸の先端文化(稲作、土器、金属器の道具、さらには武器や戦闘方法、文字や集団統合のシステム)を持って経済的に有力な大共同体となり、縄文共同体の弱小共同体を取り込んで行きます。
<妻問婚②>
経済的に優位となり地位や権限を得た渡来人は、縄文の母系集団内に妻屋を建てて、自分だけとの性交に限定する形態を作ります。
多分、最初は独占的な女にするべく妻屋に女を住まわせても、総偶婚文化の女は言う通りには成らなかったでしょう。しかし、圧倒的な経済力をもって、自分だけの女に成る事で私権獲得に優位(父の子は同族=父親観念)であるであることを教え続けたのでしょう。
◎限定した男との性交 ⇒その男の子供 ⇒父親観念 
を浸透させて行ったと思われます。
~「日本婚姻史」高群逸枝より~

この期の基本的矛盾は、各共同体間の経済力の不均衡にあったが、有力共同体と弱小共同体との間に、征服被征服の意味をもった擬制同族化同盟がもたれ、それがひいて「氏姓時代」というヤマト大部族連合時代をもたらした。この段階の征服被征服は共同体の破壊とはならず、それを温存した擬制同族化の形で成された。

有力共同体が弱小共同体を征服して、それを擬制同族化する方式には武力も伴うが、それと同時に征平をコトムケ(言向け)、服属をマツロフ(祭る)というように、被征服者の共同体を破壊せずに存続したまま、自己側の祭祀圏にくみいれる方式や、通婚圏(原始社会では通婚圏は同族圏であった)を、大胆に拡大する方式、つまり「記・紀」「風土記」等の大国主、景行、ヤマトタケル、応神等の妻問い緒説話などに反映しているように、大族の族長らの、遠近の同族異族に対する妻問婚によって、盛んに父系観念を育成し、各妻方の妻屋に生まれた子を中心に、その一族を擬制同族化し、あるいは同盟氏族に、あるいは部民とする政策がとられた

<妻問婚③>
渡来人は、縄文の母系集団内に妻屋を建てて、独占する妻を確保しようとしながら、父親(父系観念)を植えつけます。最初は、理解できないながらも、身分地位が保証されることを、理解してその方式(一夫による独占≒父親観念)を追認して言ったのでしょう。
~「日本婚姻史」高群逸枝より~

さらに、厳格な妻屋に一夫による独占的形態が確立して事で、その父(族長)が妻方の子供を相続者に指定する。これをもって、母系集団の中に、父系文化が入り込んだことになります。
つまり、母系集団でありながら、その一部に「父親」という観念が成立したのです

大化以前には、帰化人たると部民たるを問わない自由婚の習慣があったが、このことも前記の征服政策を助長した。こうして征服者も被征服者も、革命的な展開をとらないで、原始共同体(母系氏族制)の原型を、歪めはしたがもち続けて大化におよんだ。共同体の大屋妻屋方式では、はじめは妻屋は共同体側で建てられ、オヤの管理下にあったが、赤人の歌に「伏屋建て妻問いしけむ」とあるように、庶民の間でも夫の手で妻側の屋敷に妻屋が建てられ、そこに妻と子をこめて独占する形が生まれてくる。

このようにして渡来人によって妻問婚が変化してくることで、母系集団と父親観念の併存という日本の性文化が確立され展開して行きます。
それはどのように変容して行くのでしょうか? 次回をお楽しみに。

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