2014年09月04日
女主導の原理と現代への適用 ~女主導で集団や地域を運営する事例~
前回の記事に引き続き女主導で上手くいっている事例を紹介します。
女主導の原理とは何か?男主導と何が違うのか?を明らかにするために、様々な事例が幾つか出揃った後、女主導の原理を構造化していく予定です。
今回紹介するのは、
専業主婦が主導した「地域生活支援ネットワークサロン」
女性主導で拡大してきた「週間もしもししんぶん」
伝説の女将といわれた旅館「加賀屋」の小田孝の言葉です。
専業主婦が主導した北海道最大のNPO法人「地域生活支援ネットワークサロン」
■福祉・介護の枠組みを超えた地域の生活拠点
北海道釧路市で、2000年に日置真世さん(当時30歳)が立ち上げたNPO法人「地域生活支援ネットワークサロン」は現在、釧路市周辺に20の拠点、事業数約30を持ち、スタッフの数は150人以上。10年度の事業収入は4億3000万円を見込む、道内では最大規模のNPOになった。
福祉はこれまで、対象者ごとに施設が設けられていた。だが、同NPOが運営する「コミュニティハウス冬月荘」(釧路市)は、障がい者から子育て中の親、若者、高齢者、生活保護受給者など福祉を必要とする人もしない人も一緒に集い、生活の中で感じる課題の解決に向けて行動する拠点として機能している。日置さんは、地域の多様な場面で「たまり場」としての機能を持たせる道筋をつけた。
「冬月荘」は、07年に同NPOが購入した木造2階建ての元北海道電力の社員寮を活用した建物。1階の集会室では、高校受験を控えた中学生や資格取得を目指す高校生向けの無料勉強会や、子育て中の親子の食事会などが開かれ、さまざまな人が集う。ここで学んだ中学生が、高校生になっても引き続きチューター(講師役)として世話役に回るという循環も生まれている。
■誰もが社会の中で果たせる役割を持てる場づくり
99年に福祉医療機構の200万円の助成金を活用し、幼稚園跡の建物を借りて、人と情報のたまり場を目指す「療養サロン」を開設。障がい児を育てる親だけでなく、保健師など地域の関係者も訪れ、口コミで集う人が増えていった。
1年間の助成終了後、マザーグースの会から独立して、2000年12月にNPOを設立したのは、「誰もが希望を持てるよう、ニーズを発信していく事業体が必要」という思いから。支援を一方的に受けることが多い、弱い部分を持つ人はますます弱い立場へ追いやられている現状に気づき、誰もが社会の中で果たせる役割を持てる場づくりも大事にしてきた。
他にも、子育て中の親子が集える「親子サロン」をはじめとしたたまり場としてのサロン活動や、登録した学生などが有償で手伝いをする「ゆうゆうクラブ」、障がい者の通所サービス、障がい者のためのグループホーム、ヘルパー事業などに取り組んできた。
■既成概念にとらわれずに、目の前の期待に真っ直ぐ
一貫しているのは、「地域の『困った』という声に応える事業を展開してきたこと。「自分たちで『次はこれをやろう』と決めたことは一つもなく、生活者のニーズに対応してきただけ。だから今後の目標もないですよ」と、さらり。
側で見てきたNPOスタッフは日置さんを、「組織はこうあるべきというものが何一つない人」と言う。社会経験がまったくないことを強みに変え、既成概念にとらわれずに目の前のことに対処してきたことで、支援される側も担い手になれる新しい地域づくりの仕組みを実現できた。そして、長女の子育てや障がい者支援で感じた「すべての人は世の中の役に立つ存在である」という信念も、一人ひとりが活躍できる場を共に創り出し、任せる日置さん流リーダーシップの根幹にある。
画像はこちらからお借りしています。
女性ならではの力で拡がってきたコミュニティー紙「週間もしもししんぶん」
■コンセプトは一対一。目の前の一人の想いを受け止める
30年前に多摩ニュータウンで生まれた『週間もしもししんぶん』。
お隣さんと仲良く暮らせるように「もしもし」と声を掛け合えたら、との思いで始めたコミュニティー紙(当時は『奥様もしもし新聞』)で、開始1年で3万部になり、1995年には10万部を超える発行部数となり、今では多摩ニュータウンでは知らない人はいない。HPにもあるように、コンセプトとされているのは『一対一』。目の前にいる一人の想いをしっかり受け止め、その方が喜んでくださるように全力を尽くす。新聞が低迷してきた時代のなかで、ここまで大きくなってきたことに驚き。
現在ではコミュニティー紙のほかに、制作企画、カルチャー教室、もしもしサロン、自分史・個人出版、HP制作、もしもししんぶんねっと、など地域の共認媒体として幅広く展開。
■活力の源は、地域皆の役に立ちたい
「週間もしもししんぶん」を支えているのは、企画営業・編集・製作を担う女性スタッフと、ポスティングを担う主婦を中心としたエリアスタッフ。開設当初から、お隣さんからお隣さんへのポスティングで拡がり、創設当初15名のエリアスタッフも今では約140名にまで拡大。スタッフもエリアスタッフも、一様に「皆さんのお役に立ちたい」「自分の住むところが大好き」「この地域の良さをお伝えするお手伝いがしたい」「自然豊かで安心安全な町を大切にし発信してきたい」
など、地域の期待を受けて、応えたい!役に立ちたい!という本源的な活力が基盤に。
「プロが選ぶホテル旅館百選」で30年以上連続日本一になっている石川県にある旅館「加賀屋」。今の女将も大変立派な方ですが、加賀屋の礎を築いた女将である(故)小田孝の言葉を紹介したい。
■注視・観察眼⇒即実行
一番最初に、部屋の中を見回しますので、「奥さんはただ挨拶にくるんやない。部屋の中を見にくるんや」といわれました。事実、冷暖房は快適か、額の絵や床の間の飾りは季節に合っているか、曲っていないか、掃除は行き届いているか、お料理は……と、頭を下げて上げるまでの間に、実はこれだけのことをすべてみていたわけです。そして、“観察”の結果をすぐに女中さんや板場さんにはね返すわけです。「○○の間の料理はすぐに取り替えて」「でも、予算どおりなんですけれど…」「いいからすぐ替えなさい。あれでは寂しすぎます」。そうしないと、私の気がすまなかったのです。採算を考えることも必要ですが、お客様に満足していただけなければ、“張り”というものがないですよね。
そんな意味もあって、「できません」とはいわないようにして、一人一人のお客さんと真剣勝負をするつもりで、サービスにあたりました。「何とかという、珍しい名前のたばこが欲しい」と、いわれれば、七尾まで車を飛ばして買いに行かせました。酒宴が始まってから、「富山の酒(銘柄は忘れましたけれど)が、どうしても飲みたい」と、おっしゃる方がいらっしゃり、タクシーを飛ばして砺波の醸造元まで買いに行かせたこともあります。酒宴にはもちろん間に合いませんでしたが、夜中には届きました。
■100%相手発
私のことを“化けもの”とうわさされていた時もあったようです。早朝でも深夜でもお客さんのお見送りを欠かさなかったことから、「よく体が持つものだ」といわれ、それが誇張されて「夜も寝ないでがんばっている」になり、ついに「化けものや」といわれるようになったらしいのです。確に、朝早くおたちになるお客様がある日には、前夜から寝ないでいることもあり、深夜の場合は、目をこすってでも頑張りました。ただ、そうしないと私の気がおさまらないからで、それ程意識してやっているわけではありませんでした。私のクセのひとつとでもお思いになって、気になさらないでいただきたかったのですが、なかなかそうは見ていただけなかったようです。
■女将の実現期待と、旦那の追求、下支え
私が加賀屋に嫁いだ頃のはなしですが、部屋数も二十室という小さな旅館だったこともありますが、その頃はお客様に合わせて仕込みをしていました。数も少なかったせいもあるのかも知れませんが、椎茸の数まで記憶して業者を驚かすといったほど、数字に強い人でもありました。
増築のために借金をする時も、まあこれくらい借りても返済できるだろうというおおまかな計算ではなく、この部屋の回転率は七十パーセントだからいくら、この部屋は六十パーセントだからいくら……合計するとこれくらいになるから、この金額まで借金できるという緻密な計算のできる人でした。実際、数字通りになるのですから、私は安心して、計算はすべて夫まかせでした。
そんな夫と夫婦というコンビを組めたことを心から感謝しています。おかげで私は、楽しく、苦労はあっても退屈せずイキイキと暮してきました。私が楽天家だといわれるのも、主人の大きな力が、私を支えてくれたからだと思っています。
どれも100%相手に同化して応えることに充足している点が共通していますね。50%ではなく100%。ここが凄い。
次回は、他の業界や、少しずつ歴史を遡りながら、女主導の具体的事例を紹介いたします。
- posted by KIDA-G at : 2014年09月04日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
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