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2017年04月20日

社会から切り離された学校空間で道徳教育は可能なのか

道徳は長らく教科外の「活動」とされてきたが、2018年度から小中学校の「特別の教科」に格上げされるらしい。
外国人から見れば日本の道徳教育はスゴイらしいが、果たしてどうなのだろうか。

「道徳」で学ぶものは、社会における規範であり、それは共同体規範に他ならない。
共同体規範とは、人類が古くは極限時代から過酷な外圧状況に適応すべく常に「集団ためにどうする?」と追求してきた
集団の掟であり、それは皆の心の中に深く刻まれ、現代もなお心の深くにもっている不文律の規範である。
それは、あくまで集団が第一であることが前提であり、闘争課題の存在が前提である。

闘争課題もなく消費課題しかない密室空間の家庭に、道徳を教える教育機能はあるのか、
社会から切り離され闘争課題もない学校空間に、道徳を教える教育機能はあるのか、
個人主義を良しとする学校教育に、道徳を教える資格はあるのか、
人類500万年の歴史で築かれた不文律の規範を、文字面をおいかける教科書教育で体得できるのか、
道徳の習得度をたった一人の教師が評価するとは、どういうことだろうか、そもそも可能なのか、

このような不整合を学び追求することこそ、歴史教育であり、道徳教育ではないか。

 

◆外国人が感じた日本の「道徳教育」のすごみ(リンク

「若者の頭を教育する際、心の教育を忘れてはならない」と語ったのは世界的に有名なチベットの指導者、
ダライ・ラマだ。

現代の子どもたちが、家庭より学校でより長い時間を過ごしていることを考えれば、この考え方は意義深い。実際、米国に
おいても、日本においても、一般の小学生は6~7時間を学校で過ごす。さらに、放課後の活動を加えれば、子どもがどれ
だけ長い時間を家庭外で過ごしているかわかるだろう。

確かに、道徳教育の基盤は家庭にあるべきで、道徳を子どもに教える責任は親にある。しかし、子どもが夕方や夜間しか
家にいないのに、家庭内の教育だけでこれらの価値観を植え付けられると期待するのは非現実的だ。道徳教育において
学校は主要な役割を担っている。そこで、今回は日本と米国で道徳教育にどのような差があるのか考えてみたい。

多くの日本人は道徳教育を受けている。文部科学省は、学校のあらゆる教育活動において「道徳的な心情、判断力、実践、
態度などの道徳性を養う」を目的に掲げている。これには秩序、注意深さ、努力、公平性、人間や自然との関係における
協調性も含まれている。ガイドラインによると、週に少なくとも1時限は道徳教育に当てられる。

道徳は長らく教科外の「活動」とされてきたが、2018年度から小中学校の「特別の教科」に格上げされる。安倍政権は、
2011年に大津市の中学生がいじめを苦に自殺した事件など学校における深刻ないじめ問題を変革の理由に挙げた。
これまで教師が作っていた副教材や資料に代わり、標準教科書が使われるほか、教師は生徒一人ひとりの成績を記述し、
数値ではなく主観的に評価することになる。

 

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