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2017年08月10日

中世に形成された非農業民(商業民・芸能民)のネットワーク

「歴史ちょっとだけ 網野史学(3)非農業民と天皇」を要約したものです。

『日本中世都市の世界』筑摩書房 中世都市研究の問題点と展望

従来、古代・中世・近世の社会を農業社会と考え、古代はアジア的な農業共同体を基礎とした専制国家、中世・近世は農奴・隷農、封建的小農民に対する在地領主、大名などの封建的領主の支配を基軸とする封建社会とする見方が通説であった。しかし 網野善彦は10世紀後半以降の商業・金融の動き無しに国制が維持できなくなったとする。

それを主導したのが神人達(無主無縁の聖と公の立場に立ち、又その呪術的特質を持って恐れ畏怖された)のネットワークであった。金融業者、商人など都市の住人には僧侶、僧形の人、阿弥号を持つ人、女人が多かった。禅律僧、山伏などは各地の荘園・公領の代官として活躍、その専門的・事務的能力を以て農業経営を請け負った。中世の国制は西国では荘園公領制と神人・供御人制の二本柱で成り立っていたのである。

網野善彦は次のような従来歴史学の見方を批判する。

【1】農業生産力の発達→余剰生産物の形成によって商工業が農業から分離・自立する。
【2】商業・金融は生産・社会発展に寄与しないとする生産力説
【3】海に囲まれた列島社会が閉鎖的自給的社会とする「島国論」

従来の中世社会論は、基本的に農業社会である事を前提として、田畑を所領とする領主VS耕作する農民の支配・非支配の関係と見る。しかし、百姓の中には海民、山民をはじめ商工民、芸能民等がかなり多く含まれ、廻船業、商業、金融業そして手工業に携わる専業的職能民が神人、供御人、寄人として国家の公認身分となり、津泊、宿、市等、都会的な場が大きな役割を果たしていた。

そして、彼らが住する山野河海は本質的に「無縁」「無主」の世界である。そこは時代を遡れば俗人の力の及ばない聖なる神仏の世界と見られていた。それ故に主として山野河海、道で活動する人々は神仏と結び付いた人とされた。
商人、金融業者、廻船人などの職能民が神人、供御人、寄人あるいは、山僧、山伏のように神仏に直属する立場に立って生業を営んだ理由である。神仏に隷属する事で「初穂」としての上分・関料を取り立て、更にそれを資本化する。これは封建的主従制支配概念とは異質なものである。

農本主義的政治路線は新しい動きを「悪党・海賊」として厳しく禁圧し、所領を媒介とした主従制的秩序を維持しようとする。一方、「重商主義」的政治路線は商人・金融業者に依存して「悪党・海賊」を積極的に組織化、貿易を推進する。

この2つの路線の対決が、安達泰盛と平頼綱、花園天皇と後醍醐天皇、足利直義と高師直の対立に見られる。所領を媒介とする主従制、合議制と交易を媒介とする専制との対立が、農本主義VS重商主義の対立に重なってくる。

更に、16世紀~17世紀にかけて、都市に手を伸ばそうとした一向宗、日蓮宗、キリスト教等の宗派が織豊政権、江戸幕府によって徹底的に弾圧され、検知に基づく石高制を採用。建前上「農本主義」を強く前面に押し出した世俗権力が「重商主義」的宗教勢力、自立的自治的都市を制圧、近代国家が成立する。同時に、商人、金融業者、廻船人、職人等も世俗化を完成する。

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