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2020年01月04日

西洋婚姻史=性の覇権闘争史①

いくつか日本の婚姻史について紹介しましたが、今回は西洋の婚姻史について紹介します。
その内容は、日本の婚姻史とは大きく異なっていることが分かります。
以下、「西洋婚姻史」(リンク)より

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1節 西洋婚礼史

西洋における婚姻制度は、ギリシア、ローマ、ヘブライ、およびキリスト教の伝統を主流として長年にわたって発展してきた。
キリスト教的な婚姻の形態が生れる直前まで、ユダヤ人やゲルマン人は、初期のギリシア・ローマ人と同じく、父系首長の統率する親族集団支配の社会で、すべての個人が父系首長の支配する氏族に所属し、首長の指示に従って婚姻が行われた。

■父系首長支配下の婚姻
女性は婚姻によって属する氏族から離れ、夫の氏族へ入った。女性は氏族の首長の了解なしにその氏族から離れることはできず、男性は首長の許可なくして妻をめとることはできなかった。かくて婚姻は当事者間の出来事ではなく、それぞれの首長間の取引であった。また首長は氏族の成員を追放出来る権力をもっていたから、自分の妻、息子の妻、その他あらゆる成員の妻を放逐することができた。
ところで、バビロンの捕囚(前6世紀)以後のユダヤ人の間では、もはや氏族による婚姻の統制はなかった。しかし、妻を追放しうるという考えは存続し、律法の一部として不変のものとなった。イエスの時代になっても、この「律法」により、婚姻はいつでも夫から一方的に終結することができた。
しかし、ギリシア人、特にローマ人の間では、急激な変化が起った。初期ローマでは、婚姻は当事者が儀式を行うことによって結ばれていた。しかし、のちの共和制の時代からは、儀式をしなくても婚姻を開始することができるようになった。むろん、婚姻のように重大な行事には、宗教的な祝典とか家族の祝宴を伴った。しかし、正当な婚姻関係そのものは、単に相互に夫婦となる意思をもつ当時者が同棲を開始することによって成立したのである。さらにこの自由な結合は、その開始と同様に当事者のどちらからでも自由に終結させることができた。

■古代ギリシャの結婚
古代ギリシャの結婚式は、主に冬に行われた。結婚の神であるゼウスとへラに生贄を捧げる前に、新郎新婦は聖なる泉で水を浴びた。そして花嫁の家で親類、友人などが集り、儀式のあとに宴会が行われた。花婿は白の衣装、嫁は色もの衣装を着用し、顔にヴェールをかけた。宴会が終わり夜になると、花嫁は花婿への家へ行列をした。花婿も牛にひかせた車に乗って行列に加わった。行列の参加者は手に手に松明を持ち、花嫁の付添いは婚礼の歌を歌った。家の入口では花婿の母親が行列を待ちうけ、そして人々は二人の部屋に麦をまき、花婿の母親は装飾された新婚の部屋に二人を導いた。客が帰ると花嫁はヴェールをとって花婿の前に姿を現わすのである。

■古代ローマ人の結婚
古代ローマはギリシャの結婚とほぼ同じである。まず結婚に先だって婚約式が行われる。婚約式には2人の両親や親族が招かれ証人となった。さて結婚式になると、花嫁は前夜から結婚衣装を身に付ける。そして当日花嫁は家族と共に家の前で花婿とその家族を迎えるのである。そして神殿か家の中庭に行き、そこで動物の生贄をささげ、結婚の誓いを行う。誓約のあと、宴会が夜まで行われて、そのあと松明に先導されて婚礼の行列が新郎の家に向かうのである。当時、ギリシア人とギリシア化されたアジア人は、多かれ少なかれローマ人、・ゲルマン人、その他ローマ化された人々と同様、婚姻は自由に開始され、また当事者のどちらからでも、任意のときに定まった形式もなく離婚することができた。

■キリスト教と婚姻
古代に広く行き渡っていた婚姻の形式は、キリスト教によって大きく変化した。ヨーロッパでは、紀元1世紀ころからキリスト教は、信者に婚姻に際して、神の祝福を与えていたようであるが、婚姻そのものはローマ式に行われていた。4世紀になると教会の力が強くなり、婚礼は従来通り行われたが、翌日教会でミサを受けるようになった。10世紀には教会の前で神父によって行われ、そのあと会堂に入ってミサを受ける形となった。キリスト教の伝統では、婚姻関係は一夫一婦であり、死ぬまで共同生活と結びつき、かつ貞操の義務がかせられていた。婚姻は秘跡であるという教義により、結婚そのものが宗教的儀礼となった。そして婚姻により、夫婦おのおのが神に対して責任をもつようになり、離婚することは許されなくなった。中世の教会が、婚姻を含む一切の秘跡に関する問題を決定しうるのは宗教裁判所だけであった。たとえば遺産請求の判決を下すために婚姻の存否を決める必要がある場合でも、宗教裁判所の決定が必要だった。
(以上引用終わり)

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●氏族集団の本源の性関係から掠奪集団による性支配へ
人類の婚姻は氏族同士の婚姻(=族外婚)に広がってからもその婚姻の決定権は首長が握っていた。しかしこの段階は、性は支配されているわけではなく、女に対してもその婚姻集団内で子供を生み育てることへの集団期待があった。

そして、ギリシャ・ローマの時代になると、婚姻は当事者間の合意による自由婚へと変貌を遂げる。
しかし、ギリシャ、ローマとはその出自は海賊・山賊集団であり、掠奪集団である。本源集団を失い自らも掠奪集団化するしか生きてゆけなかった彼らを集団として唯一つなぎとめた統合観念が「平等観念」である。(11/28なんでや劇場(3) 山賊・海賊によってつくられたギリシア・ローマリンク
したがって、奪った女は平等に分け与えられ、誰かが独り占めするわけではなくなった。ここから掠奪部族である「市民階級」による、女の私有化(性の支配)が始まった。
すなわち、ギリシャ・ローマ時代の当人同士の合意とは、あくまで市民階級のことであり、市民階級は誰でも平等に(誰かに制御されることなく)性を支配できたが、奴隷となった非征服民の女たちは、その性を一方的に支配される立場に貶められたといってもいいだろう。

集団の中で、女なりの集団期待も受けながら完結していた性が、歴史上初めて完全に支配された時代といってもいいのではないか。その略奪者たちによる完全支配という動かぬ現実の中で、奴隷たちの間に救いを求めて発生したのがキリスト教である。

●キリスト教による性支配へ
奴隷たちの間で生まれた「支配からの脱却=自由を求める観念」は、非常に強烈なものとなる。しかも、「自由、平等」という観念は本源欠乏も刺激し、万人に受け入れられる。
そうしてやがては支配層も受け入れざるを得ないまでの勢力を持つにいたり、国教化される。
こうしてキリスト教の婚姻規範が集団、国の婚姻規範となり、教会が婚姻関係の元締めとなる。
略奪者によって支配されていた性の支配権を、今度は教会が奪ったのである。

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