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2020年08月25日

日本古来の性文化に学ぶ(1) ~夜這いは生存本能に基づく集団の知恵~

過去の日本の性文化では、集団婚や寝宿、村社会としての夜這い慣習など、乱交文化は半ば公認だった。
「嫉(そね)み」とは女が疾(わずら)い、「妬(ねた)み」とは「石のような女」と言う意味で妬(ねた)みと書く。その二つが合わさって嫉妬(しっと)が生まれる。そして男が嫉妬すると「女々(めめ)しい」と成る。 正に、性愛においての肉体的独占欲を象徴する言葉が、嫉妬なのである。

☆日本古来の性文化はどのようなものだったのか? 
在野の小説家・未来狂冗談氏の「私の愛した日本の性文化」(リンク)を紹介します。

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●夜這いは、愛すべき日本人の知恵だった
昔、「夜這い」と言う、ロマンチックな響きを持つ性風俗が日本の農漁村のほぼ全域にあった。いや、その昔の上代の頃には貴族社会でさえ「夜這い」はあった。夜這いこそ私の愛したおおらかな日本の性文化である。

ここで原生人類の本能的生殖行動と現代の倫理規範の矛盾をご紹介して置く。現代日本人の倫理感覚では、「夜這い婚」の一妻多夫形態など到底理解できないかも知れない。だが、実は「種の保存」を優先する自然界では人間の生殖倫理の一夫一婦制の方が異例である。例えば一番人間に近い類人猿・チンパンジーなどの生殖行動を見ても判る通り、オス達は一頭の発情期のメスに順番に群がり、メスは一日に何頭ものオスと交尾する。

その理由は「確実な種の保存の為」で、メスが依り強くて優秀な精子にめぐり逢う目的で「自然がそうした生殖行動を選択させていた」と言う立派な理由が在るからだ。これは「種の保存」のメカニズムが主体の自然な生殖行動であるから、オスメスの生殖機能には目的に添った違いが在る。当然、オスの方は次と交代させる為に肉体的に一度の射精で終わるが、メスの方は連続交尾を受け入れられる構造をしている。

つまり生物としての原生人類は、「確実な種の保存の為」に、本能的に「虚弱精子劣性遺伝」や「XY染色体の劣勢遺伝」などを知っていた事になる。そうした人類発達の歴史の中で培われた原始の生殖行動の記憶としての残滓(ざんし/残りかす)が、時代と伴に変化しながら辿り着いたのが「夜這い婚」だった。言うなれば、元々の人間の原始生殖行動は本来それに近い理由で「群れ婚」に拠る一妻多夫形態が自然な遠い記憶で、それが「夜這い婚」のルーツである。

その結果、女性が一家の家長で家の財産を引き継ぎ、男性が女性の家に通って来る「妻問い婚」が生まれ、「呼ばう」が「夜這い」となった。つまり「夜這い婚」や「歌垣(うたがき)」、「暗闇祭り」などは、「種の保存」の為に知恵を絞った安全装置だった。しかし現代日本人の倫理感覚は一夫一婦制で、「虚弱精子劣性遺伝」や「卵子の老化問題」は、人権問題も絡む為に余り考慮しないから、子に恵まれない家庭も増えている。

これはあくまでも「人類も生物」としての自然の法則だけで捉えた見解であるが、如何なる社会性を鑑みても「滅亡してから気が付いた」では遅いのではないか? 「夜這い」や「寝宿制度」などに代表される当時の身内感覚(共同体意識)の「村落共同体的性規範」を、現在の倫理観で安易に評価して決め付けないで欲しい。村落の者が「村落共同体的性規範(夜這いや寝宿制度)」を行っていても、妙見信仰から始まった信仰行事の一環から始まった事で、宗教的な戒めの考え方が無い常識の範疇であり、そう異常な事には思われなかったからである。

人類は基本的な本能として他の生物同様に「生存本能」を備えている。この生存本能の発露が「食欲」であり「性欲(種の保存本能)」であり、二次的なものとして危険を避けたり危険に立ち向かう為の「恐怖心」や「闘争心」なども無視出来ない右脳的な生存本能である。そうした右脳的な生存本能の一つとして、人類はその種としての生い立ちから、「恐怖心」や「闘争心」を共有する事で、生存率を上げる為に「共に生きる(共生意識)」と言う強い「帰属本能(群れ意識)」を持ち合わせて生まれて来る。

つまり人類は、「帰属本能(群れ意識)」を満足させないと、精神的安定を得られない。そしてその「帰属本能(群れ意識)」は価値判断や心(精神)の安定に影響を与え、良きに付け悪きに付け「人生」と言う固体の一生に影響する。実は、「帰属本能(群れ意識)」を裏打ちして保障していたのが、同じく「生存本能」に関わる「性欲(種の保存本能)」の結果とも言うべき「性交」と言う行為だった。「性交」と言う行為は、「恐怖心」や「闘争心」とは好対照に位置付けられる「癒し」や「信頼の共有」に繋がるからである。つまり誓約神話(うけいしんわ)や人身御供伝説が語り継がれた村落共生社会では、思想環境が違うから帰属意識愛でも性交が出来た。

従って日本に於ける村社会の性規範は、「帰属本能(群れ意識)」に起因する共生主義の磨き上げられた珠玉の結晶だったのではないだろうか? 今回「夜這い」を取り上げたのは、現在の社会が「本当に豊かに成ったのか?を、問う鍵に成る」と考えたからである。

物質的には、なるほど目に見えて豊かになった。その代わり、私権だけが飛びぬけて主張されるようになり、人と人の繋がりと言う「精神的な豊かさ」を、数多く失っては居まいか?ばかげた事に、私権を中心に発想する事しか考えられなくなり、国、地域、近隣、と破壊が進み、家族と言う最小単位でさえ破壊の危機に直面しているのではないだろうか?

戦前の日本社会は子沢山が一般的で、親が余り一人の子に愛情を注げなかったが、それでも子供達は「まとも」に育った。それに引き換え、戦後の日本社会は少子化で親はタップリ愛情を注げる筈なのに、子供達が「まとも」に育たない。我輩に言わせれば、その「まとも」に育たない原因は、戦後日本が採用した米国型自由主義化に拠って「群れ社会」から「孤独社会」に悪変してしまったからに違いないのである。

昔は、私権を中心に発想していたのは「権力者階級」だけである。庶民は物質的には貧しかったが、互いに信じ合え、皆助け合って素朴でやさしい庶民生活が営まれていた。村社会、それは共用権的な生活意識であり、根本的な共生主義で成り立っていて、その原点にあったのが、「夜這い」の精神である。

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