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2021年02月25日

支配から自主管理へ-6

前回は、自主管理に求められる能力について述べさせていただいた。肝心なのは、知識として「なるほど」で終わらずに、実生活をいかに変えていくかという意識の転換で、実践してこそ身についていくものだといえる。実は、日本人にとっては真新しいことではなく、江戸時代にもみられる。人類史に拡張して俯瞰しても、極限時代にはあたりまえのことだったのではないだろうか。未開の地で生活している部族は支配のくびきを逃れ、自主管理を貫いている。

今回は、そのような実践事例を紹介したい。

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「自分達の生きる場を自分たちの手で」が実践されていた江戸時代

「自分達の生きる場を自分達の手で」という発想は実は新しいものでは無く、日本人が古くから持っていた精神性です。
江戸時代にはそれが社会制度として確立され、長期にわたる平和と大衆活力のある社会を実現していました。

以下、「るいネット」さんの記事を抜粋引用します。リンク

【江戸時代は分権社会】
江戸時代に関する見直しが進んでいる。その結果教科書が描いてきた江戸時代像にはかなりの誤りがある事がわかってきた。

○江戸時代は分権社会
江戸時代を見るときに重要な視点は、分権社会であったという点であろう。江戸時代はいかにも武士だけが統治者であったかのような見方がされているが、それは誤りである。村の統治は村共同体が行い、町の統治は町共同体が行い、職人や芸能者などの仲間・座の統治は座共同体が行い、武士が行う統治行為は、このような社会的諸集団の範囲外にわたる問題だけであった。それは広域行政であり軍事であり、外交であったのだ。

例えば、近世の町も町を塀や堀で囲い、町の入り口には木戸を設けて、木戸番という武装した町人で守られていた。そして町内には自身番が設けられ、町名主(年寄)の指揮下で、武器を持った町人自身によって町の治安は守られていた。

町が行う行政は、奉行などからの触書の伝達や人別改め、防火と消火の取り締まりと手配、訴訟事件の和解工作、家屋敷の売買や譲渡などの証文案件の検閲、博打や勝負事の禁止など、町民の生活全般に渡っていた。

さらに近世において周辺農村からの大規模な人口流入に伴って生じた、し尿やゴミの処理問題や住宅問題、さらには飢饉に際しての救民事業なども、町の仕事であった。

つまり、江戸時代は縦のヒエラルキーに基づく身分社会ではなく、身分とは社会的分業に近いものだったとみた方が実情にあっている。
また身分も流動的である。各層の統治行為に携わる上層の人々は、武士と同様に名字・帯刀の権限を許され、それぞれの家職を遂行していた。そして婚姻や養子縁組という形をとって武士に「取りたて」られた例も数多い。

江戸時代中期くらいからは 百姓・町人や芸人が武士身分を購入して、武士になる事態も出現する(勝海舟や、新撰組等は典型事例)。或いは逆に 武士身分の者の中から商才に恵まれた者が商人になったり、分業が拡大していくにつれて生み出された新しい身分、つまり学者や医者、そして絵師や戯作者などに転身していく例も数多く見られる。若いときは武士=役人として務め、老年になってから医者や絵師等に転身する例も多く、これらは武士等の身分が階級制よりも社会的役割として認識されていたことの証左である。

以上、引用終わり。

江戸時代の身分制度は決して抑圧と搾取を制度化・正当化するものでは無く、むしろ人々が共同体の中で自らの期待と役割を明確に認識し、まさに自分達の生きる場を自分達で創ることを実践、継続していた社会でした。

共同体が解体された現代社会において、この社会制度をいきなり導入するにはいささか無理があります。しかし、私達が1日の多くの時間を過ごす「企業=生きる場」を変えてゆく、社員自らがその経営の主体となる共同体企業へと変革して行く事は決して不可能ではなく、社会的にもその萌芽が見て取れます。

 

 

伝統的社会(未開部族)に見る、みんなで子育て

伝統的社会(未開部族)の側からすれば、親以外の人間が子育てに関わるのは至極当然のことであって、家族私権が存在しない以上、両親だけで子育て(or自分(だけ)の子ども)という観念も存在しないという前提で見る必要がある。

※『昨日までの世界 文明の源流と人類の未来』(ジャレド・ダイアモンド著、倉骨彰訳/日本経済新聞出版社)より抜粋引用
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狩猟採集民の小規模血縁集団では、赤ん坊が生まれて一時間も経たないうちに、その子のアロペアレンティングがはじまる。アカ・ピグミー族やエフェ・ピグミー族は、生まれたばかりの赤ん坊が、焚き火の周りでグルグルと人のあいだを手渡しで回される。大人たちも年長の子どもたちも、みな同じように、赤ん坊を手渡しし、ほおずりをしてみたり、そっとゆすってみたり、歌を歌って聞かせてみたり、理解できるはずもないのに言葉をかけてみたりするのである。赤ん坊が手渡しされる平均回数を実際に数えた人類学者の報告では、エフェ・ピグミー族とアカ・ピグミー族の赤ん坊の場合、一時間に平均八回いろいろな人に手渡されていた。また、狩猟採集民のあいだでは、赤ん坊の世話が共同作業になっていて、母親と父親や親代わりの大人とが育児を分担している。父親や親代わりの大人とは、たとえば祖父母、おば、大おば、他の村人、年長の兄弟といった人たちである。そして、これに関しても、人類学者が実際に数えた人数を報告している。数時間という観察時間のあいだに、アカ・ピグミー族の赤ん坊は七、八人に面倒をみてもらっており、エフェ・ピグミー族の生後四カ月の赤ん坊は一四人に面倒をみてもらっていた。

狩猟採集社会では、父母と一緒に、乳幼児が食料の調達に同行することはあまりない。赤ん坊や幼児は祖父母と一緒に野営地に残り、父母が心おきなく食料探しに専心できるようにするのである。父母の帰りを待つ時間は、数日の場合もあれば、数週間にわたる場合もあり、その間は祖父母が子どもの面倒をみることになる。子どもの体重増加をみると、東アフリカのハヅァ族では、祖母が子どもの身の回りの世話などをしている場合と、そうでない場合とでは、祖母が養育に関与している子どものほうが体重増加のペースが速い。おばやおじがアロペアレンティングに関与し、重要な役割をはたしている伝統的社会も多い。カラハリ砂漠のなかにあるオカバンゴ・デルタ(大沼沢地)で暮らすバンツー系民族の社会において、少年にもっとも強い影響を与える成人男性は父親ではない。それは、母方の伯父、すなわち母親の長兄である。また、兄弟姉妹が長じて成人し、子どもをもうけたあと、互いの子どもの世話をしあう慣習は狩猟採集社会の多くでみられる。子ども同士のあいだでも、年長の兄姉が年下の弟妹の面倒をみる。この傾向は、とくに農耕民や牧畜民のあいだで顕著であり、とくに年上の姉たちは年下の弟妹の面倒をみるのである。

南米ペルーのアマゾン地域で暮らす先住民ヨラ族の子どもの場合、食事をする回数の全体の半分は、自分の両親とではなく、自分の家族以外の家族と一緒に食事をしている。ちなみに、ニューギニアの小さな村で育ち、大人はみな自分の「おば」か「おじ」だと思って暮らしていた、私の友人であるアメリカ人宣教師の息子は、高校入学のために両親に連れられてアメリカに帰国し、自分の周囲に、自分の面倒を親代わりにみてくれる大人があまりにも少ないことに気づき、それがほんとうにショックだったそうである。

小規模社会のなかには、子どもひとりでの外出がしだいに長期間になり、しまいには、あの子は養子縁組をしたことにしよう、と結論づけるような社会もある。たとえば、アンダマン諸島人の社会では、九歳か一〇歳を過ぎた子どもが生みの親と同居している例はめずらしい。たいていの場合、子どもは、その年ごろになると、近隣集団の家族と一緒に暮らしはじめる。そしてその時間がしだいに長くなり、その家庭にいつきはじめたころに、養子縁組の約束が交わされ、ふたつの近隣集団の友好関係の維持に一役買うはこびになるのである。
またアラスカのイヌピアト族の小規模社会では、養子縁組があたりまえのようにおこなわれている。とくに先住民族イヌピアト族の集団内では盛んである。現代の工業化社会では、養子縁組はおもに養子と養父母の親子関係の絆が大事にされる。ごく最近までは、生物学的な両親と完全に絶縁するためと称し、生物学的な両親がどこのだれであるかさえ、明らかにされることがなかった。イヌピアト族の社会における養子縁組は、現代の工業化社会のそれとは異なり、二組の親をつなぐ絆であると同時に、二組の集団をつなぐ絆としての役割もはたすのである。

このように、小規模社会では、子どもの養育に、親以外の人々が関与し、子育ての責任を社会で広く分担している。これが、子育てにみられる、小規模社会と大規模な国家社会の大きな遭いである。子どもにとってアロペアレントは物質面で重要な存在である。親以外の存在として、自分に食物や保護を提供してくれる存在だからである。世界各地の小規模社会に関する研究からも、アロペアレントの存在が子ともの生存率を高めることが示されている。そして、親以外の人々が子どもの養育に関与することは、子どもの心理面の発育のうえでも重要である。それらの人々は、子どもに、いろいろと人生に必要なことを教えてくれる存在でもあり、子どものとるべき行動のお手本となる存在だからである。小規模社会の子どもたちが幼い時分から社会性を身につけることを人類学者たちは驚くべきことと指摘し、その一因を、小規模社会では子どもたちがアロペアレンティングを通じて、大人と豊かな人間関係を築けるからではないか、と推測している。

 

 

 

 

 

 

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